一疋の青猫 -27ページ目

SWEET MEMORIES Ⅰ




六月は 夏の扉を開けて もうすぐ 裸足の季節

あなたに逢いたくて

駆けてゆけば そこは 青い珊瑚礁 小麦色のマーメイド

ラベンダーの 夜明けの海が見たいの

そして秘密・・・


ここまで読んで 「 もしや 」 ・・・ と感じるあなたは

きっと 同世代でしょう(笑)


本日は 松本隆 × 松田聖子 名詩撰~テュルリラ でございます^^




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真っ赤な定期入れと
かくしていた小さなフォト
セーラー服着るのも
そうね 今日が最後なのね

テスト前にノートを
貸してくれと言われて
ぬけがけだとみんなに
責められた日もあるわ
だだのクラスメイトなのに

失うときはじめて
まぶしかった時を知るの

<制服>




性格は明るいはずよ
すみれ・ひまわり・フリージア
心配はしないでほしい
別れはひとつの旅立ちだから

<風立ちぬ>




四月の雨に降られて 駅のベンチで二人
他に人影もなくて 不意に気まずくなる

何故 あなたが時計をチラッと見るたび
泣きそうな気分になるの?

<赤いスイートピー>





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海は鏡ね 上手にかくした
本当の自分 映してしまう

<いそしぎの島>



一度しかない命なら
愛しあう人も一人ね
それがあなたならいいのにねって
幻の中の背中につぶやくだけ

<メディテーション>




消えるまぎわ キャンドルが明るく燃える
弱い人ね でも逢うのは今夜が最後

<今夜はソフィストケート>




この次の約束に困った顔したの
夕日の反射がまぶしかったせいでしょ


<Vacancy>





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言葉にした時
こわれてしまう
やさしい気持を
はじめて知ったわ

<赤い靴のバレリーナ>




好きな人できたら
最初は逃げるものよ
そう教わった
ママの恋のてほどき

<いちご畑でつかまえて>




「可愛いね 君」 離れてるから
「ねぇ ひとりきりなの」
知らない人が 声をかけるのよ

ちょっと あなたは あわてて飛んで来て
私の右手をつかむのよ
それでいいの それでいいの
あなたが大好き

<真冬の恋人たち>





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なつかしい痛みだわ
ずっと前に忘れていた
でもあなたを見たとき
時間だけ後戻りしたの

失った夢だけが
美しく見えるのは何故かしら
過ぎ去った優しさも今は
甘い記憶 Sweet memories

<SWEET MEMORIES>





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なかなか 歌の歌詞だけを抜き出すというのは難しいですね~

みなさまに歌って差し上げたいところですが そういう訳にもいかないので(笑)

Youtube で探して カラオケで歌って下さいね^^


名曲が多いので その2に続きます^^





「 メディテーション 」  松田聖子

小林秀雄 「中原中也の思い出」


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日常の人の付き合いというものとは異なり

詩人や作家 作曲家だったり 画家だったり・・・ その類には

お知り合いになった時には 既に亡くなっている なんてことも 少なくないですね

もう一度 お会いしたいと思いつつ 気が付いたら 先立たれていた なんてことも

一方的な片思いは 相手が既に この世にいないのですから どうしようもない

やり場のない思いから 生家や作品の舞台を廻り 墓参り なんてことをしてみたり・・・


*


中原中也 1907年 4月 29日生まれ 1937年 10月 22日没

四月になると 中也を思い出します ( 忘れている訳ではありませんが 笑 )

