お守りみたいに手元に置いて | こひなたブログ

こひなたブログ

言葉でしか伝えられないことがある。言葉では伝えられないことがある。その両方を大切にしていきたい。

20210905

 

新しい仕事に就いて初のオフ日。

特急→地下鉄 と利便性よく、チャンチャンと職場に着くのだけれど

逆に言えば車内で文庫本を開く気になれない。

 

このままじゃ私、駄目になるぞ~

ゆったりと日曜の新聞をめくれる場所を見つけないと・・・

と焦っていた。

そして、今日見つけたんです♡

窓が広くて、新聞をたっぷり広げて読めて、お客さんが少なくて長居できる

夢のような場所を📰

こういう場所で読むと、紙面の文字の入り具合が明らかに違う。

心と頭にスーッと沁み通っていく。

これからは毎週、ここに通うもんね(*^^)v

 

さて、今日の記事は 読売新聞 詩集 辻征夫「船出」書評を 栩木伸明さんが書いています。

 

コロナ渦でなぜ詩を読む必要があるのか。

そう思う方もいるでしょう。

詩を読むことが、問題の解決につながるわけではありませんから。

 

理由は三つあると思っています。

一つは、僕たちが生きているコロナ渦のメタファー(隠喩)として読むことができる作品がある。

もう二つ目は、現代の言葉が汚れてアビューズ(虐待)されていると感じているから。

そして二つ目とも関連しますが、

私たちがもう一度言葉への信頼を取り戻すためです。

一歩でも半歩でも前に進むため、

希望を託すための「つえ」になる本物の言葉があるんじゃないかと思うんです。

「お守り」みたいに手元に置いて読むと良いと思いました。

 

(中略)

マウンティングするような難しい言葉は使わない。

誰にでも使える日本語で、悲しいことやつらいことをユーモアを交えて語る。

読む人が自分の経験や記憶を投影できるような隠喩としての強さを求めていたのだと思います。

 

一方で、その言葉は厳密で正確です。

全身全霊を込めて書いているのに、何気なくさらっと書いているように見える。

自然な口語だけれど、推敲を重ね煎じ詰めた日本語表現になっていると思います。

 

世の中のアビューズされた言葉の多くはそれと正反対で、

考え抜かれていない一面的な言葉です。

僕たちは日々、自分が聞きたいことしか聞かないし、

意見の違う人に説明する必要なんてないと語る言葉にさらされている。

僕はそれはおかしいと思う。

 

自分の正当性を繰り返すための道具にしたら、

言葉を病気にしてしまう。

そんなときに立ち止まらせる力があるのが、詩の言葉だと思います。

 

 

今ってなんでもアプリで

はい!24時間タイムセールです/出荷されました/ご不在でした・・・

とジャンジャンお知らせが来る。

(かくいう私もAmazonプライム会員だし(^^;)

 

SNSが普及する今の時代

言葉は、情報伝達や意見の主張の側面ばかり強調されるようになってしまったと思う。

言葉に接し過ぎると疲弊する・・・という負のイメージが強くなった気がする。

言葉って本来、そんなものじゃないはず。

緑茶🍵 紅茶☕ 珈琲コーヒー・・・のように

言葉そのものを味わって嗜んで、「素の自分」に戻りたくなる。

たまには、ね。

 

早速、図書館に電話してこの詩集をリクエストした。

待機2番目だった📚

図書館まで出向かなくても、希望すれば駅前のなんたらステーションで仕事帰りに受け取れるグッ

(日祝も開いてるよん。)

いつ、電話がくるかな。読めるかな。

 

こういう

「いつになるかは不明ですが、必ず御連絡します」感が

新鮮で嬉しくて、図書館からの電話をワクワクして待っています📞ラブラブ