潮 騒

ジャワ島とバリ島の固有の楽器であるガムラン(gamelan)は青飼器製のオーケストラで世界でもほかに例がない。 管・弦・打楽器からなるが・楽器の数からも打楽器が主休である。


ガムランの音階は5音階であり7音階の西洋音楽とは基本的に異なるところである。同じ楽器でも調律がわざとずらしてあるため響きがこもる。 それにもかかわらずガムランの不思議な音色は西洋音楽のドピッシーやパルトークにも影響を与えているといわれる。人の頭脳にひらめきを与えるのに適した音楽であるので研究所などのBGMによいという説もある。


伝統の楽器であるので地域によって楽器、演奏方法に相違があり、由緒正しいのは中部ジャワのものであり、よく知られているのはバリ島のものである。 民族衣装の制服でしやがむ恰好の演奏には日本の雅楽の雰囲気をも感じる。


ガムランは宮廷音楽や寺院の儀式音楽として発達したもので正規のガムランは大編成であるが、影絵芝居の伴奏のガムランは10名程度の小編成である。 舞踊や演劇と結び付くことで総合芸術を作り上ゲているホテルのロピーの実演では演奏者は観光客を見回しながら面倒くさそうな顔をしているが、その道の達人になると霊が人の手を借りて勝手に演奏するという忘我の境地になるらしい。


ガムランの音色は声楽の伴奏の搦搦とした菩きからけたたましい金属製の打楽器による戦争場面まで演奏の幅が広い。 いつも同じ曲に聞こえるが、数種のカセットテープやCDがあるから曲目もかなりあるらしい。 青銅のガムラン楽器がいわぱフォーマルな楽器であるのに対して、庶民の楽器は竹製である。 ガムランの重々しい音に対して竹の音はさわやかで軽快である。


バリ島のジョゲ・ブンブン(jogetbumbung〕は数種の竹製楽器からなるオーケストラである。 村毎にジョゲ・ブンブンのチームがあって演奏の覇を争う。 最近では観光客のためのショーもあるようで、観客も踊りの輪に参加できる数少ない舞踏曲の一つであるだけに、宴のハイライトを飾ることも多い。


スンダ地方の竹製のアンクルン(angklung〕は竹を震わせるとある音階の音がする仕組みである。 全音階をセヅトにした小型のものから、何人もが各々自分の担当の音階だけを担当して演奏する大型のものもある。 アンクルンはスンダ地方にかぎらずインドネシア全域で音楽教育のために普及している。


ワールド悠遊クラブ


中部ジヤワのクジャウェンの農村の夜、南十字星が輝く満天の星の下で影絵芝居がおこなわれる。横3㍍x縦1㍍くらいの赤で縁取られた白い布のスクリーンが張られ、そのスクリーンに人形の影絵が写しだされる。

ヤシ油のランプの灯のゆらめきに従い影が微妙ににじむように動く。よく見れば影には色もほのかに漂っている。観客は影絵の側と人形の側のどちらからも見てもよいが、一応は影絵側が正面である。

ワヤンは村の有力者の家の出産、割礼、結婚などジャワ人の一生の区切りのお祝いの儀式に催される。招かれた村の人はお祝いを持ってやってくる。

上演には古くからのしきたりがある。ワヤンの開演に先立って"地の霊"に挨拶の儀式を行い無事に上演されることを祈る。果物、菓子が供えられる。生きたままの鶏も供えられる。

木に片足を縛られているので上演中には鶏のなき声の伴奏が入る。人形は雫のしたたる切り立てのバナナの幹に並べられる。

夜8時頃から始まり夜明けの光で影が薄くなる翌朝まで延々と続けられるが、深夜までに三々五々に引き上げ、朝まで見ている人はさすがに少ないらしい。

影絵芝居はダランによって操られ、語られる。ガムランの鳴り物の音のけたたましい戦闘の場面もあり、静かな語りの場面では半分寝ながら聞いている。はじめは魔物や魔女の邪悪が践順している。

