不幸のブログ  -24ページ目

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




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最近は音楽を聞く機会が増えています。


実は正月明けから頻繁に音楽を聴くようになりました。


大体が大昔に聞いていた”ふきのとう””オフコース”
”ベイシティーローラーズ”といったミュージシャンの物で

懐かしいなと思いながら聞いていました。


マンドリンクラブ時代に自分が演奏していた曲目を
YOU TUBE で見つけて聴いたりもしますが


本当に音楽はその時代の記憶とともに
私の意識に入ってくることを体感しています。


音楽の記憶は私達の昔の記憶を甦がえらせる
そんなきっかけにもなっているのではないかと
以前に触れてことがありますが


私などは若い時には生活の中で
絶対必要なものでもありました。


そしてそれは時には私達の心を
癒してくれるものでもあると思います。


それは聴覚からではない刺激であることも
私達にとっては脳機能の育成に
有効なのかもしれませんし


更には過去の記憶を呼び起こすことで
何かを感じるきっかけになるのかもしれません。


時には気分転換に音楽は如何でしょうか?


過去に好きだった曲を聞くのが良いでしょうし
ここ10年ではKIROROなど癒される曲を聞くと
心が洗われるとか心地よい時間を過ごせるかもしれません。

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私達の心とは一体どんなものでしたでしょうか。


私は其れを本能とそして自らを心地良くしたいと願う
エゴによって出来上がっているものだと表現しました。


私達はありとあらゆる事象を本能と心の価値観を持って
目と耳と花と口を使用しては体験します。


そして私達が煩悩と言われるものは
そのようにして出来上がるのだと私は認識しています。


私達は”心”が外部からの刺激に
どのように反応するのかを分析する事が出来ます。


以前に食欲や物欲を例にして
この事を取り上げました。


食事すら満足にできない状況に晒されると
私たちは例え塩むすびであっても其れを美味しく食べる事が出来ます。


しかし裕福な環境に置かれ日々ご馳走を食べていると
その後は何を食べても満たされないでしょうし
食べることに感動もないかもしれません。


例えば私達は正月にはおせち料理をつくり
普段には食べないもの、食べられないものを口にする機会が出来ます。


しかし日々ご馳走を食べている人間にしてみれば
見た目は兎も角、おせち料理などご馳走にはならないでしょうし
其れを食べて感動する事も無いはずです。


通常食べているものがご馳走であれば
それはもはや本人にはご馳走とは感じないでしょうし


今まで食べたことのないものや珍しいものを食べることで
その人は満足感を得ることになるのかもしれません。


日本は豊かになったことで食生活が変わりました。


以前は正月にしか食べれなかったようなものが
正月ではなくても口にする事が出来るようになりました。


鯛や伊勢海老だって数の子だってイクラだって
正月以外でも食べることが出来ますし、
季節の食材だっていつでも食べれるような環境になっています。


その結果、私達は同じ食材を食べるにしても感動が無いのです。


そらは私達の心が、同じ刺激を頻繁に受け続けそれに慣れ親しんでしまった事で
心が以前ほど心地良く感じなくなってしまった事に由来します。


そしてエゴはこのように
どこまでも際限なく心地良さを追求する事になります。


物欲も同様に説明しました。


自動車免許取り立ての自動車好きの人間であれば
自動車に乗りたくて仕方がないと思います。


当初は家族に借りた自動車を乗り回すかもしれませんが
休日は父親が使うからダメだと言われれば
中古でも良いからいつでも乗れる自動車が欲しいと思うことでしょう。


中古を買って乗り回していると新車を見かけ、
彼女とデートするのに自分も新車が欲しいと考えるかもしれません。


自分の自動車に乗って歩いていると
向こうからスーパーカーが走ってきて
自分もそれが欲しいと思うかもしれません。


私達のエゴと欲求は果てしないのです。


アダムスキーは、「私達の心は
とても自分に甘くその欲求は際限ない」と語っていました。


まさにその通りだと思います。


もしも私達がそのエゴを矯正しようとしなければ
私達はエゴを際限なく増幅していくことになるのです。


外部からの刺激にしてもそうです。


どんな刺激がどの人間にとってどんな影響を与えるのかは
人それぞれ異なる事になりますが


私達は通常外部からの様々な刺激をうけては
それに心を持って反応し続けています。


心が不快と感じる事を受止めると

私達は怒る事になったり不快感を感じる事になります。


そして心が心地良いと感じる事を受止めれば
それに反応して喜びますし嬉しいという意識を感じるでしょう。


嬉しいや喜びは勿論良い想念ですが、
それを表現するために必要な刺激がどんどんと贅沢なもの、
特別なもの異なってしまえば


私達は其れを感じる機会を失っていまい
普段は不快感や怒りばかりを頻繁に感じる事にもなりかねません。


そのためにも私達は心に贅沢を覚えさせないために
心の節制を意識する必要があるのです。


私達の心が如何に甘やかされているか
そして私達がそれに影響を受けているかという事を


先ずは自分の心の動きをみつめては
実感して頂きたいです。


そして心を矯正するように努める事が
私達が進化を果たすための課題であるということです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

