もう一度言おう。
幸運のキーワードは「よだれ」だ。
ホームに降り立ち、階段へ向かおうとした僕に、彼女が発した言葉。
まず僕は彼女の独り言だと思い、次に右の肩に視線を動かした。
彼女の可愛らしい、小さな頭の重みと温もりを失った僕の肩には、代わりに幸運が残されていた。
もう一度言おう。
「よだれ」だ。
僕は日常から逸脱することをそれほど歓迎してもいないし、そもそも非日常的なことがそうそう起こるわけがないと思っている。
よくよく考えれば、想定していないことが起こることが、すなわち日常を逸脱しているという状態なのだから、そうそう起こらないのは当たり前なのだが…。
しかし、起こってしまった出来事は現実として認めることはやぶさかでない。
それが歓迎するような幸運ならなおさらだ。
難しく言ったが、平たく言えばめったに無いようなラッキーな事が起こったのだ。
普段から不幸とは思わないが、さして運が良いわけでは決してないこの僕に。
「よだれ…」
それが僕に舞い降りた幸運。
目を覚ました彼女は、ガラス窓越しに駅名表示を確認すると、慌てて席を立とうとする。
彼女の頭の重みを失った僕の肩は、汗が引いた時のように体温を奪われた。
思わず僕は肩に目を遣る。
その動きに、ドアに向かおうとした彼女が無意識に反応した。
僕もまた、目的の駅で降りるべく、名残を惜しみながら席を立とうとしていた。
その時彼女は、すでに電車を降りながらも、ホームのドア付近から動こうとせず、続いて降りる僕をドアマンのように待つ形になった。
まだ彼女が気になる僕は、ホームに降りる一瞬、彼女を盗み見る。
なぜかその時、彼女と目が合った。