ファティマとマリア信仰と偶像崇拝 | 不幸のブログ 

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三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。


この前の記事で触れた救急車の一件のドサクサで
作り上げられた異物が猛威を振るっています(苦笑)


妙な照射線か音波らしきものも続いています。


おかげで脳貧血が続いている状態です。


つくづく感じているのは
日本が恐ろしい国になっていたのだということ。


彼ら加害者が”正常人”だとすれば
それほどこの社会はエゴと欲に満ちた社会だと
いうことになりますね。


私は彼ら加害行為を続ける人間の意識が
正常だとは認めたくありませんが。。。


ヒグラシノなく頃に


”幹部”と名乗っていた人間が書き込んでくれた
組織的犯罪のヒントでしたが、


その中には二つのヒントが存在しているのだと思います。


日本の各地に出来上がっている集スト村ともいえる
集ストネットワークの存在。


そして被害者を脳の病気に犯されていると言う
嘘を加害者ネットワークに垂れ流していると言う実態です。


そのうちまた詳細を記事にします。


最近は目や鼻や頭皮といった風貌への被害と
性器などへの攻撃が強まってもいます。


男性ホルモン強化で抜け毛促進や
風貌改良を効果的にしているのだと想像してました。


口の周辺もシミが増えていますし
私の風貌を変えたい気配はひしひしと伝わってきています。

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闇政府の関係者が嫌う奇麗事を
私達は延々と語り、自らも実践する努力を続け
魂の進化を進める努力をしていきましょう。


人間を美化し奉る。


その原点と言えそうなものが”聖母マリア信仰”にあるかもしれないと思い、
そのことについて取り上げて見ます。


生命の科学的に、そしてイエスの教え的に解釈すると
人間を神聖化し美化し、それを崇める事は誤りで
それは生きた偶像を崇拝する行為だと思います。


イエスキリストは「私たちの師は主だけである」
と言っていたはずですし、

自らは師とよばれてもいけないとも言っていました。
(自分が偉いとか自惚れや傲慢の原因になるからだと思います)


生命の科学でも私達が模範とすべきは創造主の意志でした。


つまりイエスもアダムスキーも
創造主こそを模範にしなさいと語っていたわけです。


その意味することは、一つには私達人間は誰もが不完全なものであり、
「創造主の法則の張り巡らされた社会の中で完全なのは
創造主だけである」


という意識に基づいているはずです。


私達が聖人や神としているキリストでさえ、
創造主の意志を100%表現して実践できるわけではありません。
(イエスの転生でさえ未だに魂の進化の最中なのですから)


イエスキリストの様な存在は、目に見える身近な模範として
私達を創造主の教えへと誘導する事のできる貴重な存在ですが、


イエスキリストの想いは、自分が創造主の法を語ることで
自分を美化したいとか、自分を崇めてほしいと言うことではなくて


多くの人間が自分をきっかけにして、
創造主の意志に気がついてほしい、


創造主の意志を実践して生きるようになって欲しいという事だったはずです。


なぜなら創造主の法に従って生きていて、
創造主の意識を強く感じそれを表現していたイエスには


褒め称えられたいとか、偉くなりたいとか
奉りあげられたいという意識がなかったはずだからです。


弟子達に仕えられていた感のあるイエスは、
自分で「私はむしろ仕えに来た」とも触れていたはずです。


つまりイエスは創造主の教えである、
”人間は万物への奉仕者であるべきこと”を
実践していた存在でもあったわけです。


凡人である私達はイエスキリストの未知能力や
その思想や人柄に神々しさを覚える事になりますし、


まして見たものしか理解できない人間にとっては、
見えない神よりも、見える人間の方が信仰の対象となりがちだという
実情もあります。


それが人の子としての
イエスキリストを拝んでしまう行為にも繋がったのだといえますが
イエスキリスト本人はその事を望んではいなかったはずです。


イエスキリストはこの社会では他の誰よりも
創造主の意志を私達に正しく伝えることのできる存在でしたが、
イエスよりもそれを私達に正しく伝えることのできる存在がいます。


