角偉三郎は合鹿椀と出会うことで、それまでのもやもやを払拭し

自分と漆の役割について、一点の曇りなく悟ることとなる。


それから角偉三郎は、取りつかれたように、

椀木地をキャンバスにして 漆で自由奔放に描いていく。

伝統的なやりかたに背を向け、生き物である漆と対話しながらの創作活動。


手に漆をつけ椀木地にこすりつける、

漆がたれてながれていくままにする、

漆が縮んでもOK、

ベンガラ漆を手に付け椀にしぶきをかける、

布着せをしない、下地もしない、


時には周囲から冷やかな目を向けられることもあった。

それでも自分との葛藤をしながらもひたすら椀を作り続けた。

角偉三郎の迷いない強い創作意欲は、

弛まぬ努力の結果としての苦悩を自分で克服しているからこそであろう。



私は思う。


「先ず伝統技術ありき」ではない、「先ず漆ありき」であると。


漆は自分を受け入れてくれるか、漆と真剣に向き合わなくてはいけない。

そして自分が漆についてどう考え、どう使っていくかを考えていかなくてはいけない。


そうすることで、その人、その人、独自の漆の作品が出来る上がるのではないだろうか。


伝統技術に固執し縛られれば、みんな同じものしか作れなくなる。

伝統的なルールはあった方が楽だ。

ルールを守れば、みんな安心して評価してくれる。


でもそれって本当に伝統のために良いことなのだろうか。

だんだん、作り手も、使い手も壁にぶち当たるだろう。


そもそも伝統的ルールは、人間が時間をかけて作り出したものだ。

絶対的存在である何かが、唯一無二のものとして作ったものではない。 


各産地の技法に縛られる必要はない。

各産地の技法は、昔のその時代のその地方の状況の中で成立したものだ。

今はまったくちがう状況が目の前に存在している。

それなのに、昔の技術に固執するのはおかしい。


もちろん、全てを捨てよ、と言っているのではない。

先ずは漆と対話することが必要なのだ。



伝統的なルールに従う前に、

先ず目の前にある漆について高い抽象度で思索する。


そうすれば新しい漆の可能性がひらけてくると思う。





以前録画した NHKテレビ番組 新日曜美術館「輪島 椀の創造~漆人 角偉三郎~」 を見た。

時々思い出しては見ている番組だ。

角偉三郎が自分で納得する作風に辿り着く過程のエッセンスをまとまている良く出来た番組だと思う。


角偉三郎は沈金職人としてスタートし、その後、作家を目指し才能を発揮していく。

22歳で日本現代工芸美術展に入選後、数々の賞を受賞、

そして38歳という若さで日展の特選受賞を果たし漆芸界の第一線に躍り出ることになる。


角偉三郎はやがて、漆で絵画的に描くことに疑問をもつようになった。

1966年、漆を殆ど使わず油絵の具や細かく砕いた石炭を塗り込めた作品を発表すると、

「漆で色彩豊かな表現を押している。」と高く評価される。

角偉三郎はとまどった。

「漆を使ってないのに、漆がいいなんて、わかってないんじゃないか」

「それからだった、漆ってなんだろう、と悩み始めた、漆を使う意味がわからなくなった・・・」


角偉三郎は漆を使うことへの根本的な問いに直面することとなる。


43歳のとき作家としての活動を止めた。


