インドネシア人の食事は手食である。手食といっても手掴みではなく、それなりに優雅な食ぺ方である。事前に手を洗う、第二関節から先の方を使う、使用する指は少ない方がよい、なとが手食のマナーである。指も手食に慣れると"味覚"を感じるということである。
インドネシアの米はインディカ種でパサパサである。さらに米の炊き方まで「ぬめり」を除くのは手食と関係があるらしい。ジャポニカ種の米で日本風の炊き方にすると指に飯がこびりっいて行儀悪くなる。
そもそも料理のしたての熱いものは喜ばれない。これは指が火傷をするという事情もあろうが、熱帯地方では熱いことは必ずしも良いサーピスにはならない。御飯もむしろ冷ましてから客に出す。
手食の場合に重要な事は”右手”である。イスラム教ではコーランで〈右手は清浄〉〈左手は不浄〉と定められている。右手と左手は分担が決まっており便所の中での作業は左手である。握手は右手である。しかし最近では手食がなくなりっっある。
例えぱジャカルタのレストランでのインドネシア人の食事を観察するとフォークとスプーンを使っている。左手のフォークでかき集めて右手のスプーンですくって食ぺる。自宅では手食であっても、都会と若い人から新しい風俗が始まるという万国共通の法則に従って、"脱手食"は東南アジア全般に拡がっている。
ジャカルタ空港に着陸した時に何かしら漂ってくる臭いがある。甘ったるい香りは”南国の香り”と感じられないこともないが、どちらかというと食欲にマイナス作用に働くのはヤシ油(→19)の香りで[匂い]ではなく[臭い]の方である。
臭いについては西欧が〈バターの香り〉であり、日本が<沢庵の香り〉であるがごとく、インドネシアは〈ヤシ油の香り〉である。インドネシアではヤシ油は庶民が安く手に入れることができる食料油である。
それにヤシ油の使用には宗教上の理由もある。何故ならイスラム教徒は豚を食べない。豚肉のみならず豚の脂のラードを使用した料理も食ぺないからである。
インドネシアの米はインディカ種でパサパサである。さらに米の炊き方まで「ぬめり」を除くのは手食と関係があるらしい。ジャポニカ種の米で日本風の炊き方にすると指に飯がこびりっいて行儀悪くなる。
そもそも料理のしたての熱いものは喜ばれない。これは指が火傷をするという事情もあろうが、熱帯地方では熱いことは必ずしも良いサーピスにはならない。御飯もむしろ冷ましてから客に出す。
手食の場合に重要な事は”右手”である。イスラム教ではコーランで〈右手は清浄〉〈左手は不浄〉と定められている。右手と左手は分担が決まっており便所の中での作業は左手である。握手は右手である。しかし最近では手食がなくなりっっある。
例えぱジャカルタのレストランでのインドネシア人の食事を観察するとフォークとスプーンを使っている。左手のフォークでかき集めて右手のスプーンですくって食ぺる。自宅では手食であっても、都会と若い人から新しい風俗が始まるという万国共通の法則に従って、"脱手食"は東南アジア全般に拡がっている。
ジャカルタ空港に着陸した時に何かしら漂ってくる臭いがある。甘ったるい香りは”南国の香り”と感じられないこともないが、どちらかというと食欲にマイナス作用に働くのはヤシ油(→19)の香りで[匂い]ではなく[臭い]の方である。
臭いについては西欧が〈バターの香り〉であり、日本が<沢庵の香り〉であるがごとく、インドネシアは〈ヤシ油の香り〉である。インドネシアではヤシ油は庶民が安く手に入れることができる食料油である。
それにヤシ油の使用には宗教上の理由もある。何故ならイスラム教徒は豚を食べない。豚肉のみならず豚の脂のラードを使用した料理も食ぺないからである。
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インドネシアとのお付き合いはかれこれ、四半世紀を数える。東西に拡がる広大な国であるが、その約7割を訪問する事ができた。
ある時は、政府ミッションとして、ある時は、しがないバックパッカーとして、また、ある時はツアーコンダクターとして・・・様々な形で数多くの現地の方々との触れあいがあった。それらの異文化交流とも呼べる体験を通じて知り得たインドネシアの数多くの魅力の一端を、つれづれなるままに書き記して紹介する。
異文化交流で培う豊かな虹の輪を総ての方に・・・そんな想いで「民間大使交流会」
を設立し推進中。是非、ご参加下さい。