もちろん創造主本人の意志です。


だからこそ”創造主を師としなさい”とイエスは言ったはずですし


自分が居なくなった後に私達が学ぶべき相手は
人間の教えではなくて創造主の意識であるということ。


そのためにも魂という創造主の分身を自分の中に認識し、
そこから創造主の意志を感じて
それを実践することを弟子達に教えたのだと思います。


イエスキリストは偶像崇拝を否定していたはずです。


それなのに私達はその偶像崇拝を今でも続けているのだと思います。


マリア様信仰も、聖人信仰も

彼らが、私達が三次元の感覚器官を持って
感じることのできない創造主よりも、身近な存在であるから


それを神聖なものと感じてしまうためかもしれません。


しかし人間が創造主の意志を
創造主以上に正しく伝えることはできないのですし


何よりも私達のしていることは
聖人の思想を理解することではなくて、
その存在を美化し神聖化し拝むことだと思います。


いくら聖母マリアを信仰しようが
それが自分の魂の進化に繋がらないのは
私達覚醒者と理解者であれば理解できるはずです。


人間を神聖化してありがたがっても、
その見える姿や言葉を真似ても、
自分の魂は何もそこから学ぶことはありません。


創造主の意志に近い人間が、創造主の意志を
”実践している”のを見てそれに倣うことは大切ですが、


そこでも重要なのは”形式”をまねるのではなくて
”本質を理解してそれを実践すること”です。



スエデンボルク教会の方がカトリック教会の方を
批判的に取り上げていた内容を引用します。
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930 :神も仏も名無しさん:2012/08/04(土) 20:55:53.16 ID:Gvv7A/b/
>>924

>ルターやカトリックの教皇は
>聖句に新しい意味をつけてるわけじゃないんで

>スウェーデンボルグとまったく違うだろw


お前はどうしてウソばかりつくのだ?

カトリック教会のマリアに対する教会の教え

マリアに対して、絶対真実として教会が宣言した教え(ドグマ)は4つある。


1。マリアは神の母(テオトコス)です、(エフェソの公会議、431年)
マリアは本当の神の子を産んだ。マリアの中でみ言葉は聖霊の力によって人の体を受けた。

2。マリアは乙女であり、母である。(ラテラン公会議、649年)
神の子を産んだマリアは完全に乙女だった。出産の前、出産の時、出産の後。


3。マリアは無原罪として生まれた。(教皇ピオ9世、1854年)
マリアは救い主の母となるべきものとして神の御寵によって、
受胎の時から原罪に犯されなかった。
この意味でマリアは人類の救いの初穂である。


4。マリアの被昇天(教皇ピオ12世、1950年)
人生を終えたときマリアは身体と霊魂を天に運ばれた。
マリアは死後の腐敗を免れて、天の栄光に
預かっている。

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会議でキリストの教えの真意を決定する。。


そこでは時代の多数派の意見や、
権力者サイトの意見が正当とされてきたであろうことは
想像ができます。


しかし多数の人間が正しいと主張したと言っても
それが真理であるとは限りません。


多数決や多数派の意見が必ずしも正しくないのが
この社会の実態であることを私達は理解して、


公会議の決定による”イエスの教え”と”聖書解釈”に
限界を感じねばならないと思います。


カトリックに関して一番不思議だったのは、


イエスの説いた、”創造主の御心を実践する教え”に
イエスの肉体的母親のマリアの存在が
一体どんな意味があるのかと言うことです。


イエスが唯一の師と解いたのは創造主です。


母親を神や仏と祭ったわけでもありません。


イエスに創造主の法を伝授したのも
マリアではありません。


イエスの教えの信仰と行動の指針は
すべてが創造主に集約されることになります。


私達が奨めるべきは、
聖書解釈でも、人間を神聖化して偶像のごとく拝む行為でもないはずです。


創造主の意志を追求しそれを実践していくことこそが
私達のあるべき姿。


スペースブラザーズの社会に倣えば
私達は限りなく父なる創造主に”似る”ために
魂の進化を続けていくことになる存在なのです。


しかし実際には私達は
そんな実質的な事を放置しておいて、一方では形式的な枝葉、
そして三次元的な現象にばかり目を囚われることになっています。


だからこそイエスの教えの真意は
歪め続けられることになったのだと思います。


例え、マリア様が神に近い存在であっても、
聖人であったとしても、


それを崇拝したところで、
私達の魂を進化させるきっかけにはならない。。。


事の本質の大切さを理解出来る人間であれば
形式に囚われることの無意味さをも理解できるはずです。


逆に言えば、それが理解できないような人間で
この世はあふれていると言うことになるのでしょうか。


もしくはこの社会はそのすべてが
形式事で成り立っているのだと思います。

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ところでマリア様信仰が盛んになった理由のひとつとして
実はスペースブラザーズのこの社会に対しての
関与と啓蒙が無縁ではないと想像しています。