誕生月であることと 鎌倉に現存する 生前最後の居宅を初めて訪れたのが

上京して 大学に入ったばかりの 四月だったせいかなのかも知れません

それ以来 春になると 時折 訪れることが習慣となった この場所を

今年の春の写真と 小林秀雄の「中原中也の思い出」の記述から


「かつて 確かに 此処に」


そんな思いに耽りつつ また 今年も 振り返ってみたいと思います





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中原が鎌倉に移り住んだのは、死ぬ年の冬であった。前年、子供をなくし、発狂状態に陥った事を、私は知人から聞いていたが、どんな具合に恢復し、どんな事情で鎌倉に来るようになったか知らなかった。久しく殆ど絶交状態にあった彼は、突然現れたのである。私は、彼の気持ちなど忖度しなかった。私は、もうその頃心理学などに嫌気がさしていた。ただそういう成行きになったのだと思った。無論、私は自分の気持ちなど信用する気にはならなかった。嫌悪と愛着との混淆、一体それは何の事だ。私は中原との関係を一種の悪縁であったと思っている。大学時代、初めて中原と会った当時、私は何もかも予感していた様な気がしてならぬ。尤も、誰も、青年期の心に堪えた経験は、後になってからそんな風に思い出し度がるものだ。中原と会って間もなく、私は彼の情人に惚れ、三人の協力の下に(人間は憎み合う事によっても協力する)、奇怪な三角関係が出来上り、やがて彼女と私は同棲した。この忌わしい出来事が、私と中原との間を目茶々々にした。言うまでもなく、中原に関する思い出は、この処を中心としなければならないのだが、悔恨の穴は、あんまり深くて暗いので、私は告白という才能も思い出という創作も信ずる気にはなれない。驚くほど筆まめだった中原も、この出来事に関しては何も書き遺していない。たゞ死後、雑然たるノオトや原稿の中に、私は、「口惜しい男」という数枚の断片を見付けただけであった。夢の多過ぎる男が情人を持つとは、首根っこに沢庵石でもぶら下げて歩く様なものだ。そんな言葉ではないが、中原は、そんな意味のことを言い、そう固く信じていたにも拘らず、女が盗まれた時、突如として僕は「口惜しい男」に変った、と書いている。が、先きはない。「口惜しい男」の穴も、あんまり深くて暗かったに相違ない。





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晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを見ていた。花びらは死んだ様な空気の中を、まつ直ぐに間断なく、落ちていた。樹蔭の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。あれは散るのじゃない、散らしているのだ、一とひら一とひらと散らすのに、屹度順序も速度も決めているに違いない、何んという注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考えか、愚行を挑発されるだろう。花びらの運動は果しなく、見入っていると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになって来た。我慢が出来なくなって来た。その時、黙って見ていた中原が、突然「もういいよ、帰ろうよ」と言った。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。お前は、相変らずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。彼は、いつもする道化た様な笑いをしてみせた。




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二人は、八幡宮の茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙っていた。彼は、ビールを一と口飲んでは、「ああ、ボーヨー、ボーヨー」と嘆いた。「ボーヨーって何んだ」「前途茫洋さ、ああ、ボーヨー、ボーヨー」と彼は眼を据え、悲し気な節を付けた。私は辛かった。詩人を理解するという事は、詩ではなく、生れ乍らの詩人の肉体を理解するいう事は、何んと辛い想いだろう。彼に会った時から私はこの同じ感情を繰返し繰返し経験して来たが、どうしても、これに慣れる事が出来ず、それは、いつも新しく辛いものであるかを訝った。彼は、山盛りの海苔巻を二皿平げた。私は、彼が、既に、食欲の異常を来している事を知っていた。彼の千里眼は、いつも、その盲点を持っていた。彼は、私の顔をチロリと見て、「これで家で又食う。俺は家で腹をすかしているんだぜ。怒られるからな」、それから彼は、何んとかやって行くさ、だが実は生きて行く自信がないのだよ、いや、自信などというケチ臭いものはないんだよ、等々、これは彼の憲法である。食欲などと関係はない。やがて、二人は茶店を追い立てられた。





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中原は、寿福寺境内の小さな陰気な家に住んでいた。彼の家庭の様子が余り淋し気なので、女同士でも仲よく往き来する様になればと思い、家内を連れて行った事がある。真夏の午後であった。彼の家がそのまま這入って了う様な凝灰岩の大きな洞窟が、彼の家とすれすれに口を開けていて、家の中には、夏とは思われぬ冷たい風が吹いていた。四人は十銭玉を賭けてトランプの二十一をした。無邪気な中原の奥さんは勝ったり負けたりする毎に大声をあげて笑った。皆んなつられてよく笑った。今でも一番鮮やかに覚えているのはこの笑い声なのだが、思い出の中で笑い声が聞こえると、私は笑いを止める。すると、彼の家の玄関脇にはみ出した凝灰岩の洞窟の縁が見える。滑らかな凸凹をしていて、それが冷たい風の入口だ。昔ここが浜辺だった時に、浪が洗ったものなのか、それとも風だって何万年と吹いていれば、柔らかい岩をあんな具合にするものか。思い出の形はこれから先きも同じに決まっている。それが何が作ったかわからぬ私の思い出の凸凹だ。