追加



ちなみに新しい装置を作り上げたようで
タバコに火をつけるとそこに電磁波の磁界を作り上げて
私に影響を与えるを実行し続けています。


科学を悪用し生きていて精神性がまるで
伴っていない連中がこの社会を壊し続けているのです。

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同和部落と在日部落の連中に
痴呆症になるまで電磁波で脳を引き回すを実行されています。


明日以降どうなるかは不明ですが、
この練馬区早宮の地域には恐ろしい連中が
集っているということを是非とも忘れないでください。


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練馬区早宮1丁目付近の人間が
今度は暴挙に出ています。


私に対しての嫌がらせのつもりらしく
よりによって私の妻の首を絞めて殺そうと
画策しているそうです。


これは確実な線から聞いた話なので
間違いないと思います。


最近頻繁に妻が妙な咳をしますし
一方では排便妨害をも画策しているようなので
おかしいとは思ったのですが


私を直接狙うのではなくて
私が執着している人間として妻を狙おうとしているということです。


やっているのはこの地域の住民の中の
在日関係者の一部のようです。







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私が自覚している暗示は、
先ずは私の判断能力を落とす事からはじまります。


脳に人工ニューロン(飲食物と薬品で作り上げたひも状の物)をつけて
電気的刺激を与えたりそれを引っ張ったりする方法で
思考能力を落とすことから始まります。


思考能力を落とすだけではなくて時には怒りなどの感情をも
特定箇所を刺激する事で仕掛けてくるのです。


彼らがそれを狙う理由は一つには運動能力や
気力を落とすことで外出を妨害すること、
そして室内に閉じこもらせることだと思います。


室内に頻繁に居るようになると、
今度は近隣住宅などで電磁波設備が強化されたり、
頻繁に工事が始まるようになり


そこで発生した電磁波を利用しては更なる暗示や洗脳に
利用してくるようなのです。


強い磁気や電磁波に晒されないためには
室内に閉じこもっていると危険だという事です。


そして一番危険なのが就寝時です。


寝ている箇所を中心に強い磁界を作り上げて
そこに大量の電磁波を集結させては
脳へと影響を与える、そんな手口が用いられているようです。


色んな不可思議な病気、例えばもやもや病などが
鬱と並行して発症するのは
恐らくはそんな磁気や電磁波の影響を
寝ている間に受けているから。


以前、もやもや病の患者が寝ると症状が出ると
TV番組で取り上げていましたが
恐らくはそんな原因があったのではないかと想像しています。


その影響は地道に外にいる時にも
感じるようになるはずです。


私が自覚した一番最初の症状はまず、
建物や電磁波の強い場所での思考能力低下や
身体運動機能の低下でした。


脳が締め付けられるような状態になり
それが私の脳機能を低下させるのです。


そんな事が続けば私達は運動能力や思考能力
更には精神状態まで変貌されることになります。


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まず私達が知らねばならないのは
既存の知識として電磁波被害を受けている人間達が
主張しているような内容だけでは片付けられない


特殊な技術も存在しているらしいということ。


私が初めて彼らの脳への暗示や強い影響に自覚したのは
二年程度前だと思います。


そして直接洗脳を意識する事になったのは
一昨年の8月当初。


自分の意識がある程度戻ってからですが
恐らくはその頃が一番最初に
強い影響下に置かれている事に自覚した頃です。


ちなみに今も周囲の家から強い磁気や電磁波の影響を受け続けながら
この記事を書いています。


パソコンのある部屋には、大量の酸らしき成分を
頻繁に散乱させられるのですが


それを吸い込んだ状態で特定の箇所に電磁波の影響を受けると
例えば体が動かなくなったり

脳機能が制限されることにもなります。


私に対して何故にそんな行為が繰り返されるのか?


言うまでもなく私が以前からこの社会のあらゆる間違いや不正を指摘し、
一方では”真理の欠片”を語って居ることが
闇の支配者層の人間達には気に入らなかった事。


更には私の存在を抹殺することで
自分達の組織に悪影響を及ぼすことを
防ごうとしているのではないかと想像しています。


そのためにも私は長い時間室内にいたほうが彼らにとっては良いようですし
できれば長い時間い大人しく寝ているような状態に仕立てあげたいようで

その事を意識しては私への関与を繰り返していると思います。


脳機能が低下すると一体どんな状態になるのか?


