三浦玄忠夫人の謎謎だらけの玄忠夫人です。
1655-58年(明暦年間)に豊後から移住した医師三浦玄忠が有松近辺に移住し、その妻が豊後絞りの技術を伝え、指導したといわれています。三浦玄忠は九州臼杵藩主太田一吉の家臣で藩医であった。玄忠の妻が、有松の人々に教えた絞りを三浦絞りまたは三浦玄忠の出身地の名をとって豊後絞りともいいます。
この三浦絞りにより、絞りが広く衣服にも適用されるようになりあした。ただ、三浦夫人は、有松近辺に移住数年後、1658(万治元)年9月13日に病没した。ちなみに三浦夫人の菩提は、鳴海駅から歩いて10分程度のところにある瑞泉寺に弔われている。瑞泉寺の過去帳には「貴窓永尊祥定尼九月十三日有松村玄忠妻」とあります。
謎1
三浦玄忠夫人の名前、出生地、享年も不明です。
何故?墓石に書いては具合が悪かったのしょうか?
そのため、三浦玄忠の妻は、三浦玄忠が朝鮮出兵に出陣したときに連れ帰った朝鮮の女性であるという説もあります。
謎2
夫人亡き後、玄忠自身はどこに消えたのでしょうか?
瑞泉寺の過去帳には、玄忠の名前はありません。
謎3三浦玄忠夫婦が何故、有松村に移住したのでしょうか
(説1)有松・鳴海の人たちに絞り技術を教えるため。
親族のある豊後を去って有松村近辺に移住する理由としては弱い。
(説2)江戸まで用事ででかけ、帰り道、有松村近辺で夫人が病気で
動けなくなった。
数年で夫人が亡くなっているので、この説は信憑性があると思います。
謎4
三浦玄忠は豊後の竹中備中守に仕えていたことになっています。
( 有松しぼり編集委員会「有松しぼり」愛知県郷土資料刊行会 昭和47年)
ところが、竹中備中守は、その当時豊後にいなかったという説もあり、
(「鳴海しぼり」鳴海しぼり商工協同組合編)
混沌として不明です。
写真は、鳴海にある瑞泉寺です。