主人公は数々の試練にも隠忍と自重を貫く。やがて夜明けが近くなると正義が盛り返す。ジャワの``夜明けが近い"という意味はやがて正義が勝っという影絵芝居の裏付けがある。

『影絵芝居』のインドネシア語は『ワヤン・クリットUayangkulit(皮の人形)』と言う。人形(Wayang)は水牛の皮(kulit)を刻みこんだもので彩色がほどこされている。人形は腕だけが動く仕掛けなっており、一つのパフオーマンスで約80種の人形が用いられる。

劇場とか公共的場所でも上演され、最近ではホテルで外国人観光客用のダイジェスト版の触りのところだけのものもある。商業主義に毒されているとの批判もあるが``観光芸能"の試みであろう。

インドネシア料理では「サンバル(samba1)」と「トゥラシ(terasi)」が、日本の醤油のように食卓に常備されている。すべての料理に好みの量だけふりかける。 サンパルはとうがらしを主成分とする練り物であり、当然のことながら非常に辛い。 トウラシは海老の塩辛のようなものらしい。


インドネシアの食生活は決して豊かとはいえない。 レバランやスラマタンのような特別な時以外には牛や羊を食ぺることはなく、通常の御馳走はニワトリ(ayam)と魚(ikan)の料理である。


鳥・牛・羊のこまぎれ肉を串焼きにしたサテ(sate)が知られている。サテとは日本の焼き鳥と同じように肉の串焼きである。インドネシア料理の中では外国人に最も人気が高い。


日本人にとって今一つ残念なのはタレが醤油ではなくビーナッツソースかケチャップ味であることである。肉食民族ではない日本とインドネシアでかくも共通の料理が発達したのは細切れの肉を最大限に有効に味わう技術ということであろう。大きなビフテキにかじりつく民族には求めえない繊細さの表われである。


ソト・サユール・アヤム(sotosayuray{皿)は鶏肉の出汁による野菜のスーブでインドネシア料理の中では熱い食べ物である。本来、インドネシア料理は手食のためスープのような熱い食べ物はないので、中華料理の影嘗をうけたものであろう。


いろいろな野菜のインドネシア風サラダはガドガド(gadogado)という。材料は、とくに決まっていないがエピセンベイがのっており、ピーナッツ・ソースがかけてある。ガドガドとはゴチャマゼという意味があり、インドネシアの多数多様の民族からなる有様を``ガドガド文化"と称する言い方もある。


インドネシア料理といっても広い地域のことであり地方によって味も千差万別である。ジャワ料理は一般に甘い。これに対してスマトラ島のバダン料理は唐辛子をふんだんに使うため非常に辛い。


最近ではジャカルタの市民にもパダン料'理は人気が高い。庶民の食べ物のテンペは日本の「納豆」と同じく大豆を発酵させたものである。発酵した食ぺ物というのは世界でも例がないらしく中国南部の山岳部にひろがる「照葉樹林」の文化の産物らしい。


冒頭のトゥラシも発酵食品である。両地域における発酵食品の起源は古く、インドネシアと日本の太古における繋がりがあったことの物的証拠の可能性がある。


主は私の羊飼い

私は、乏しいことがありません

主は私を緑の牧場に伏させ

憩いの水のほとりに伴われます

                                                                                                 

主は私のたましいを生き返らせ

御名ののために、私を義の道に導かれます

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても

私はわざわいを恐れません

                                                   

あなたが私とともにおられますから

あなたのむちとあなたの杖

それが私の慰めです

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ

私の頭に油を注いでくださいます

                                                

私の杯は、あふれています

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと

恵みとが、私を追って来るでしょう

私はいつまでも、主の家に住まいましょう

地とそれに満ちているもの

世界とその中に住むものは主のものである

                                                    

まことに主は、海に地の基を据え、

また、もろもろの川の上に、それを築き上げられた

だれが、主の山に登りえようか

だれが、その聖なる所に立ちえようか

                                   

手がきよく、心がきよらかな者

そのたましいをむなしいことに向けず

欺き誓わなかった人

                                                 

その人は主から祝福を受け

その救いの神から義を受ける

・・・・・

心に灯る命のかがり火・・・平安と慈しみへの旅路、

万人の心に宿る普遍なる魂の叫び・・・いまいちど、

静かに胸に手を置き道標を求めてみましょう。

                                                   

神(かみ)はすべての人々の心に在るもの・・・澄み渡る

心のスクリーンに投影してみませんか? 