運動機能の低下で正常に歩くことさえ出来なくなりますし
素早く動くこともできずにフラフラと歩く羽目にもなります。


脳の栄養不足を誘導されるので
栄養が切れるとイラつきやすくもなりますし眠くもなります。


とても頻繁に長い時間外を出歩く状態ではなくなるのです。


私の場合は劇場型洗脳だと説明していますが

その状態で今度は暗示を頻繁にかけてきます。


脳の特定箇所の刺激や薬品の使用で
私は意識が半ば正常ではなくなり
その状態では簡単に暗示を受ける状態になります。


そこに尤もらしいことを音声送信で語りかけては私の行動を誘導したり
特定の行動をしている時に電磁波を浴びせさせ、
脳や身体が不健康になる状態を仕向け
行動を制限されるそんなことが続いています。
(条件反射です)


個々の詳細に関しては別の記事で出しますが
私はそんな状態の中で時折正常な意識になる時期があり


その状態を保とうと勤めては
機会を見計らっては記事を書いている状態なのです。


そんな状況が続いているという意味では
私も未だ電磁波の影響の真っ只中にいると言えます。


多くの方が電磁波による見えない影響で苦しんでいるようですが

その原因の多くは闇政府の人間達の傀儡の手による
行動制限や思考制限、思考誘導が目的であろうと考えています。


今は自分が受けている電磁波の影響を分析しては
それに効果的に対応して
少しでも健全に生きて欲しいと思います。



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久しぶりにコメントします。


最近はすっかり色ボケになっています。


やたらと女性に目がいってしまうのです。


私の不徳の致すところと言えますが
今後の新たな課題として
改善して行かねばならないと考えています。


このことはかつて自らに課した戒律が
私の分に不相応だった事に由来すると思います。


というのも私は以前に
自分で多くの戒律を意識していた時期があります。


私の自らに課していた戒律は
「喜怒哀楽を強く出さない」という事以外では
例えば、「自尊心をなくす事。」


これは自分の能力を過大評価したり
自分を美化しないで現実を見つめる事


更には努力や能力の足りなさを素直に認めることで
減らすことができました。


「自分は大したものではない。」


その事を理解することが何よりも役立ったようです。


更には


「羞恥心や物事への執着を捨てること。」


これは精神的なものばかりを意識するようになり
趣味嗜好を意識しなくなり
そのために欲しいものがなくなった事、


更にはアダムスキーの言葉にあったように


「必要なものは手に入る、手に入らないのは
神がそれを自分に不要だと考えたからだ」


という言葉を意識するようになったからだと思います。


働くことができず貧乏な環境も都合が良かったかもしれません。


天使達の実社会において子供に教える数少ない戒律が
「必要以上にモノを欲しがらないこと」でした。


そんな話を意識していた事や
毎日が記事を書くので精一杯だった事もあり
趣味を意識しなくなったという事だと思います。


音楽は聞きましたし時にはギターも弾きましたが
それも頻繁ではなかったです。


羞恥心に関しては
他人を見て、以前と異なった感情を持つようになったこと。


残念ながら天使たちの様に他人を見ては神の分身とは
思えませんでしたが、


アダムスキーが言っていた
「天使達は地球社会をみれば一瞬で
私達に角が生えていることを見抜く(悪魔という表現)」

という言葉にもあるように


他人を見ても以前の様にその視線を意識して
それに好かれたいとか良く思われたいという意識を
持つことがなくなりました。


多くの人間は価値観がずれているのですし
私達が正しい価値観をもって生きたとしても
それを誤りとして批判されるかもしれない事は言うまでもありません。


そんな他人の評判や世間体を意識しても
自分の精神性を乱すことはあっても
それを高めることにもならないと判断しました。


それを意識する事でこの社会の慣習にこそ
習うことになってしまいそうだと考えもしました。


食欲もそうです。ワケアリで自ら食を制限する羽目になりましたし
その中で過度な飲食を必要としなくなりました。


そして常に自らに課していたのは
「異性を見ないことでした。」


外では夏場でも薄着の女性がいようと視線を向けないようにして
TVではベットシーンが始まると目をそむける。


そんな事を実行していました。
女性にも男性にも全く同様に接することをも意識していました。
(これは良いことだと思うのですが)


その理由は色々ありますが、
以前は性的なものを意識すると切りがなかった事もありますし
わけあって性的な行為ができない境遇にあったからでもあります。


そして性を意識しない事が自分を高めると
思っていたということもあります。


しかし元々が異性に意識を向ける事が多かった私が
無理にそれを我慢し続けた事で


器的には足りなかったらしい私は
そこで多くのストレスとトラウマを持つ事になってしまったようです。


アダムスキーが語っていた
何事もリラックスして程々にというその内容を実行することなく


私は自分を過信しては
余計なストレスを作り上げてしまったということのようです。


私達の個々の人間にとって優先すべき事やその程度は
一人一人異なるというのが生命の科学における私達の戒律でもあります。


食欲を断つことが難しい方が
以前の私のように食を制限したりすることは大変でしょうが
その方は私と異なり異性を意識しなくても平気な人間だと言う事もあるでしょう。


私達はその器相応の戒律を自らに課して生きる事が大切なのだと
自らの今の精神状態を見つめて反省しているところです。


つまりは私にとっての過失のようなものだと考えています。


無理な禁欲が逆に私達を捻じ曲げる


そう語っていた私自らがその過ちを犯したわけです。


まだまだ学び方が足りないようです。


私の理解者・兄弟姉妹も自らの資質を過大評価することなく
そしてストレスや極度の緊張をすることなく
リラックスしながら独自の戒律を意識してください。


私のようにトラウマやストレスを作ると
そのあとの改善が大変なようです。


是非とも気をつけて下さい。


本題です。

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私達が誤った価値観を積み重ねると
それは時には修正が難しくなると言う話を
以前に取り上げた事があります。


