どうも〜、朝イチのコーヒーは止めた方がいいとTwitterに書いてあったので、Twitter見るのを止めたURYU です。


誰にも頼まれてない永田のサッカー史シリーズを久々に更新します。

↓前回はコチラ↓

現在(2023/12/09)、毎日地味〜なリハビリをやっていく中で、昔のしんどい経験や当時の感情を思い返す事が多いです。
その時は苦しかったですが、今ではそれらが励みになり、大きな怪我をしても絶対復帰してやろう!って気持ちを持てます。
※今回も苦しい状況ではありますが、将来の投資として、貴重な経験をできてることに感謝😁

そういった過去を皆さんにシェアできればと思い、またこのシリーズも再開していくので宜しくお願いします!


  1番動けたシーズン

これまで1番動けた時はいつだ?と質問されたら、2017年シーズンだったかなと思います。(23歳)
※動けた=ベストという訳ではないです。
パワーとかステップワークの身体的な面だけではなく、予測(危機察知能力)はこの時かなり冴えていて、そのおかげで対応も早くできました。
相手と対峙しても、常に冷静でいられたし、余裕があった感覚。
頭も心も身体も高いレベルを保てると、あれだけパフォーマンスが上がるんだ。と自信を持てた1年。

当時の身体利いてる感が分かる映像が残っていたので貼っておきますね。
怪我もなく、カード1枚も貰わず、シーズン約30試合を全てフル出場。
チームの結果は後ほど書きますが、振り返ると出来すぎたシーズンだったなと思います。



  キャプテンを任される

過去の歴史シリーズでも書いてきましが、

こう見えて永田、キャプテンや役職を任されることが多く、小学校から今までで所属したクラブで、リーダー的な役割をやらせてもらいました。

恐らくその理由の9割はお喋りだから(笑)

俺がキャプテンをやるべきじゃない。他に適任がいる。って思った学生時代もありましたが、

今ではこの立場に誇りを持ってるし、モチベーションも上がります。
周りを引っ張らないと!って。

だからクラブの選手達(特に若手やアカデミー選手)の模範になるような行動、言動はしていこうと心掛けてます。例えプレーが良くなくても。
実際、このシーズンの初めはキャプテンが元々いました。
でもその選手が開幕前に大怪我をして、シーズン中の復帰が絶望となり、その結果僕が任されたという流れです。

オーストラリアに来て2年目の若手、かつ英語もろくに話せない外国人がやるって…監督はよく僕を選びましたよね(笑)
当時はこれなんの罰ゲームだよ!って感じです😂

ベテランがやりゃいいのに〜😒ってずっと思ってた(笑)
練習やアップを仕切ったり、試合直前に話したり。
今でこそどうってことないんだけど、中々しんどかった。
本当に流暢とは程遠い、きったない英語だった(笑)
でも、異国の地でもやればできるんだなって、苦労した分一皮むけれた1年でした。
やっぱ人間は追い込まれたらやるもんです(笑)

選手としても、いち人間としても、自信を持てた1年。

海外でサッカーをやるメリット、本質を学べた気がしました。


プレーだけでなく、この頃からコーチングもスタート。 

クラブではU15のアシスタントコーチをしていた。

サッカーのみじゃ生計は厳しいから、ラーメン屋でバイトをし、朝6時出勤とかでスープ作ったりしてたなぁ😊
オーストラリア1年目の下積み時代と思ってたあの頃より2年目は遥かに忙しかったけど、そのお陰で色んな人に出会い、色んな経験を積め、ほんと充実した生活でした。


ブリスベンの同期組
土曜は日本語学校でコーチング

サッカーも英語も仕事もコーチングも!
オーストラリアで積めるだけの物を積んだ方が、後の人生にきっと活きてきますよ。と後輩サッカー選手達に伝えたい👍


あ…

優勝したのか?から進んでなかった…😅

長くなったのでこの辺で!



次回へつづく…。




今日もありがとうございました。

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