その時、よく訪れた場所が、石川県能登町合鹿地区だ。

椀の産地として栄えた合鹿地区では集落のお寺(正福寺)に昔の合鹿椀が伝わっていた。

昔暮らしの中で使われていた素朴なお椀を一日ながめていたという。


「その椀には塗るという考えが見えなかった。」

「化粧する必要はなかった。」

「たった1回の塗りで終わる椀も平気で作った。」


「私は、おそらく裸にさせられた・・・」


暮らしの中に使う椀にこそ漆の本来の姿がある。

合鹿椀に漆の原点を見出した角偉三郎は、その世界に近づこうと椀を作り始めることとなる。








石川県輪島漆芸美術館へ行ってきた。

丁度、展覧会 「漆芸の未来を拓く ~生新の時2011~」 が開催されていた。


大学、大学院で漆芸を学び、

今春卒業及び修了した方々の漆芸作品が展示されたこの展覧会は、

今年で4回目の開催となるとのことであった。


金沢美術工芸大学、金沢学院大学、富山大学、東京藝術大学

京都市立芸術大学、東北芸術工科大学、広島市立大学の7大学から

計41点を紹介している。


これだけ沢山の大学で漆芸を学んでいる若者がいることに驚いた。

多分、この展覧会で取り上げられている大学(短期大学含め)以外でも

漆芸を教えているところがあるだろうから、認識を新たにした。

彼らは、彼らなりに漆芸を学んだ訳だが、

漆の可能性について、現時点でどのような結論をだしたのだろうか、興味がある。

作品を拝見すると、多くが漆を材料に自由な発想でアート作品を創造している。




漆を使うことの必然性をいつも考えている。

乾漆は漆を接着剤として使用する技法だと思う。

自由な形を軽量に手に入れることができる。

漆でないとできないものかもしれない。


では、表面の塗装はどうか。

漆の持つ独特の質感、漆芸技術でないとできない表現を求めて漆を使っているのか。


作品のコンセプトを表現する上で、漆を使う必要があるのか、

漆以外の塗料や表現でも良いのではないか、と考える時がある。


ボディーが乾漆であっても表面塗装は漆にこだわらなくても良いのではないか。

別な言い方をすれば、表面表現に漆の必然性をしっかり考えているか、というこことになろうか。

漆芸アート作品をつくるので表面塗装は漆です、と無条件でそう決めていないか。


私は、漆を使うことの必然性から作品のコンセプトを導き出すことが、

漆の可能性を発見することに繋がるのではないかと考える。

ぜひ若い方々には、その清い心で漆そのものを深く考察して欲しいと思う。


大げさな表現になってしまうが、

手もとにある精製されたチューブ(桶)入り漆がそこに辿り着くまでの、

そしてこれから向かう未来への、

壮大なロマンを感じて欲しいと思う。

逆に漆の有機物資としてのメカニズムのミクロ的ロマンも同時に感じて欲しいと思っている。


こんなことを書いている私自身、いつも模索している。

私の目の前に、どうだ!と漆の可能性を突き出して欲しいと願っている。

先日、弘前市立博物館で開催されていた、

「特別企画展 津軽塗 ~温故創新~」に行ってきた。


改めて、津軽塗のポテンシャルの高さを感じることができた。

唐塗、七々子塗、紋紗塗プラス錦塗を基本技法として、

様々な色と模様の組合わせにより、無限の表情を出せる津軽塗りは、