ジグゾーパズルの例として私が触れたものです。


ジグゾーバズルは収めるべき場所が決まっていて
それ以外の断片は其の場所におく事が出来ません。


それぞれの真理の内容と
収まる場所が決まっているとでも理解ください。


もしも誤った断片を置いてしまうと
今度は其の隣には置けるべき断片が置く事が出来なくなります。


その周辺はいつまで経っても
正しい断片を収める事ができなくなります。


真理も同じだという事です。


正しい理解があれば、
それに派生する物事も正しく認識できますし
物理法則で在れば正しい応用が出来ます。


しかし誤った解釈をしてしまえば
その後はその派生したもの全てが
誤りを含むものと成ってしまいます。


ピースも誤った断片を置くと
其の周囲には別の断片を置く羽目になり


その周辺だけは整合性があるように見えますが
全体を見た場合、其の周辺は間違いだらけということになります。


例えばこの社会の超能力とかテレパシーの研究を考えてみてください。


私達は超能力と言われているもの全てが
テレパシーの延長にある事を理解しています。


例えば透視と言われる能力は
ものを透かして見る能力ではありません。


その物質の出している形の波動や色の波動を
私達の魂が受け止めて脳へと情報を送る事で可能となる能力です。


これだってテレパシーです。


しかし私達はそんな超能力をいくつにも分けて
別々の源泉を持つ能力だと勘違いしてもいます。


しかし全ては想念とテレパシーで説明がつくのです。


メタルベンディングもサイコメトリングも同じです。


そしてこれらの能力を研究するのであれば
私達は何よりもそのテレパシー能力を高めること


つまりは精神性を高めることを第一に意識しなければ
これらの研究はいつまで経っても進むこともないでしょう。


そのために地球社会ではテレパシー能力の研究が
遅れていると言えます。


真理を捉えておらず、誤った価値観をもって
それを測っているから、


そして単に試行を続けることで
その能力が高まると勘違いしているからです。


その意味でも私達は正しい価値観をもって
その上に更なる知識と知恵を積み重ねていくことが
大切なのだと言えます。


過失を犯した時、誤った価値観を持ってしまった時でも
私達がその間違いに気がつく事が出来れば


その後関連した事象に関して
私達は正しい理解を示す事もできますし


修正された事で
それに関連する更なる真理も正しく解釈されます。


私達が意識すべきは何事も四つの感覚器官を
フルに使って体験する事と、


その結果に関してはそれが過失と感じたならば
反省し改善する作業を続ける事。


それによって私達は心の価値観を
魂の意識に置き換えていく事が何よりも大切だということ。


そのためには誤りも体験であり
そこから何かを学び取る機会であるということを
学ぶべきです。


私達は誰もが罪人です。


明らかに人に迷惑をかけるような行為を除いてですが、


過失を恐るのではなくて何事も積極的に体験し理解し
自らの改善を図ることが出来る人間こそが
自らの意識を高め、父の元へと帰ることになるのです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
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私達の通常の行動は常に無意識のうちに
恐らくは心の価値観に従ってそれが心地良くなる事を
意識している事が多いはずです。