例えば世界中で”聖母マリアの奇跡”が語られるのは
カトリックの盛んな場所やカトリック信者に限られています。


カトリックが世界のクリスチャンの多くを占めていて
先進国の人間に大きな影響を与えていることを理解すれば


もしも、ブラザーズが私達の社会に何かを啓蒙しようと演出するときは
それを利用することが効果的だと思います。


イエスキリストが旧約聖書を理解して
その思想や人格神の存在を
民衆の理解のために引用した用にです。


つまり聖母マリア信仰の強い人間達に
何かを啓蒙しようとしたときに聖母マリアを利用する事で


ブラザーズは私達に警告をすることができますし


”マリア様”信仰の強い人間は
それを無視することもできません。


その際立った例が、ファティマの奇跡だと思います。


アダムスキーは、具体的にファティマの奇跡とその予言に関して
取り上げて触れることはありませんでしたが、


第三次大戦を間接的に回避させたのはスペースブラザーズのおかげであり
例えばキューバ危機の回避もその効果であると触れていました。


さらには米とソ連のトップ同士が
結果的にはブラザースの意志に従い核実験部分的禁止条約に同意し


両国はその後、核を戦争の実践兵器の中心に見立てて
戦闘行為に使用することはありませんでした。


地球規模の核戦争はその時に回避されたのだと思います。
(実は当初は三次大戦はアメリカとソ連の核戦争が予定されていた
というのが闇政府の当初の予定でした)


そのきっかけとなったのが
ヨハネス23世含めたバチカン関係者と、
米ソ両首脳の会談が設けられたこと。


その時に両首脳に示されたはずなのが
ファティマの第三の予言だと思います。


勿論、そのころにはすでにスペースブラザーズの実態は
ケネディー大統領もヨハネス23世も理解していましたし


ファティマの予言が彼らの仲間の手による
地球社会への核戦争への啓蒙が
その中心になっていた事も知らされていたと思います。


そして現に核は戦争に使用されることはありませんでした。


ブラザーズの主張したのは
核戦争が地球社会の崩壊、ポールシフトの原因ともなり
それよりも核による影響が太陽系に及ぶことで
太陽系の崩壊に繋がりかねないという警告だったと思います。


バチカンの関係者がファティマの第三の予言を読んで卒倒したと言うのは、
地球どころか太陽系自体が危機にさらされかねないと言う
その実態に対してだったと想像しています。


その詳細や、ファティマの奇跡を伝えた人間達の正体は
第三の予言と共に公開すると言われながら、


結局私達には伝えられていないと言う実態もあります。


ところでこのファティマの奇跡と予言が
キリスト教社会の一部では大きく騒がれ続けたのは
一つ目には目撃者が大勢居たこと。


最後の奇跡の時には
バチカン関係者もそこに陣取って確認していたぐらいです。


そしてその奇跡をもたらした人間を
当時の地元の人間達が”聖母マリア”を彷彿する女性だと
認識していた事にも由来します。


カトリック教徒にとって聖なる人間である聖母マリアと思しき人間が
奇跡と予言を持って多くの人間の前に現れた。


しかもその第一の予言と第二の予言は
そっくりそのまま実現したとなれば
(それぞれ世界大戦の勃発を予言したのです)


残りの予言も実現することになると言う
不安にも駆られることになりますし、


バチカン関係者などは予言をオカルトではなくて
真実であると捉えて、米ソに警告を促したはずです。


後に”ファティマの奇跡”と呼ばれたこの一連の騒ぎは

地元の子供が不思議な女性に遭遇したことに端を発します。


そしてその女性のいでたちが、
教会でみかける聖母マリアに生き写しで会ったことから


子供らの証言から、多くのクリスチャンはそれがマリア様からの
予言であると騒ぐことにもなりました。


でも彼女は自分の素性を語ることなく、
勿論自分を聖母マリアであるとも語ることはありませんでした。


そして1950年代には自分達の正体を
明らかにするとだけ告げても居たのです。


以前の記事で触れましたが、彼らは月面付近に基地を持っている
スペースブラザーズの一員ではないかと想像出来ます。


ファティマの奇跡の後、数十年後に
アダムスキーとのコンタクトと言う形で


スペースブラザーズはその素性を
私達に明らかにすることになったことも、


彼らが原子力に関して危険性を主張していたことも
”ファティマの聖母”の予言と一致するのです。


彼らは先進国の国民の意識を
自分達の警告へと向けさせるために


マリア様を演じて私達に啓蒙すべきことを
伝えたと考えるべきだと思います。


以前も触れたように、
なぜにキリストではなくてマリア様だったのか?


