生命の講座  第三講義 VOL10 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。




今日は朝から苛付の種をまかれた状態で
一日中苛付を誘導さえれ続けて


夕方には激怒状態にまでされました。


この状態を齎した人間達は近所の住人と
其れに対する協力者のようです。


私の室内を盗聴しながら
意図的に私を怒らせては私を悪者扱いするのが
目的だったようです。


姑息なこの人間達がこの社会の真の悪だと思います。


語りかけが言うには

私が怒りで記事を書くと其れを実行するという

そんな馬鹿げた事まで取り決めて実行している

ろくでなし達のようです。


こんな人間が私法で日本の人間を

洗脳し逆差別しているという事がこの社会の実態のようです。

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生命の講座  第三講義 VOL10


【真理は真ん中】


私達はリラックスして何事も適度にすればよいと言うのが
アダムスキーの話でもありました。


現に私達は通常の生活の中でも何事も過度では
私達にとって不快を齎すと言うことを認識すべきです。


当たり前の事ですが、暗いと言って電気をつけても
それが明るすぎれば今度はまぶしくて不快だと言う事になります。


寒いと言ってエアコンをつけても今度は温度を上げすぎれば
それは熱さを伴い不快となります。


勉強やスポーツでも適度に頑張る事は大切ですが
それが極端になると、


もしもその結果が出なかった時には
失望してひどく落胆する羽目になるかもしれませんし
時には故障や怪我に見舞われることになるかもしれません。


結果が出た時が頂点でその後は
緊張感を無くして生き方が変わる人もいるかもしれません。


強い出た人間に関しては、何かを専門的に頑張る事が
その人間の課題なのかもしれないと想いますが

私の様な凡人は何事も程を知らねばなりません。


何もしないと私達は何も得る事が出来ませんが
かと言って頑張りすぎても糸が切れると反動が大きい、


そしてその後は精神的に
堕落するようなことだってあるのです。


そんな極端な意識を求めるのではなくて
私達は何事も適度の状態で実行することが求められています。


そう言えばアニメドラゴンボールの話の中で
主人公の孫悟空と息子のご飯が


スーパーサイヤ人の状態のままで
日々の生活を送ると言う話がありましたが


要するに、あるときだけ特別な状態になるように
勤めるのではなくて


24時間いつでも延々と同じ状態を保つように勤める事こそが
大切なのだと思います。


そして24時間、常に一定の状態でいれるような精神状態こそが
私達にとって無理のない自然な状態だと言えます。


勿論その中でも小さな努力や改善をして行く事は大切です。


しかしその状態を一時で終わるのではなくて
継続する事こそが私達には重要なのです。


私達の世界は相反するものによって成り立っています。


陰と陽、プラスとマイナス、男と女
そして原因と結果です。


このような対立の真ん中において
命は生まれるというのが宇宙の法則でもあります。


例えば私達は四次元における父性原理といえる創造主の意識、
エネルギーの一部を魂として御霊の体として持ちます。


一方では母性原理として三次元において
元素を持って肉体と言うフォームを受けます。


そして命はその接点にこそあるのです。


なにか一方に偏った意識が私達を生んだのではなくて
私達を作り上げた意識は全てが二面性を持っています。


言ってみれば創造主の意識は
全てが私達が善と悪、白と黒と呼んでいるような
様々な価値観の真ん中に存在しているのだと言えます。


勿論そこにある想いに関しては
私達の心が持つようなエゴや悪と表現されるようなものは
存在してはいません。


しかしこの世のバランスは、常に極端では無い物によって
成り立っているのだと言う事にも気がつくべきです。


善と言う言葉も然りです。


私達は時には善を求めてそれを追求する余り
他人に対してまでそれを求める事もあります。


潔癖とか融通の利かないと言われるその意識は
他人に何を齎すのか?


その意識は時には分裂や争いの種にもなるのです。


そして融通の利かない其の行為は他人を裁く事にも繋がります。


私達は何事にも極端に走ってはいけない。。


極端な禁欲主義も極端な快楽主義も
私達の精神向上の妨げとなると言う事


そして極端な楽観主義も極端な悲観主義も同様に
私達に齎すものは決して進化ではないと言う事を
私達は理解しなければなりません。


アダムスキーは極度な楽観思考が
時には他人を傷つけると取り上げています。


これは、例えば自分にとって心地よい事を思考し実行し
その結果自分のエゴは満足しても
他人を不快な思いにする事だってあるという事を意味します。


この社会の中での人間関係を考えてみても判る筈です。


集団の中で独自の意見を主張してはそれをごり押し
それが自分のエゴにとっては前向きで
それを実行する事が心地良く、その結果本人が満足しても


本当はそれに反対していた人間たちは
自分達の意見と異なる事が実行された事で
不快な思いをしているかもしれないわけです。


忘年会で皆で焼肉パーティーをしたいと言う人間がいて
その人間がその主張を押し通しそれが実現して
自分は焼肉も沢山食べることが出来て満足しても


実は肉が食べられない人間達がその中に数名いたとすれば、
その人間達にとってその「個人的に心地良い思考」は
不快なものであるかもしれません。


楽観思考、プラス思考と語っていても
私達の社会における精神向上は自分の事ばかりを意識していて
未だこの程度なのだという事を私達は理解すべきだと思います。


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私の記事を読んでくれている兄弟姉妹であれば
理解してくれていると思います。


私達が意識すべきは物事の側面ではいけないという事
そして持つべき意識も楽観でも悲観でもなく
其れを両方加味した上で


其の中で最善となるであろうものを
意識するという事です。


これに関してはいつも動機と其れによる行動そして結果に関して
取り上げています。


何かを為そうとした時に私達には先ずは動機が大切でした。


それが個人のエゴから出ているものか宇宙意識から出ているものか判断し


更には宇宙的意識から出ている事を前提に
今度は悲観的でもなく楽観的でもない意識で
自分が行動した事に対する結果を想定しなければなりません。


楽観主義で言えば、
自らの行動を計画した時に取らぬ狸の皮算用をしてしまいますが


悲観的に思考すれば、其の行為が他人にどんな影響を与えるのか
自分にとって実は不快な物を及ぼすのではないかという事まで想定します。


私達の場合は其の両方を加味した上で
更にはその一時的な結果をみるのではなくて
その事が長期的には私達に何を齎すのかまで思考する事が大切なのです。


そしてその中で最良の結果となるであろう行動を選択し
其れを実行する事にもなります。


しかもその結果を見つめては自ら反省する事にも
なるかもしれません。


そこで何かを学ぶ事で次にはもっと良い選択肢を
選んで実行する事もできます。


善と悪と呼ばれるものの中にも
真理はあります。


その善と悪の判断を下したのが私達人間だからです。


しかし私達が意識すべきは物事の長所だけでも
短所だけでも偏る事になり
結果的には全ての状態を受け入れる事で

その最良の策を選択する事になる、


つまりは長所と短所、明と暗、
楽観と悲観の融合した状態であるということです。


【貴方に無限なる力の祝福がありますように】