好きな人に声をかけようとするのも
私達が自ら優しくされて心地良くなりたいと言う
心の反応でもありますし


怒鳴られて、其れに対して怒るのも
私達が自我としての自分の意志を尊重しているが故に
それが不快になる事が心地悪い我ゆえの反応と言えます。


つまり私たちが無意識に反応する時は
心の価値観が大きく関わっていると言えるわけです。


そんな私達ゆえに、その行動は決して適正とは言えず
つまりは神の意識に従っているとはいえません。


その時は感情に走ってエゴをぶちまけて
その後に不快な想いをする羽目になるかもしれません。


思考して理性を持って対応したつもりでも
その後罪悪感を感じて自らを責める事もあるでしょう。


そのような意識こそが私達にとって尊いと言う事。


何かを結果として体験した場合に
其れを単なる一時点の記憶や出来事で済ますのではなくて
そこなら何かを学ぶ姿勢こそが私達には大切だと言う事です。


アダムスキーがここで触れている過失に関しては
私達が印象とか罪悪感として受け止める事になるものです。


その時は自分の意志で其れを実行したけれども
其れが齎した結果に自ら不満が残ったり後味が悪い想いをするという
そんな体験をした事があるかと思います。


其の不快な想いは意識が私達に過失を犯した事を
伝えているのだと理解する事が出来ます。


アダムスキーはその時には其の相手の立場になって
考えなさいと触れていますが


私達が他人を自分に置き換えてそれを意識する事で
正しい対処の仕方が理解できると言う事だと思います。


その時の私達は自らを客観的に意識する事になるはずです。


更には他人の立場を理解し其れを重んじようと
いわゆる思いやりのような物をも意識する事になります。


何よりもその時の自分の意識を分析する事になりますし、
そんな場面で学べば、そしてその事をしっかり心に刻み込めば


次は同じ間違いを繰り返す事なく
似たようなケースに応対し、より良い結果を導く事にもなります。


つまりは其の体験で私達はそこで何かを学び
自らの心の価値観を意識の価値観に置き換えたことになります。


失敗からこそ多くを学ぶ事が多いと言うのは
まさにこんな繰り返しが私達が心の書き換えを
意識させる機会と成るからだと思います。


私達は知識として何かを紐解いて
其れをそのまま実行すれば確かに過失は
小さくて済むかもしれません。


しかし一旦正しいとして心に植えつけた価値観は
その後そう簡単に変更する事も出来ません。


その知識を元に実行する行為が実はセカンドベストであった場合
私達は同じ場面に対処する時は同じ解決策を見出す事になります。


しかしマニュアルに拘ることなく常に自分の魂を意識する分には
当初のサードベストが何時しか最高の解答へと
到達するようになるかもしれないわけです。


そのためにも私達は何よりも自分の経験こそを
大切にすべきであり、そこから学ぶことはそのまま
私達を宇宙的意識や記憶へと導くものであるということです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】

