魚歎のブログ

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[羅網之鳥恨不高飛、呑鈎之魚歎不忍飢」今この言葉を噛み締め、後悔しながら毎日をおくる、
ひたすら部屋の中と脳内をさすらう老い耄れのブログ。

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その時の授業の内容は憶えてはいない。


憶えているのは、


授業の終わりごろに

宇佐神宮神託事件にふれて


「君ら、関係のない 遠い昔の寝言みたいに聴いているが、

まったく関係のない事はないよ。あの足立山だが……」


窓から見える山を指さして


祖母から聞いていた事と、同じような話を始めた。


そこではじめて

土地の伝説として、大人なら 周知の話だと云う事を知った。


そう云えば

あの教師


最後の最後に 受けを狙ったのか、

道鏡のいくつかのエピソードに加え、もう一つの伝説、男根伝説を語ったのだ。





魚歎のブログ-金精神社

              金精神社の御神体

清麻呂の足の伝説と同じように、道鏡の巨根伝説から創建された云われる神社です。


思い返すと

日本のラスプーチンとも云える逸話は面白かったが、


反面

その卑猥な内容に


いくら男子校とは云え

授業中に語っていい内容ではない。


抵抗を感じた事も憶えている。


肝心の授業の内容も教師の名前も 今となっては憶えていないが…


そのような低俗な話は、細部に至るまで記憶に残るものだと感心する。



あららら、

ジジイの悪い癖で、又、また、脱線してしまった。


え~話をもどしますと、

どこか、

自分の条件に合う、神だのみの良い神社は無いかと探していて、


連想から(神託~山名由来~和気清麻呂~創祀)

祖母の話を思い出した。


清麻呂の時代の創建で、足立山にあるなら

古さと距離の点では申し分ない。残りの条件を調べようと思ったのだが、


肝心の神社の名前などさっぱりだった。


高校教師の話にも神社名は出てこなかったように記憶している。


なので

パソコンで足立山と和気清麻呂で検索してみた。


二つヒットした。


一つは清麻呂が浸かった霊泉にある水神社。



魚歎のブログ-湯川水神社
      湯川水神社


神社の歴史をみると

昭和の創建で、八幡神社の摂社のようだ。



魚歎のブログ-霊泉遠

             和気清麻呂の足を治したと云われる霊泉






魚歎のブログ-霊泉

霊泉とは書きましたが、どうも昔は温泉だったと云う話らしいです。この神社がある所は湯川と云う地名で、奈良時代は温かい川が流れていたとか。でも、現在では 昔、温泉地だったと云う風にはみえないんですけど。しかし汚い池だなぁ~。治るどころか病気になりそう。


祭神も

清麻呂伝説の霊泉に合わせて、

新たに水の神様を祀ったものなので、ここではなさそうだ。



そして

もう一つが妙見宮だった。



魚歎のブログ-妙見宮


       足立山 妙見宮 (御祖神社)


神社のホームページを見ると


どうやら

清麻呂が創建したと云う神社は此処のようだった。



(続く)

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七難八苦、四苦八苦、艱難辛苦、苦心惨憺、七転八倒、櫛風沐雨、千辛万苦、彫心鏤骨、難行苦行、暗中模索、朝不謀夕、焦心苦慮、悪戦苦闘、進退維谷、怨憎会苦、断腸之思、如履薄氷、轍鮒之急、四面楚歌、会稽之恥、日暮道遠


3月の初め頃

二進も三進も行かない状況になり途方に暮れた。

とほうに暮れながらも

(犬のことではありませぬ。これも大変ですが…)


今の状況を四文字熟語で表すと

どんな適切な言葉があるだろうかと云う莫迦な事を思いながら、打開策を考えようとした。


しかし

生来の集中力のない、かつ

いい加減な性格なので、打開策よりも


「あ~でもナイ、こ~でも無い」

どうでも良い熟語探しの方に熱中した。


あえて自己弁護するなら

やれる事はやった挙句の現状なので、解決策なぞ無い!


と云う


半ば思考放棄(あきらめ)と現実逃避からの行動とも云えよう。


書き出した慣用句を

眺めていると、中国の故事や仏教由来の言葉が目に付く。


そうだ

仏様に!と思ったが

本来、

仏教は人間の生き方、修行の実践と思っているので


頼る相手が違っていようと思いなおした。


ならば

一番最初の七難八苦で思い浮かべた


山中鹿之助(幸盛)の伝で、神頼みしよう。と思った。


私は

鹿之助でもMでもないので

当然、試練など願いはしない。


この八方塞がりの状況から救い出してくれるか

せめて、苦境脱出の妙案、お告げでも頂けないかとお願をするのだ。


神は崇めるもので、

無暗にお願いするものではないと、昔から思っているので


神社へ

自身の事をお願いするのは、家庭を持って以来 今回が初めてである。


お告げからの連想で

宇佐八幡宮が一番に浮かんだ。



魚歎のブログ-宇佐八幡宮
          宇佐八幡宮

住んでいる所から神宮までかなりの距離。時間。


犬の薬の時間などがあるのでそこまでの遠出はできないし、

なにより

人出が嫌いだ。またあそこまでの大手だと、神社商法が予想され有難味が薄れよう。

(お願いする立場なのに何と偉そうな事を…)