キリストを神としている人間達にとって
キリストが再臨する時はこの世の終わりの時だから。。。


イエスの再臨の髣髴させるものは
最後の審判だからだと思います。



歴史の中で、ブラザーズのような存在が、
聖母マリアらしき存在を演じながら
私達の社会へ啓蒙し続けてきたとすれば


マリア様信仰が強い人間達にとっては
聖母マリアはますます神聖な存在へと変貌していく事になると思います。


それが地球内部の人間の手によるものであったとしても
(聖母マリアを神聖化するため)


ブラザーズが演じて見せた物であったとしても
(警告や啓蒙のため)


マリア信仰の強い地域でこそ
聖母マリアに関する奇跡が報告されてきたのは
偶然ではないはずです。


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聖母マリアに関して
私は他にも色々想像していることがあります。


処女解任が本当だったのか?
それともイエスキリストを神聖化するための
方便だったのか?と言う話もその一つです。


スペースブラザーズであれば、その気になれば、
おそらくは遺伝子操作や今現在地球社会で頻繁にされている
試験管ベイビーのような手法だって、可能だったでしょう。


事実上の処女懐妊は可能なのです。


しかし、彼らの社会においては受胎は愛の内に行われ、
その子供は両親と創造主に祝福された存在として生まれ
両親の愛の中に育つと言います。


つまり創造主に祝福される存在であることと、
両親の愛の化身であることは


私達の肉体が神の神殿であり魂の器である以上
不可欠だとブラザーズは考えたのではないでしょうか。


さらに、いくら元々が進化した魂であっても


それを受けいれる肉体の両親となる人間達の存在や
その生活環境も


イエスの地球社会での魂を健全に保つためにも
大切な要因となったはずだと言うことです。


つまりマリアもヨセフも彼らが事前に選んでいた人間、
もしくは彼らは自分達の仲間を
両親として送り込んでいた可能性もあると言うことです。


きっとイエスキリストを神聖化するために
マリアの処女懐妊が強調されるに至っただけで


実はイエスの肉体はヨセフとマリアの愛の結晶として
生を受けた存在ではないかと私は想像しています。


アダムスキーは人工授精のようなことは
ブラザーズ社会では行われないと話して居ましたし


この社会の摂理を考えたときに
一番妥当な考え方だと思います。


(1+1=3とアダムスキーが説明していた
三位一体が成り立つためにも


男と女が子供を作り上げる。


異なる二つの要因が交わるときに
そこにその両方の資質を受けついだ
別のものが生まれると言うのが

この社会の創造の基本だと言うことでした)


イエスを神聖化し、神の一人子としたいときには
イエスはヨセフの子である事は都合が悪いですが、


三次元社会の生命の法則を考え
創造の基本を考えれば、
これが一番有り得る話だと想像しました。


マリアが処女懐妊であろうが、そうでなかろうが
イエスキリストの魂の神々しさは変わりませんし


イエスが偉大な魂を持っていたことも、
スペーズブラザーズの中でも特に魂の進化の進んだ存在である事も
事実なのです。


イエスキリストは偉大な魂を持つ私達にとっての師です。
(創造主を師としなさいと語ったイエスには怒られるのでしょうが)


そして私達はその人間を”人生の師”として

”生命の科学とイエスの奥義”のマスターとして尊敬し

イエスを信頼してその教えを実践していくのです。


創造主は目に見えないから理解できないという方は、
ここからはじめるのが良いのではないでしょうか。


ただ、私達がすべきことは、イエスを神聖化することでも
その存在を拝むことでも、上辺や形式だけイエスになりきることでもなく、
イエスの生き方を理解して実践していくこと。


私達は逆立ちしてもイエスキリストには成れませんし
私達が目指す事は”創造主に似る”ことです。


イエスは私達に普遍的真理への道を指し示してくれた
偉大なマスターなのです。


【地球人の神は遠い場所にいるのではなく
近くの万象の中に、人間自身の内部にいる】


私達は究極的には魂の覚醒を果たし
創造主と言う師から人生を学ぶことになります。


イエスキリストは私達がそこに到達すための
きっかけを与えてくれた存在だと言うことを
忘れてはいけないと思います。


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ファティマの奇跡と宇宙意識VOL1
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ファティマの奇跡と宇宙意識VOL5


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宇宙の真実 後編


宇宙の真実とケネディーとアダムスキーの話


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地球の分岐点で失われた三つの命VOL1
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宇宙への招待VOL1
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宇宙への招待VOL3
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宇宙への招待VOL4
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地球の分岐点で失われた三つの命VOL3