さらに追加コメント


私の住んでいる練馬区早宮周辺に集っている
心無い人間が私の周囲を取り巻いては
精神状態をも下げ続けています。


年配者がその中心です。


今日は”発狂引き”なる攻撃を受けています。


脳がどんどんとイラついては
怒りで収まらなくなる様な状態を
強力な電磁波で仕込んできているようです。


強い電磁波で脳に刺激を与え続ける
更にはそれで脳内の水分をどんどんと蒸発させてきます。


今朝は脳の影響で両手がしびれ
左手は感覚までなくなりました。


目的は私をヤクザのような人間にしたてあげ
悪人を成敗していると言い訳することのようです。


半狂乱状態にさせて暴れさせる事も
目的のひとつのようです。


もうひとつは胃腸の中の排泄物を詰めて

呼吸障害を引き起こす事のようです。


この手口で殺されると

睡眠時無呼吸症候群や

心筋梗塞のような状況を作り上げることもできます。



この手の殺人のプロフェッショナルの可能性もあります。


過去からそんな事を繰り返しては

何の反省もなく、未だにそんな事を続けている

心無い人間たち。



私と妻はまさにそんな中で暮らしているところです。



真理を語ることをも妨害したいようで
只管私の精神性を落とし続けてもいます。

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追加コメント



練馬区早宮1丁目近辺には電磁波を使用した殺人集団がいます。



私をヤクザ扱いしては悪い奴を成敗すると嘯きながら

電磁波による殺人行為を繰り返しています。



自分達が私達を洗脳したり肉体機能を壊したことの

証拠を隠滅する目的でもあるようです。


私や妻に対して脳機能直撃や呼吸狙いの攻撃を繰り返し
殺人未遂を続けているようです。


そんな心無い人間達が今日も外部から仲間を引き連れて
朝から私達の命を狙い続けています。


その中心は近所に住む人間たちのようです。



2015年2月13日 AM9:18


http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11101950849.html


【過去を分析して訂正する】


私は常日頃「何事も経験だ」と語っています。


百聞は一見に如かずといいますが、
私達が他人から聞いたり書物を読んで得た知識などが


私達に一体どれだけの事を認識させてくれるのかと言う事を
考えてみてください。


百科事典でヤドカリやカニの姿を眺め
其の生体を何となく理解する事を考えて見ます。


確かに姿も何となく覚えますし名前も
更には生息地をも覚える事になるかもしれません。


しかしそれは平面を眺め、他人の知識を自らの知識に置き換えた行為であって、
それから得るものは決して多くは無いと思います。


もしも私達が直接磯に行って、其の岩場でカニを見つけ
其れを手に取って眺めれば、カニが泡を吹く姿や
餌を食べる姿、歩く姿をも見る事が出来ますし


砂浜や岩場を貝殻をまとって歩いている
ヤドカリの不可思議な姿を見つける事にもなるでしょう。


この時の私達の体験は一度に多くの感覚器官を
使用してその現象を認識する事になります。


調べ物であれば視覚を通じて知識を入れる事になりますが
自らの体験となればそれは視覚だけには及ばす、


周囲の環境をも含めて聴覚や嗅覚をも伴った記憶となるでしょうし
同じ視覚でも其の映像は立体です。


視覚をもって生命の動きを見つめ、
潮の香りを嗅ぎながらそして波の音を聞きながら

時には岩場でとった生命体を食べながら
更にはいろんな思考までする事になるはずです。


四つの感覚器官をフルに使用した上で
自ら思考し更には魂まで活用する事になるかもしれません。


そこから得る事が出来る知識は
ヤドカリやカニの学術名称を知っているよりも


其の生体のうんちくを知っているよりも
遥かに役立つのです。


恐らくは知識として理解する事よりは
実際に生命を探求するその姿勢は
宇宙的体験に近いとも言えます。


勿論、知識として持つ事が悪いと言っているのではありません。


何かを知ろうという意識はとても大切です。


何事にも興味と好奇心を持ってそれを理解しようとする。


これは私達のあるべき姿だからです。


ただ、私達の社会の中においては
他人の知識や見聞きした事が必ずしも
正しく伝わるとは限りませんし、


それ以前に生きた知識や知恵を持つためには
自らが体験の中で何かを学ぶ事によって
それを養っていく事が大切だと言う事です。


そうでなければ、
見聞きした事だけでその全てを知っているかのような
勘違いをする事にもなりかねません。


そしてその知識をあたかも自ら体験した真理であるかのように
他人にも語る事になるでしょう。


それゆえに自らが体験することが
重要だと言えるわけです。


更には体験、つまり行動をする事によって
時には私達は過失を犯す事があります。


私達はその過失の中から実に多くのことを
学ぶことができます。


私達、生命の科学を学んでいる人間であれば
そこから新たな戒律を見つけて
自らに課すこともできるはずです。


間違いを犯すことで時には私達は
その精神性を落とすことにもなります。


それを実感したらその体験を戒律として受け止めて
再び同じことを繰り返さないように
自らの戒めとするのです。


それを繰り返すことにより
私達は結局は無限の戒律を持つことにもなります。


当初は何も戒律のなかった私達は
神と同じ意識を持つようになるまで
永遠にそんな行為を繰り返すことになります。


その戒律は他人に押し付けられたものではなくて
自ら体験した事で進化に良くないと判断したものであり
その個人にとってとても有効なものともなるでしょう。


この戒律は勿論、人によって異なることになります。


天使たちにとって間違いとされる行為であっても
私達の精神レベルでは間違いではないこともあります。


(天使達は神の意志と異なる全ての行為を
過失であると認識しているからです)


更には同じ戒律を持つことになっても
その優先順位は異なることにもなります。


またある人にとっては真理であっても
ある人にとっては真理でない場合もあります。


例えば糖尿病で苦しんでいる人が
贅沢で味の濃いご馳走を食べる行為は
それが栄養満点であっても良くないことは理解できるはずです。


一方健康な人間であれば栄養たっぷりの食事こそが
大切です。


このような場合、ある人にとっての真理は
別な人にとっての真理ではなくなるわけです。


以前にも触れたように、
自らの進化に効率の良いものを優先的に
私達は戒律として持つことになりますし
それは人それぞれだからです。


更にそれは私達が自らの魂を進化させるためにこそ持つべきものであり、
他人を裁く尺度として持つものではありません。


私達は経験から多くの事を学び
そこから進化のきっかけを見出すことにもなる。


つまり私達にとっては「君子危うきに近寄らず」ではなくて
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の意識の方が大切だと言えます。
(言っておきますがおろかにも危険を犯せという意味ではありません)


机上の知識を大量に詰め込むことが悪いとは言いませんが
出来ればそれと並行して多くの事を自ら体験し
自分の進化のきっかけとして欲しい。


これこそが生命の科学の指針です。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】




先日と一昨日の記事が
順番が逆になっていたことお詫びします。


生命の科学に関しては過去記事のリンクを置きますので
そちらを参考にして下さい。


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この世界が出来上がった時にはありとあらゆる真理=法則が
四次元空間の中に存在していました。


しかし一方、この宇宙空間の出来上がった時から
今に至る全ての記憶や知識がアカシックレコードと言われるものの中に
存在していて私達はそこから知識を引き出す事が出来るのです。