「中原中也の思い出」 小林秀雄 昭和二十四年『文藝』発表




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「もののあはれ」と日本の美


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サントリー美術館 「 『もののあはれ』と日本の美 」展

会期:2013年4月17日(水)~6月16日(日)



狭量な私は 美術館デート組に 「イラッ」とヤられてしまいましたが

展示は なかなかに 興味深いものでした

そもそも 週末の午後に ミッドタウンなどに行くことは まず無いのですが

偶々申し込んでいた記念講演会に当選してしまい 伺ったのですが・・・

午後二時という時間帯と 大学講義のようなレジュメ読み上げ調に

舟を漕ぐ人が続出

きっと 「せっかくだから、おいしいもの食べて、お休みだし、ワインもたのんじゃお」

といった方が相当数いらっしゃったと思われ(邪推)

ちなみに私の場合は きっと 一杯では収まりがつかないし

そのうちに グラスからゆらゆらと立ちのぼる泡に もののあはれを感じてしまい

展覧会自体どうでもよくなる・・・といった危険性があるので 飲まずに参加

それでも 目の前で前後左右に揺れる頭は こちらにも催眠効果を及ぼすようで

なんとも 苦行でした

以下 展示から 幾つかご紹介させていただきます






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「 橘の小島の色は変はらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ 」

源氏物語図 「 浮舟 」



日本的美意識の概念を 「もののあはれ」に見出した本居宣長

その宣長が

「この物語五十四帖(源氏物語)は、物の哀れを知るといふ一言に尽きぬべし」

と語った 「源氏物語」だけに 展示においても かなりのボリュームを割いていましたが

立ち上る霧か霞か 我が身の行く末も知れず 水面に浮かぶ小舟の二人の

そんな情趣を描いたこの一枚が 心に残りました (実物は更に素晴らしいです)





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「 物のあはれを 知る事の深き にすぐるといふ事 はなきものなり 秀雄 」

色紙 小林秀雄 書


これは やや異色の展示ですが 本居宣長の研究でも知られる小林秀雄の言

もってまわった物言いが むしろよい感じです

丁度 小林秀雄の全集を拾い読み中なのですが この色紙を掲げておけば 頁が進むかも(笑)





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「 ねがはくは 花の下にて 春しなむ その如月の 望月の頃 」

西行物語絵巻 白描本





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「 嘆けとて月やはものをおもはする かこちかほなる我涙かな 」

蓮下絵百人一首和歌巻断簡


これまた 西行法師 そして 俵屋宗達の画に 光悦の書

元は 蓮の一生を描いた二十五メートルに及ぶ絵巻なのだそうだ





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「 月夜山水図 」  長澤芦雪 筆



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「 あゝ 」 と

発した その 刹那

喜びの刻であれ 悲しみの淵であれ

私たちは もののあはれに 心 揺さぶられ・・・





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先週の金曜日でしたでしょうか?

これまで見た中でも 記憶に無いくらい 凄まじいほどに あかい夕焼け空でした

そんな時に限って・・・

サイドシートに手を伸ばすも カメラが無く(涙)

「風景監察官」を自認するものとして 恥ずかしいことです

この写真も 仕方なく iPhone で ほんの触りのさわりなんですけどね


*


ブログを書き綴るということも 宣長のいう

「世の中にありとしある事のさまざまを、目に見るにつけ耳に聞くにつけ、身に触るゝにつけて、その万の事を心に味へて、その万の事の心をわが心にわきまへ知る、これ、事の心を知るなり、物の心を知るなり、物の哀れを知るなり」

そんな もののあはれを知ろうとする 知りたいと願う心 それ故なのかも知れませんね








「 みなとみらいの夕焼け 」

※ iPhone動画で、しかも締付が甘くブレがひどいです。酔いそうな方は2分くらいのところからどうぞ。実際の色をご覧いただけないのが無念です。けれど、多少なりともお伝えしたく。