伝統的であり、かつ斬新的な面も併せ持つ他に類を見ない独特の塗りだと思う。


しかも、その製作工程は、

まさに馬鹿塗と言われるにふさわしく、

中塗りまでにかける多くの手間と時間、

更に何工程も繰り返される津軽塗りの表面加工。


下地の段階から仕上げまで何回も繰り返される塗りと研ぎを経て完成する津軽塗であるが、

今回の特別展では、基本の技法をベースに繊細な絵柄が描かれている作品を初めて拝見することが出来て、

恥ずかしながら津軽塗の産地の懐の深さを知ることとなった。


展示の最後には、世界的に有名なクリスタルメーカーであるロブマイヤーとのコラボ作品コーナーがあり、

それまでの展示で感じていた津軽塗のモダン性を証明するかのように、

現代のテーブルコーディネートに溶け込んでいた。


個人的には、全体を通して紋紗塗がとてもシックな雰囲気で気に入った。


弘前市立博物館はあの桜で有名な弘前公園にあり、丁度、その桜が満開の時期であった。

今回初めて弘前の桜を見ることできたが、素晴らしい、圧巻の一言。

会津鶴ヶ城も桜の名所であるが、規模だけで見ると弘前の圧倒的な勝利と言わざるを得ない。

また来て見たいと思ってしまった。







4月15日(金)会津若松市青木山にて「NPO法人はるなか漆部会」主催による漆の植樹祭が開催されました。

私は会津漆器協同組合理事長として参加させていただきました。


植樹した漆の苗木は、(社)日本漆工協会が昨年うるしの日に明治神宮で開催した

記念行事で会津も含め各地に贈呈されたものです。


当日は(社)日本漆工協会丸山高志専務理事、同じく角田弘司常務理事、会津若松市、

会津大学短期大学部井波先生が来賓として招待され、苗木を植樹いたしました。

私も貴重な苗木1本を植樹させていただきました。


「NPO法人はるなか漆部会」の皆様ご準備ありがとうございました。

すばらしい天気にも恵まれ、とても意義ある植樹祭ができたと思います。


実は私も、1年前から、「NPO法人はるなか漆部会」に入会しております。

行事にあまり参加しない不良会員ではありますが、漆に対する熱い思いに共鳴し、

微力ではありますが活動しております。


「NPO法人はるなか」は、会津藩名家老田中玄宰(たなかはるなか)の藩政策を理想に掲げ、

会津産の漆の木で漆器や絵ろうそくを作ることを目標に2005年より活動しております。

今では、里山再生、桜の木の植樹、会津産の綿の栽培等も手掛け、

会津にこだわった活動を積極的に行っています。

民間の団体で6年にわたって積極的に漆の植栽に力を入れいるところは少ないのではないでしょうか。


尚、会津若松市が森林組合に委託して管理している漆畑があります。

昭和40年代に植栽したもので、

残念ながら、植栽後の手入れが行き届かず、荒れている状態ですが、

毎年、わずかですが、森林組合で漆掻きしていただいた荒味漆を組合が買い取り、

組合員へ斡旋しております。


一昨年から、市管理の漆畑の下草刈りに組合も参加しており、私も昨年参加致しました。

伐採した切り株の周辺から若木が伸びており、その生命力に感動!

若木に触れないよう慎重に作業をしました。


日本人が震災や原発を経験し、今後、漆の木が見直されると感じています。(少し飛躍しすぎ?)