この四次元空間にこそ、この社会の100点満点の解答があり
其の上にありとあらゆる記憶がそこには存在している事になります。


そこは宇宙空間の図書館であるとアダムスキーは触れてもいました。


アダムスキーは宇宙船に搭乗したときには
そんな空間からも知識を得ていたと言う事でした。


其の空間が宇宙空間という特別な場所であり
地球社会のような人の想念で満ちている場所でなかった事が幸いし
その印象を受けやすかったと言うこともあるでしょうし


アダムスキーが普通の人間よりも遥かに
テレパシー能力に優れていたと言う事もあるでしょう。


しかし私達だって其れを受け止める事は可能なのです。


ただ受止めた時に其れを答えと認識出来るか
其れを正しく理解する事が出来るか


答えを知るまでそれを求め続ける事ができるかと言う
問題は存在していると思います。


アダムスキーはここで”印象”に関して

それが宇宙的なものであるかそれとも地上のものであるかと言う
話を取り上げています。


キリスト教的に触れれば、それが御霊の想いなのか
地上の霊なのかという話になります。


私はテレパシーなるものが受止めるのは
想念でありそして神の意志であると説明しました。


私達が受け止めるのは神の意志だけではなくて
他人の想念でもあるということです。


アダムスキーはここで面白い例えをしてくれています。


「蚤が犬を散歩に連れて行く」というイメージに関してです。


私達人間は時にはそのような現実には在りえないものを空想しますし
私達が想像するもの全てが宇宙の法則=摂理として
有り得るものとは限りません。


そのイメージは時には人間より与えらる事になるからです。

例えば大昔から伝わる悪魔のイメージなどは
まさにその良い例だと思います。


そんなものが存在しないことは私達なら理解できますが
そんな伝承が残っているということは
誰かがそれを認識したから
若しくは見聞きして伝えた事になります。


そしてその大元はおそらくは
人間の作り上げたイメージだという事です。


つまりは魂からの真理ではなくて
地上の霊=他人の想念だという事です。


そして蚤が犬を散歩に連れて歩くと言うのも
空想ではありえても現実にはありえない事です。


しかしそんなイメージを私達は時折受け止める事にもなります。


それは神の意識ではなくて人の想念からです。


つまりこれら両者を区別する事が出来なければ
私達は真理と空想を取り違えてしまう事にもなるのです。


その結果、誤った真理の応用若しくは広報は
私達の社会の中に更なる誤った情報を
広め混乱を齎す事にもなりかねません。


そこで大切なのは印象を注意深く観察する事と
其の印象が御霊(真理)なのか地上の霊(想念)なのかを
はっきりと分類する事です。


私の経験では(知識を欲しがりました)
印象は本当に忘れた頃にひらめきました。


そして其の内容もはじめはぼんやりとしていて
それが後にだんだんと明確に浮き上がってきたと言う記憶があります。


私達がもしもその時に先入観を持って
「こうではないだろうか?」という意識を持つと


途端にその印象は歪められる事になり
真理は私達には届かないようです。


私達を取り巻く環境には地上の人間の想念・残留思念があり

天使達からのメッセージや答えとしての想念があり

更には神の意識・アカシックレコードからの知恵があると言う事。


それらを混同したり間違った閃きを真理だとしてしまうと
私達は真理どころかそこからかけ離れることにもなります。


アダムスキーはここでは私達が引き寄せの法則とか
波動の法則と呼んでいるものに通じる話をしています。


区別や分類を持たず、理解力を持つ人間に対して与えられる印象は
おそらくは真理であろうと言う話を前提にです。


資質と言ってしまってはいけないのでしょうが
特定の意識を持つ人間には其れ相応の意識が届く


そう考えて頂ければと思います。


そしてそんな啓示の全てが真理ではないと言う事も
私達は理解しなければなりません。


そして間違いなく宇宙的な啓示は存在します。


アダムスキーはそれを一時的なものである印象や閃きと
真の覚醒である宇宙的啓示にわけて触れていました。


私達にとって宇宙的啓示はかなり困難であろうと
私は想像しています。


それはそのまま過去の記憶を取り戻す事を
意味するからです。


そしてその時其の人間は永遠を認識する事になります、


しかし今の生では無理であったとしても私達には次もあります。


今の生では一時的な啓示を繰り返して受ける事が出来るように勤め
もしそれさえ出来なくても正しい方向を向いて真理を意識して生きていれば


そして父の元に帰ることが出来さえすれば
いずれは私達は記憶を持った生へと進む事になる。


その事を確信して今はこの社会での課題を
懸命に果たしていただきたいです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】



