心の旅 ー自然と町並みの美しさを求めてー -86ページ目

心の旅 ー自然と町並みの美しさを求めてー

あちらこちらを楽しく旅してみたいと思っています。

趣味の写真を中心として旅先情報などをお届けします。

往還
有松には、往還という住所があります。

萩、山口、栃木など同じ住所が全国各地に点在しています。

往還を広辞苑で引くと、行き帰りとなっています。
往還には、無事に帰ってきてね、という意味が込められているようです。

とすると、往還の行き先はかなり遠いことになります。

鎌倉幕府のあった鎌倉か、江戸幕府のあった江戸のどちらかということになるでしょう。

有松の往還は、鎌倉に通じる鎌倉街道沿いの道に付けられていたようです。

念仏講









     


     

      


売木村観音堂で毎年、2月4日から48日間、行われている念仏講です。

観音堂の歴史を、観音堂の壁から写してきました。

売木観音堂の歴史
 前略 古老の言を綜合し古き歴史を回想すれば時は宝暦年代の頃今を去ること凡二百数十年前此地方一帯冷害天災の為五穀等実らず加えて悪疫流行して多数の犠牲者を出しました 此の時に當りお内の有志相諮り観音堂を建立して西国の三十三箇所の観音菩薩安置して毎年二月の酷寒の時季を選び四十八日間の間の御念仏を唱え只管お内の病魔退散と五穀豊穣を念願し続けて参りました 爾来幾星霜時移り世は変ると雖も今日に至る御念仏を唱和する声は脈々として後輩に引き継がれ水月?観音堂より静かに流れる鐘の音は彼方の山に木霊して恰もお内の安泰ならん事を象徴しております 親鸞上人曰く一切の衆生社会の大衆を慈み人類愛の自覚こそ是即仏教の根本精神なりと誠に金言であると言わざるを言わねばなりません 吾われ老人??部信仰会員一同此れ崇高なる上人の精神を銘記して益々地域社会の為に一層御念仏の盛ならしの以って先輩の労に報いる事なり我々に与えられたう使命なりと痛感する次第であります

三浦玄忠夫人の謎
謎だらけの玄忠夫人です。

1655-58年(明暦年間)に豊後から移住した医師三浦玄忠が有松近辺に移住し、その妻が豊後絞りの技術を伝え、指導したといわれています。三浦玄忠は九州臼杵藩主太田一吉の家臣で藩医であった。玄忠の妻が、有松の人々に教えた絞りを三浦絞りまたは三浦玄忠の出身地の名をとって豊後絞りともいいます。
この三浦絞りにより、絞りが広く衣服にも適用されるようになりあした。ただ、三浦夫人は、有松近辺に移住数年後、1658(万治元)年9月13日に病没した。ちなみに三浦夫人の菩提は、鳴海駅から歩いて10分程度のところにある瑞泉寺に弔われている。瑞泉寺の過去帳には「貴窓永尊祥定尼九月十三日有松村玄忠妻」とあります。

謎1
三浦玄忠夫人の名前、出生地、享年も不明です。
何故?墓石に書いては具合が悪かったのしょうか?
そのため、三浦玄忠の妻は、三浦玄忠が朝鮮出兵に出陣したときに連れ帰った朝鮮の女性であるという説もあります。


謎2
夫人亡き後、玄忠自身はどこに消えたのでしょうか?
瑞泉寺の過去帳には、玄忠の名前はありません。


謎3三浦玄忠夫婦が何故、有松村に移住したのでしょうか
(説1)有松・鳴海の人たちに絞り技術を教えるため。
親族のある豊後を去って有松村近辺に移住する理由としては弱い。
(説2)江戸まで用事ででかけ、帰り道、有松村近辺で夫人が病気で
動けなくなった。

数年で夫人が亡くなっているので、この説は信憑性があると思います。

謎4
三浦玄忠は豊後の竹中備中守に仕えていたことになっています。
( 有松しぼり編集委員会「有松しぼり」愛知県郷土資料刊行会 昭和47年)
ところが、竹中備中守は、その当時豊後にいなかったという説もあり、
(「鳴海しぼり」鳴海しぼり商工協同組合編)
混沌として不明です。


写真は、鳴海にある瑞泉寺です。
売木村の資料館は冬季は閉鎖されているが、近くの食堂に頼むと村役場の方が開けてくれるます。私も、そうして資料館を覗いてみました。

中には、村の生活を支える農機具の他に、木地師の道具らしいものも展示してあり、興味深い。

また、深山秘録の本も展示してありました。

深山秘録
元々は手写本で、売木村軒山に住む元木地師、小椋一実家の秘蔵本です。
これを元に2冊の本(私の知る限りでは)が作られています。
伊那谷に残る木地師伝書です。


木地師
木地師とは主として山中の樹木、トチ、ブナなどから、椀・盆・シャモジ等の木地(原型)を作る人々をいい、その山の必要な木を切り尽くすと、次の山に移っていく非定着の民をいいます。それが近世まで続きました。
(日本木地師学会(編) 「木地師ーもう一つの森の文化ー」牧野出版 1997から)


木地師と平家落人伝説
木地師の分布と平家落人伝説の地域とよく、似ているので色々な説があります。
(1)木地師が平家落人と名乗りました。移住先の人々から尊敬を得るためでしょうか?
(2)木地師が平家落人に生活の糧として木地師の技術を伝授しました。
愛知県でも足助を初めとして、平家落人伝説の地域が6カ所あります。

絞り染めは,

 
簡単にいうと「布地を糸で縫ったり、巻き締めて防染をして染め上げて模様を作ること」をいいいます。

堅い定義をいうと
「シェープド レジスト ダイニング(Shaped resist dyeing)(立体的に防染された染め物),つまり、絞りとは糸による布の造形です。」ということになります。

写真は手蜘蛛絞りです。

売木村へ行こう

  
長野県下伊那郡売木村は人口およそ700人、
標高1,000~1,300メートルの山々の間にあるの美しい山村。

冬の売木、夏の売木は全く別の顔を見せるます。
冬は零下10度まで気温が下がります。

春分の日には、お練り祭りが行われる。稲荷神社の春の祭典。

また、2月4日から48日間、御詠歌、般若心経、和讃などを唱える念仏講が今、行われている。村内の安全と五穀豊穣を祈るためのものです。

今、売木村に行く人は、路面が凍結しているからスノータイヤが必要ですよ。

有松への誘い
名古屋から名古屋鉄道の名古屋本線「有松」まで僅か15分です。
有松は四百年の歴史を誇る絞りの里です。今では日本の絞りの90%は、ここで生産されています。
有松の魅力は、この「絞り」と江戸時代からの町屋が多く残っている「町並み」、それに祭りです。
祭りは、6月の第1週の土曜、日曜に行われる絞り祭りと10月の第1週に行われる山車祭りがあります。山車は「からくり人形」を乗せていて名古屋市文化財に指定されています。

「有松」に来たら、まず「有松・鳴海絞会館」を訪ねましょう。1階で色々な種類の絞り製品が展示、販売されていて、2階では絞りの括りの実演が行われているほか、歴史資料が展示されています。

ここを出たら、江戸時代の情緒たっぷりの町並みや織田信長と今川義元の戦跡のの桶狭間などを有松ボランティアガイドに案内してもらいましょう。


2005年3月12日午後、桶狭間古戦場散策会があります。参加してみたらどうでしょう。

写真は、有松・鳴海絞会館前の井桁屋です。江戸時代からの由緒ある建物です。