毎月第一木曜は倉敷市中島にある高蔵寺 第16代住職 天野こうゆう さんのご登場です。

8月には3週間のお盆行を終えたこうゆうさんです。
こうゆうさん
16歳からですから今年51歳でしょ、かなりの回数参ったけど、やっぱり「何なんやろな?」って思いますね。「なんでコレしてるんかな?」って自問自答があります。しんどいし、中には分かっててもwelcomeではないような空気もあるし、些細なことで嬉しかったりするし、「あぁ、また明日もあるな。しんどいな」。これ全然変わらんのですよ10代から。地獄と極楽を行ったり来たり。どやねん?って思った時に自分の中の捉え方、コンディションや精神状態で感じる事・・・決めつけてるよね、心が。「あの家はあーじゃ。コイツはこーじゃ」とか決め付けて取っかかって、前にぶつかったのに今度会うと柔らかいから「えぇヤツじゃん」って思うのは、自分の中で評価がっ上がったり下がったりしているだけ。
「状況変われど菩薩行」言うて、仏になる修行をさせてもろうとる。どの状況でも文句は言わないし喜びもせずに淡々と、が本来ですが・・・暑いし、いろんなことでグダグダしてると弱さを見たり、些細なことでの喜びを感じたら、ここを広げたらえぇんやな・・・・という勉強があって、あぁ終わるかと思ったら15日に台風。仏送りという外でお塔婆に水をかける行事がどう考えても中止ですよ。だけどバンバン電話が鳴って「どうしたらえぇんや?」。 融通と言うのが仏事に関してはきかない(苦笑。 土砂降りでもお墓参りに行きたい・・・ 「いや、おばあちゃん。足元悪ぃけん、お墓はキケンじゃけんな」って言ったら 「これが私らにとっての最後のお勤めになるかもわからんのじゃ」と。だから仏事に関しては強行突破が多いんですよ、すごく危険なんで「個人の責任で受け付けはしますが・・・」です。ご先祖様が「仏送り」で送られんかったらどうなるんですかー!って、「いや、私らが送られるわ・・・」というような状況もあるわけで。

今年は16日から対応しようと思ってたんですけど、徳島県での巡回布教もあったんで。5日間で13回の法話。正装で、すべて行くところのお客様は違います。私たち布教師は「目を泳がさず、中座、私語に怒りを見せず喋る」が訓練なんです。ケータイで怒ってたらキリないよね、芸人さんみたいにいじらずに何もなかった顔で、っていうのが修行・勉強。でもやっぱり、話のクライマックスよっていう時にザワつかれたりすると集中力が切れたりするんですけど、別の自分を置いてるんです。
お葬式で時々さ、私語をしている人に和尚さんがお経を止めて「静かにせー!」っていう事を言うたと噂で聞くことがある。でもね私の経験上それをやると「あんたのお父さんの葬式の時におじゅっさんが怒鳴ったなぁ」しか残らない。だから、その時の「すっきり」と後の事を考えると、平淡に常のごとし物を流しながらジンワリなんよ。アクシデントをドッカンじゃダメなんですよ。一番困ったのは・・・昔の話しよ、すごく立派なお堂でお話をさせてもらってて、み~んなマジメ。そこでケータイが鳴ったんよ。何もなく話してたらそこの住職が「出て行きなさいっ!」って。その人ケータイの切り方も分からんまま出て行かされたんよ。その後の空気、それ戻す方が大変。モノの持って行き方っていうのは、主役じゃない、飾り、空間、空気、BGMのつもりでやり切る。

森田さん
父が5月に亡くなってお盆も過ぎてお彼岸で・・・時が過ぎるのは早いな、と思いつつ。私自身もそうですが、友人や仕事の関係で悲しみの席、お通夜・葬儀に伺うことがあります。そのたびに思う事があって、私の持っている数珠でよいのか、相手先の宗派も確認するんですけど。焼香の回数は自分の宗派の回数でよいのか??
こうゆうさん
あのね、私たちが説きたいのは「篤信」言うて、篤き信仰を説きたいわけよ、それを成すことで成仏を促すことをしたいわけです。今の話し、数珠が違うとか、焼香の回数とかで・・・じゃぁ父ちゃんが「おめぇの娘、ちゃんと焼香が出来んかったけん地獄堕ちじゃ!」って、クイズ番組みたいにヒューンって座っとったイスがまわりながら落ちるんか、そんな事じゃないじゃん。そうじゃなくて恥をかきとーねー自分の「我欲」が表に出てるわけよ。誰もあんたの数珠なんて見よらんじゃん、を始まりとすれば、さっきのネックレスを着けて行ってもいい。焼香の数は確かに特定の宗派がものすごく線香を立てる立てないを厳しく言う流れはあるけど、じゃけん言うて・・・大体つまんだものは火の煙の出よるところに置くじゃん。それをポーぅ!とか言わんじゃん。