二酸化炭素を吸収し酸素を排出し、

天然素材の塗料や接着剤、蝋を生み出し、

15~20年という比較的短い期間の成長サイクルで再生産可能で、

里山を形成する、

木の文化が根付く日本では最高の木ではないでしょうか。


ぜひ知っていただきたいのは、

漆の木は、人間が手をかけないと育たないということです。 

漆の実を土に埋めれば、勝手に成長するというものではないということです。

やまうるしからは漆液を採りません、私たちが育てているのは里うるしです。


よく「漆畑」と言いますが、野菜の畑と同じで、漆の木を栽培するという意味で使われていると思います。

野菜を育てるように、漆の畑を育てる、人間の手が必要なんです。


漆の実の皮は蝋成分があり、かなり堅いそうです。

漆の木の苗木は、苗床で育てられます。 

成長した苗木は、漆畑に植え替えられます。

漆の木の成長には、特に太陽の光を必要しますので、

頻繁に下草刈りを行い、害虫駆除を行い、

漆掻き作業をしやすいように、間引きをしたりしたながら、

約15年間育てる必要があるのです。

それで、漆の木1本から採取できる漆の量は牛乳瓶1本程度。

その後、ゴミを除去し、水分を飛ばし精製すると更に減ります。


なんと気が遠くなる話だろう。

でも、地道に作業を続ければ確実に漆の木は樹液を出してくれます。

人間の生活環境に負荷をかけることなく、再生産しつづけることか出来ます。


最後に忘れてならないのは、

漆を育て、漆を採取し、漆を利用する、その道の達人がいるということです。

幸いに日本は、縄文時代前期から続く漆の技術を今まで継承してきました。

現代日本人の無意識(DNA)の中に刻まれている漆の情報を、

この人たちが呼び覚ましてくれるだろうと確信しております。









本日(4月4日)会津漆器協同組合会議室において

会津漆器技術後継者訓練校第8期生の入校式が行われた。

菅家一郎会津若松市長も震災支援、被災者受入れで忙しくしている中、

入校式に駆けつけてくれた。感謝。


訓練校では昨年度募集を休止していたが、多くの方々のご理解とご尽力により、

新しいコンセプトのもとに訓練校をスタートすることができた。


今までは、毎年、塗り専攻と蒔絵専攻の訓練生を同時に募集していたが、

今年度から、蒔絵専攻と塗り専攻を毎年交互に募集することとした。

訓練期間は従来通り2年間。

今年度は蒔絵専攻4名が第8期生として入校した。


訓練校運営委員会では昨年カリキュラム委員会を組織し、

運筆法等の基礎実技力、図案力、商品開発力のそれぞれの強化を柱に

蒔絵専攻に特化したカリキュラム編成作業を行った、


指導にあたるのは、現役の職人の方々を中心に、

県立博物館の学芸員、ハイテクプラザ研究員等外部の専門分野の方々も含め。

総勢30名を越える精鋭たち。


ご自身のお仕事の時間を割いて訓練校に足を運んでご指導いただくことに対しては、

その高い志しにただただ感謝、感謝。


会津は昔から蒔絵等の加飾が盛んに行われていた産地。

加飾は今後の会津塗の差別化にとって重要な技術。

今の時代や雰囲気にマッチした図案のデザインであれば、必ず受け入れてもらえるはず。

新しい訓練生には、技術と同等にそういった図案力を身に付けてほしいと願っている。


最初の授業は漆概論。

担当いただくのは、漆掻き職人として漆を知り尽くしている谷口吏氏。

訓練生4名だけではもったいない。。。

私も聴講したい・・・・


明日から2年間、長いようで短い訓練期間がスタートする。





会津漆器協同組合が運営する「会津漆器技術後継者訓練校」の

第7期生卒業作品展が、下記の通り開催されています。


日時:2月23日(水)から27日(日) 午前10時~午後5時(最終日は午後4時まで)

場所:会津若松市内にある町方伝承館


塗専攻3名、蒔絵専攻2名が2年間で制作した習作や卒業作品が展示されています。

ぜひお越しください。

そして、3月に修了式を迎える訓練生に声をかけて下さい。



先日、約35年前に買った山本剛トリオのレコードを聴くことができた。

すっかり忘れていたレコードを久しぶりに聴き、只々感激でした。


レコードは、山本剛トリオの「ミスティー」。

ねずみマークのthree blind miceというレーベル。

ダイナミックレンジが広くクリアな音質がウリのレーベルだと記憶しています。

レコードの帯にはスイングジャーナル主催

第8回ジャズディスク大賞、最優秀国内録音賞受賞と書いてあります。

当時オーディオに凝っていて、ジャズの雰囲気も好きでしたのでオーディオ雑誌を見て買ったのだと思います。


久しぶりに聴いた山本剛、そしてそのレコードの録音は、

頭の隅に残っていたイメージと変わらずとても素晴らしいものでした。

私は、ミスティーの曲しか記憶に残っていなかったのですが、

それ以外の曲も素晴らしいこと、山本剛のピアノにぐいぐい引き込まれてしまいました。


では、このレコードをどこで聴いたのでしょうか?

それは、自宅ではなく(もうレコードは聴けません・・・)、

会津若松市内栄町五番街ビル2FにあるDorothy(ドロシー)というジャズ喫酒(バー)です。

いつもジャズのレコードが流れていて、心休まる空間です。

前回お邪魔したときにマスターとの会話の中で、

私が「昔買った山本剛のレコードいいんだよねぇ」と言ったところ、

マスターが山本剛のレコード(ねずみ印)を出して聴かせてくれました。

それがきっかけで、私もほこりをかぶっていたレコードを持ち込んで聴かせてもらったのです。

しかも、おいしい珈琲をいただきながら。

マスターが手動式ミルで挽いてくれた豆で丁寧にいれてくれた珈琲です。

何と贅沢な!

