ふるさとは遠きにありておもうもの
室生犀星(むろお・さいせい)の有名な詩の一節だ。詩そのものの解釈についてはここでは割愛するが、僕は時々「郷愁(きょうしゅう)」という言葉を思い浮かべる。
「郷愁」とは、いまここに無い環境を懐かしくあるいは哀しく思い浮かべることだ。ノスタルジー。異郷の地にあって故郷を思う場合もあれば、楽しかりし過去を思い出す場合もある。
誰にとっても振り返ればその人なりに波乱の半生があり、その中で楽しかったノスタルジーに何かの拍子で浸(ひた)りたくなるときがある。
そんな感傷的な場合でなくても、ノスタルジーは自分の癒しになるだろう。歳を重ねるだけその引出しは増える。加齢ゆえの自分自身の財産だ。
僕はウツが悪化して退職してしまったけれど、特養老人ホームのデイサービスで働いていたときは、夕方の送迎サービスを待つ利用者さんのために、彼女・彼達の青春時代の歌謡曲をYouTubeで探してディスプレイに映すようにしていた。
利用者さん達の青春時代は必ずしも華やかではなかったが、戦後の焼け野原から立ち直ろうとする活気が芽生え始めてもいた。
けっこう評判が良くてね、その後は他の職員さんも『銀座カンカン娘』などを流すようになった。ぼんやりしていた利用者さん達の目が輝いて、一緒に口ずさんだり、あるいは「あの時はねぇ~」と話し始めたりするのだ。
僕は銀座カンカン娘の世代ではない。でもね、ボランティアで一人黙々と草を刈っていると、ふと頭の中でリフレイン(繰り返し)される昔の歌が出てきたりするのですよ。いや、リフレインなんてものじゃない。頭の中をぐるぐるとヘビーローテーションするのですよ。
マリコのへ~やへ~♪
電話をか~けて~♬
とか、
あ、あ、わかってくれとは言わないが~♪
そんなにぃ俺が悪いのかぁ~♬
みたいなフレーズね。
何なんだろ、これ?(´・ω・`)
(・◇・)?
ま、ええわ。それが自分の癒しになるならば、いっそのこと僕の青春時代に浸ってみよう(*'▽')/
ということでiPadで久しぶりに新しくプレイリストを作った。
民間企業に勤める学友達が多額のボーナスを貰って浮かれていたんだけど、僕は霞ヶ関の一室で安月給のまま帰宅もままならない激務に追われていた。自分達のことを自嘲気味に「俺たちこっぱ(木っ端)公務員には無縁だねぇー」と言ってたのを思い出す。
隣りのビル(外務省)の窓から風に煽られて書類が飛び散るのを見ると「あいつらも大変だよなぁ~」と同情したものだ。
当時の日本は構造的財政赤字が問題になり、人事院による給与引き上げ勧告を国が無視して公務員給与が凍結されてたんだよね。国家公務員数にも縛りがかかっていた。世界では国連に加盟する新興国が急増していた。外務省では国連加盟国毎に担当ができるんだけど、職員数に縛りがあるため、どの外務省職員も複数国の担当を兼務していた(たぶん今でも同様だと思う)。
フィリピンでマルコス大統領が暗殺されてね、それから程なくして外務省職員が地下鉄のホームから転落死した。これは事故として処理されたんだけど、霞ヶ関の中では「自殺じゃないか?」という噂でもちきりだった。
「明日は我が身」
そんな危機感が渦巻いていた。僕も月間残業時間が常に200時間を超えていたしねー。今は過労死認定基準が月80時間らしいけど、当時はそんな基準そのものがなかったよ。テレビでは
にじゅーよーじかん
たたかーえまーすかー♪
みたいなコマーシャルソングが流れていた。
そんな時代。
誇張ではなく本当に(肉体的に)「死ぬ」と思ったよ。
一人黙々と草刈りをしていて、
「どうしてあんな時代のメロディが今ごろ僕の頭の中でヘビーローテーションするんだろ?(´・ω・`)」
と思ったんだけど、これも郷愁なのだろうか?
そんなモヤモヤを感じながらも、
「事実に逆らわないのが一番(*'▽')/」
と思い直して、暫くは懐メロを聴こうと思った。
自分は過去の人(終わった人)になりつつある。