                                          

きっと、より良い明日の恵みと歩みが訪れるはず

どうやら人間というものは
終生癒えぬ傷を負いながら
救われよう救われようと
もがき続けるものらしい

その傷は底なし沼のよう
求めても求めても
埋まることはない

友情や愛が
どれほど注がれようと
埋まることはない


けれど
底なし沼を埋めようとする
エネルギーは
とてつもなく大きい

時に周囲の人々を動かし
新しいものを生み出す
原動力になる

しかし、
自分の底なし沼が
友情や愛を飲み込み続ける
一方だということに
気づかないでいたら
築き上げた城は
一瞬にして崩壊するのだ
「愛するがゆえに憎しみを抱く」?

愛されたいと願うのに
愛してくれないからと、
相手を憎むのは、
自分の方が相手を
愛していないからではないのか?

でも、
憎むほどに執着するということは、
愛しているということかなのか?

愛していたけれど、
愛されなかったから、
憎み始めるのかな…。

いずれにしても愛は変容するということか。
この場合は、「愛」という言葉を使うことは
果たして合っているのかな。

「伸木…の恋」という漫画が
1月からドラマ化されるけど、
ずっと、読んできたの。
愛し合ってたはずの夫婦が、
いつの間にか、ボタンを掛け違い
憎しみあい、離婚を考えるようになって、
さらに憎しみあい…泥沼へ。


愛してた相手を憎むのは、
当然、得られるべきだと思ってた愛が
得られなかったと思うから、憎むのかな…。

だから、反対に、
平穏に過ごしているということは、
ちゃんと与え合っているということか…
それとも、執着心もなくなって
諦めているということか…
愛情の対象が子どもに移行しているって場合もあるし…
そのいずれもあり、なんだろうね。

夫婦のあり方って、それこそ星の数だけあるだろうから、
簡単に分析できるものでもないけど。


この問題もまた、元を辿ると、
子供時代に遡るのだね。。。


子どもと向き合うこの一日、一日って、
本当にとっても大事なんだなあ。
愛は、毎日の積み重ねで育てられてゆく。

充分に与えられていれば、
愛されていないなどと、
目くじら立てなくても
安心していられるもの。

愛が足りないと言って、人を憎む人間。
そんな寂しい人間には、なりたくないなあ。

この人生を背負える自信なんかないも同然
押しつぶされても 立ち上がる雑草であれ
押しつぶすのは 簡単すぎて
押しつぶされるのは 苦痛すぎて
方法は一つ 前を向いてまっすぐ歩け まっすぐ
それは美徳? とうにそんな巣は滅びてる
一瞬にして奪われゆく あの人達のココロ
愛するものは幸せに そんな自己満足のため
地位 名誉 名声 財産 輝かしく聞こえる
没落と孤独の切符 引き替えるのは自分
もがき苦しんで手に入れたソレは 争いでボロボロ
大事にね 持ってるんだよ 笑っちゃうよ
心に体が追いつかない 心もずっと幼いのに
ふと気づく 自分の愚かさに 幼さに
木の葉がざわざわ 鳥が鳴いてて あぁ あぁ
なんて幸せなんだろう?なんで幸せなんだろう?
幸せにすがるあまりに 幸せが何か 忘れてくる
幸せの意味を ほほえみの理由を 
一体 この幸せな私を 殺している私は
いつになったら 蒸発してくれる?

言い訳だ

幸いなことよ。

悪者のはかりごとに歩まず、

罪人の道に立たず、

あざける者の座に着かなかった、その人。


まことに、その人は主のおしえを喜びとし、

昼も夜もそのおしえを口ずさむ。


その人は、

水路のそばに植わった木のようだ。

時が来ると実がなり、 その葉は枯れない。

その人は、何をしても栄える。