石川県輪島漆芸美術館へ行ってきた。
丁度、展覧会 「漆芸の未来を拓く ~生新の時2011~」 が開催されていた。
大学、大学院で漆芸を学び、
今春卒業及び修了した方々の漆芸作品が展示されたこの展覧会は、
今年で4回目の開催となるとのことであった。
金沢美術工芸大学、金沢学院大学、富山大学、東京藝術大学
京都市立芸術大学、東北芸術工科大学、広島市立大学の7大学から
計41点を紹介している。
これだけ沢山の大学で漆芸を学んでいる若者がいることに驚いた。
多分、この展覧会で取り上げられている大学(短期大学含め)以外でも
漆芸を教えているところがあるだろうから、認識を新たにした。
彼らは、彼らなりに漆芸を学んだ訳だが、
漆の可能性について、現時点でどのような結論をだしたのだろうか、興味がある。
作品を拝見すると、多くが漆を材料に自由な発想でアート作品を創造している。
漆を使うことの必然性をいつも考えている。
乾漆は漆を接着剤として使用する技法だと思う。
自由な形を軽量に手に入れることができる。
漆でないとできないものかもしれない。
では、表面の塗装はどうか。
漆の持つ独特の質感、漆芸技術でないとできない表現を求めて漆を使っているのか。
作品のコンセプトを表現する上で、漆を使う必要があるのか、
漆以外の塗料や表現でも良いのではないか、と考える時がある。
ボディーが乾漆であっても表面塗装は漆にこだわらなくても良いのではないか。
別な言い方をすれば、表面表現に漆の必然性をしっかり考えているか、というこことになろうか。
漆芸アート作品をつくるので表面塗装は漆です、と無条件でそう決めていないか。
私は、漆を使うことの必然性から作品のコンセプトを導き出すことが、
漆の可能性を発見することに繋がるのではないかと考える。
ぜひ若い方々には、その清い心で漆そのものを深く考察して欲しいと思う。
大げさな表現になってしまうが、
手もとにある精製されたチューブ(桶)入り漆がそこに辿り着くまでの、
そしてこれから向かう未来への、
壮大なロマンを感じて欲しいと思う。
逆に漆の有機物資としてのメカニズムのミクロ的ロマンも同時に感じて欲しいと思っている。
こんなことを書いている私自身、いつも模索している。
私の目の前に、どうだ!と漆の可能性を突き出して欲しいと願っている。