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生命の講座 第四講座 VOL7



私達の実体は無数の元素で出来た有機物だと言うのが
私達一般の人間の自分自身に対する見解です。


これは私達が物心付いた時には教育機関でそう学んだからでありますが
それは真理では在りませんでした。


私達の実体を構成しているのは肉体だけではないからです。


ところで私達は一方では幽霊とか魂なる物を一応理解しています。


これも先人からの知識でもあるわけですが、
恐らくは私達が時々は魂を使用しては想念を受止めて
不可思議な現象を体験する事によって


他人の霊魂なる物を意識する事で
認識するようになったのだと想像しています。


私達は自らの魂を認識できない状態でありながら、
他人の想念や残留思念を偶然受け止める事で自らの実態を認識させられたわけです。


しかしそれでも私達の霊魂への理解は乏しいようです。


一部では私達の肉体には何層かに分けて
霊体が重なっているという知識を伝えている方もいます。


恐らくは私達の肉体と霊魂とを結びつけるためには
幾層かに分けた状態で魂が存在しているのであろう事も想像がつきます。


其の一番上が肉体と直接繋がっていて
恐らくははっきりと元素を持って存在している。


其の一番下が意識=神のエネルギーと
直接繋がっているのだと思います。


そして一番問題となるのがその神と繋がっている魂の方です。


私達の誰もがこの部分を、四次元と呼んでいる
意識の空間に繋げているという事です。


地球の植物が地に根を生やして土の栄養を共有しているように
私達も誰もが四次元のエネルギーを共有しているのです。


もっと言えばそのエネルギーの一部が私達の本体だという事です。


例え単細胞生物でさえ作り上げる事が出来ない事を理解すれば
私達は生命を作る事は出来ないと言う事でもあります。


つまりは一定のローテーションを得ないと
生命体としての実態を生み出す事は出来ないと言う創造主の法則が
この宇宙には働いているのだと言う事だと思います。


つまり三次元にある元素をいくら化合しても
それを道具や機械として作り上げる事は出来ますが


人間の肉体と全く同成分の有機物で肉体を作り上げても
それは歩き出したりはしないわけです。


当たり前のような事ですが私達はそれを当たり前と
認識することが出来ていないと思います。


どこかで科学を万能であると勘違いしては、


私達万物に意味を持たせた存在と
その法則を理解していないからです。


元々の魂が四次元で存在してこそ、
其の生命体は三次元では元素を持って其れを表現する事にもなるのです。


若しくは肉体に新たな命として
四次元エネルギーを受け止めた物こそが
生命体として存在し得るという事。(孵化、出産、発芽)


これこそが生命の実態なのです。


ちなみに私達は母親から生まれてきた時に
転生の法則の適用を受ける事になるようです。


つまりは母親の腹の中にいる時は
仮の生命としての創造主のエネルギーをそのまま引継ぎ


そこに転生の法則が入らない時にはそのままのエネルギーを
新しい魂とした存在として生まれ


転生の法則が入った時にはその肉体は
魂の新たな器として生まれ出る事になるのだと思います。


いずれにしても私達の魂は大元の四次元の
創造主のエネルギーから派生したものであると言う事。


幽霊に足はないといいますが
その足の先は実は四次元の神の意識に繋がっているのだと言う事です。


その意味ではアダムスキーが意識と呼んでいる神のエネルギー=四次元
の一部こそが私達の魂であると言う事になります。


つまりは私達の魂も意識の一部であると言う事です。


私達すべての生命体は神の想いの一部であり
全てはその根底で繋がっているという事。


これこそが私達が理解すべき宇宙の法則の
基本原則だと思います。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】



私達は天地創造をイメージする事もできます。


アダムスキーがここでは地球社会を取り上げています。


この社会は突然出来上がったものでも偶然出来上がったものでもなくて
それは必然的に一定の法則の元に出来上がったものです。。


言うまでもなく、その法則の全ては私達が四次元と呼んでいる
神の意識の中にこそ存在しています。


例えば全くの無に見える宇宙空間でもそこにはしっかりと
肉眼では見えない元素や素粒子が存在しています。


それらが熱反応や重力反応、冷却反応を繰り返しては
地道に核となる物を作り上げ


それが更に熱融合や冷却反応、更には引力で
他の元素や素粒子を引き寄せては
其の核を大きく作り上げて行きます。


核融合の中ではあらゆる元素が地道に作られて
それが気体であれば核の周りに大気を作り上げ


液体となれば今度は海を
個体であれば陸地となってこの世界を創造したのです。


そのような過程の後に一定の準備が終われば
今度は其の空間に生命を作り上げるための
準備が起きたことでしょう。


太陽放射線のうちの有害なものを排除するために
もしかしたら最初に電離層が形成されたかもしれませんし


そして今度は放射線を使用して熱を発生させ水蒸気を上げることで
雨が降り始めて海が出来たのかもしれません。


元々は無に見える宇宙空間
真空状態の宇宙空間にそれは徐々に形成されて


その後はそこで生命を生むための
更なる進化が起きたのだと思います。


それらを全て可能としたのは勿論偶然ではなくて
恒星を中心に12の惑星を作り上げると言う法則であり


物同士には引力が存在すると言う法則であり


太陽の磁力線が惑星のバランスを取るという摂理
更には惑星は自転と公転を繰り返すと言う法則です。


こんな数学的で規則的な仕組みが偶然出来上がるわけが無く
そこには何らかの意志を感じるのが賢明な人間の意識です。


その全ての秩序が偶然出来上がるわけが無く
それを創造した存在は限りなく物理的数学的そして化学的に
優れた能力と知識を持っていた事がわかります。


そして其の存在の意志を私達は意識=四次元と呼びます。


アダムスキーが意識と呼んでいるものは
万物全ての生命エネルギーであると同時に宇宙空間全ての摂理であり
それはそのまま創造主の意志だと言う事です。


人格を持った神を想像する事ができなくても
その意志こそが四次元空間、私達が天国と呼んだ
魂の空間に存在していると理解すれば


既存の私達の価値観でも納得できるのではないでしょうか。


私達は心の感覚器官を意識しては
三次元だけを意識して暮らしている存在です。


魂の事を理解できても、それが既に四次元空間
神の意志の世界の住人であることを理解できないからこそ


私たちは自らの実態そして永遠性、更には神の意志を
理解できないでいるのです。


見えない法則が私達を取り巻いていて
無自覚でも私達はそれから逃れることはできない。


これが私達が理解すべき大原則だと言えます。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】