12黒 滝・千葉県南房総市 | しぶきの滝ブログ

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赤目四十八滝 荷担滝

こんにちは 朝から空は厚い雲に覆われ夜明けが遅く感じられました 

今朝のような雨が降りそうな日の散歩は 半径1㎞内をぐるぐる回って8,000歩を目標に歩いています 

 

 

 

 

 

黒 滝・南房総市


 

 和田町花園地区の長者川の支流花園川に懸かる滝です。花嫁街道にある花園広場の奥に懸かります。

 滝周辺の整備された公園には木造の階段で滝上に通じる散策道あり、町の憩の場として親しまれています。滝つぼから見上げる滝は、井戸の中から見上げる懸崖はうっそうと茂る木立に囲まれ、木洩れ日を浴びた滝は躍動感がありとても美しいです

向西坊入定窟があり、不動明王が祀られている。「向西坊」とは、赤穂浪士ゆかりの人で、討ち入り後この地を訪れ、「我をまつるものは、五福寿を得ん」言って、入定つまり五殻を断って、即身仏になることにしたと伝える。和田町指定文化財。

 

     ☆倉女の伝説・和田町

 戦国時代の天文2年(1533)、後継ぎ争いで揺れている里見家は、四代里見実堯を

 甥の里見義豊が居城稲村城を奇襲し、五代里見家当主となります。

 が、里見実堯の実子、里見義堯は父の敵を討つ為、正木家の力を借り進軍し、翌天文3年(1534)義豊軍と交戦、そのまま稲村城攻防戦となりました。

 この攻防戦は里見義堯の勝利となり、五代当主里見義豊は自害、たった250日の当主となりました。

 里見義豊の正室は自害しましたが、子供を宿している側室倉女は兄とともに難を逃れ黒滝に逃げ込んだと言われています。その後、倉女は五十蔵村で男の子を出産し、そのまますぐ亡くなったそうです。

 この物語は戦国時代の女性の悲しさを物語る「黒滝哀史」として広く知られています。

 

 里見家はこのまま里見義堯が六代当主となり続いて行きますが、その男の子は後日母方の小倉の性を名乗り

 七代当主里見義弘に仕えたということです。

 

 

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本のしぶきクイズ

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ヒント① 神奈川県山北町に懸かる滝です

 

ヒント② 滝のことを棚と呼ぶそうで 「〇棚」〇は書籍が入ります

 

ヒン1.本棚 2.下棚 3.上棚