次回は、バーボンでもやりながら聴きたいですね。

しばし、仕事を忘れ、昔のことを思い出しながら過ごす時間もいですね。


マスターに感謝!







会津漆器の職人養成機関である「会津漆器技術後継者訓練校」が、

平成23年度の訓練生の募集を開始しました。

今年度は、訓練生の募集を休止しましたが、

次年度は蒔絵専攻希望者を募集することになりました。

詳しくは、会津漆器協同組合HPをご覧ください。


会津漆器業界では高齢化が進んでおります。

素晴らしい技術を持った職人の技を次世代に継承していくことは業界の使命であります。

会津漆器協同組合では福島県、会津若松市の協力をいただきながら

「会津漆器技術後継者訓練校」を運営してまいりましたが、

次年度訓練生募集を再開できたことは、とても意味深いものがあります。


会津漆器業界では、訓練校修了後も地元会津にしっかりと根をおろし、

会津漆器の職人、クリエーターとして新しい可能性を切り開いていただける、

次世代型人材を求めております。

会津若松にお住まいの方、Uターン希望の方、大歓迎です。

会津若松以外の方でも、会津に根付いて漆器で自分の力を試したい、という方もぜひどうぞ。

ご興味がある方、先ずは会津漆器協同組合のホームページを訪問して下さいね。



みなさん、「会津・漆の芸術祭」はご覧になりました?


この芸術祭は、福島県と会津にある県立博物館が主体となって実施しているのですが、

実を言えば、博物館の館長がどなたなのか、わかっておりませんでした。

と申しますか、この芸術祭の話が持ち上がるまで、

館長という役職自体の存在を意識したことが無かったのです。


恥ずかしながら、赤坂憲雄氏のお名前を聞くようになったのはつい最近になってからです。

たぶん以前にもお聞きする場面はあったかもしれませんが、

頭の中のフィルターから漏れていたのかもしれません。

赤坂氏の経歴についても当然存じ上げておりませんでしたが、

実は今回がきっかけで俄かに興味がわいてきておりました。


どうしてこのような「私の無知ぶり」の話を持ち出したかというと、

先日、山形市に行った際に、

たまたま七日町のショッピングビルに入っている宮脇書店という本屋に立ち寄ったのですが、

そこで偶然、赤坂氏が関係する書籍が沢山置いてあるのをコーナーを発見したのです。

たぶん、私が良く行く福島県内の書店にも置いてあると思いますが、

はっきり意識したのは今回が初めてだったのだと思います。


これはぜひ!と思い、著書の中から

「いま、地域から」赤坂憲雄エッセイ集:東北学2001/2007を購入しました。

月刊誌に掲載された長期連載エッセイをまとめたもので、

熟考の上、赤坂氏のお考えの一端を知ることができるかな? 

という考えに至り、この著書を購入した次第です。

何分10年前からのエッセイでありますので、

今の赤坂氏のお考えは更に変化していらっしゃることでしょうから、

「この本で私を決めつけてもらっては困る」というお声が聞こえてきそうです。

芸術祭のイベント等でこれからも、

赤坂氏のお話しをお聴きすることができるでしょうから楽しみしております。


自らの足と知を働かせ「東北学」という活動をされきた赤坂氏が

会津の地にある博物館の館長というお立場で、

どのように会津を、そして福島を編集していくのか、見守っていきたいと思います。



余談ですが、先日会津漆器協同組合主催の研修旅行があり、

岩手県二戸市浄法寺町に行ってきました。

そこでは、市の担当の方から、お忙しい中お話をお聴きすることができたのですが、

その方は、赤坂氏の著書を読み大変共感していると話されておりました。