例えば自分の職業を示すファッションがあるでしょ?いきなり舞妓の格好で行くかい?行かないでしょ。私はアナウンサーだからスーツを着ますってなる。それと一緒。宗派が違うって、よっぽど怪しげな変な首飾りで「ウォー!」っていうような宗教だったらビックリするけど、基本・・・数珠がどうこうって誰も見てねーっすよ。それより迷惑なのは横の人が「あのひと森田さんって言ってテレビに出てるけど、あんなことも知らんのんで」って言われてグラつく自分。私、お世話になっていたキリスト教のおばあちゃんが亡くなった時、まだ若かったねぇ、当時、先代に「堂々と袈裟着けて、十字はきらんでよろしいよ」と言われた、あぁ仏教から代表で来てくれたんやな、逆考えてもそうやろ?って。そこで堂々とできるというのが、いかに自分が信仰持ってますってこと。ファジアーノのファンですってファジのTシャツ着たり、カープのファンがユニフォーム着るわけだから、それと一緒で「私、真言宗でございます」でえぇやない。そこにとらわれた瞬間に、亡き方々が積み上げてきた信仰や家というものを「私、引き継げてないんじゃな」と恥じるべきであって、誰とどうこう、何を読んだからどうだ、ではなく、日々拝んでいたら自然に身に付くものよ。それを聞いたら仏壇でも墓でも全部”見得体裁”。「アレしてたからあの家はあーなったんで」でグラつく方がおかしい。父ちゃんが罰を当てた、そんな無礼な話ねぇじゃん。
森田さん
お寺の方が言われるよりも周りの人たちがそういうことを何気なく言ったりしますよね・・
こうゆうさん
調子に乗るんよ・・・ちょっとだけ四国でも3回くらいまわってバスの中で煎餅食いよったおばちゃんが初めて行った人たちに対してすげーエラそうな事いうんよ。そういう人にも支えられていることもあるんだけど、それを鬼とみるか仏とみるかはこっちの問題であって・・・まぁ、通ぶる人が多い世界です。私いろいろイベントして質問コーナーをするけど悲しいのはそういう質問ばっかりよ(苦笑。線香何本じゃなしに、えぇ香りの線香を使おうや。ワゴンセールのとか3年も4年も同じ箱のとか・・・・コーヒー豆と一緒じゃん。買ってきてすぐ使うんよ使えるだけ。私の家はこの香りよってなったら和尚さんは覚えてるよ、「森田家はえぇ香りの使いよるなぁ」って。やっぱり心からっていうのが遠のいてしまって、カタチだけ・・・・も大事だけど。ネット・テレビ・葬儀社・仏壇屋さん、好きなルールをつくってくださるから現場は大変ですよ。
森田さん
仏壇に写真入れちゃいけないっていうのがあるんですよね?
こうゆうさん
あのね、写真っていつの時代にできた・・・お釈迦様がおっしゃったのは「私が亡くなってから500年間は絵を描くな、像をきざむな」って言ったんよ。なぜなら80年の生涯でお気に入りの顔はそれぞれ違うんよ。私の生き様を見なさいって言ったのよ。私だって亡くなった爺ちゃんの遺影を見ながら拝みよらんよ、やっぱり真ん中のご本尊さんを拝んどるよ。だけど入れたい人は入れりゃぁえぇがって感じです。なんでもしてください。与えられた状況で和尚さんは完璧に拝んでくれるんです。
森田さん
納得・・・
こうゆうさん
あのね、浅い段階の成仏って納得やと思うよ。お寺と揉めてるとか何とかいうのは納得がいかんけんよ。その納得をいかすのは和尚さんの背中なんですよ。「あのおじゅっさんだったら毎日拝みよるけん、そうじゃ!そのことが言えるわ」。どこかから拾って来た言葉を棒読みされると「なんでぇあの人」ってなるわけよ。納得ってすげー大事なんよ。私は「悟っていただくこと」イコール、浅い段階では「納得」だと思う。だって目に見えないものを「ここからここまでお運びいたしました、成仏させました」って金品が動く仕事ですからね。そりゃ、飾ってた百合が全部パーって開いたのが「逝きましたよ」って印やったら、「あのおじゅっさん時は12輪咲いたで!」って、そんなんハリーポッターやん(苦笑。終わった後、えぇ風が吹くようにしないとね。

天野こうゆう住職 次回のご出演は10月3日(木)です( ˘人˘ )