改めて

選考の条件を考える。(又、また偉そうに…)


有難味の点から


・金儲け主義があからさまでない神社。

・創建ができるだけ古い神社。

・来歴があきらかでその信憑性がある神社。(意外にこじつけている所多い)

・再建されててもいいが、創建の場所から移されていない神社(これも多いなぁ)

・できれば祭神が天皇家系でない事(天皇系多いからなぁ~)

・できるだけ霊験あらたかな神社(そんな所あんのか!)

・できるだけ近い神社(なんと都合のいい)


条件を考えている内にふと、頭に浮かんだ。

「あ、足立山。たしかこの山で……」


魚歎のブログ-足立山
       街中から眺めた足立山


幼稚園の時の

お墓参りの時に、なにやら山の由来を聞いたような…(霊園がこの山の近くにあった)


その断片的な記憶がきっかけとなり、

その記憶に重なるように 小学校の時の祖母と交わした会話を思いだした。


私の祖母は足が悪かった。

所謂、

片跛(かたちんば)と云うやつだ。

跛と云っても生まれ付きではなく

なんでも外科医がヘボで、若い時に受けた切開手術の失敗からだそうだ。

そのせいではあるまいが

信心深かった。

街内でもかなり信心深いことで有名であった。

祖母は 毎日

朝、夕、仏間の

作りつけの仏壇で、結構な時間読経し



魚歎のブログ-作りつけの仏壇
               鳥山石燕 塗仏

作り付けの仏壇と云っても、今の人にはどんなものか分からないでしょうね。何かないかとさがしましたが、近いものでこの石燕の塗仏しかありませんでした。こんな感じです。もちろん家にはこんな妖怪は出ませんでしたよ。(出て欲しかったけど…)我が家の仏壇は幅は一間ぐらいでした。あけて中を見ると、階段式に作ってあり、それほど大きくはない仏像が何体も安置して、何やら訳のわからない文字や、絵、(あ、絵文字もあったかな)それに沢山の位牌がならんでありました。早朝や夕暮れの薄暗いなか、蝋燭と線香の灯りに照らされたそれは、子供心に、たいそう奇妙に、また不気味に、怖く でも妙に蠱惑的でもありました。


また


家内の神棚と

前庭に祀っていたお稲荷様の祠に、


毎日お世話し祝詞をあげていた。



魚歎のブログ-稲荷祠
                 祠

お稲荷さんの祠も写真が残っていませんでしたので、こんな感じだったと云う事で…。
我が家でお祀りさせて頂いていたお稲荷さんですが、何でも伏見稲荷から勧進したものだとか。
思いだすと、門をあけて玄関の左側に前庭があって、そこにお祀りしていました。石作りの台に石造りの祠が乗っかっていました。高さは大人の身長ぐらいでしたか…。
祠の扉が閉じていたので、中に何が入っているかと興味津津でした。でも開けるのは怖くて…。
ある日意を決して、開けて中をみようとしたところを祖父に見つかり、持っていた箒で「莫迦者!この罰当たりが!」と殴られました。
写真の祠の古びた感じがよく似ています。でも家のは庭で、祖父が毎日箒で掃き清めていて、庭自体も草樹を手入れしていたのでこのような草茫茫ではありませんでしたがね。

ある時

お勤めが終わった祖母に

あんなに長い時間、何を祈るのかと尋ねた。


祖母は

「仏様にはのぅ、家の代代のご先祖様や、何時いつ 亡うなった人達、また早ようして亡うなった子供達や水子ちゃん達、親戚の誰それ、○○家の関係のだれ某、皆があの世で無事に修行を終えて成仏するようになぁ 願うとるんよ。早うして亡うなった人は、生前お経を唱えてなかったけな、婆ちゃんが その人になり替わって唱えてなぁ、極楽にいけるよう願うとるんよ」

「最後にはのぅ 仏さんに(これはどうも成仏したご先祖らしい)皆元気に暮らしとります。今後も 変わらんごと、見守うとり下さいってな、お願いしとるんよ」


「お神さまにはのぅ(面白い事に祖母は神様と云わず、いつもお神さまと云った)

家の繁栄と皆の安全、怪我をせんように、病気にかからんように、毎日を無事に終えますようにってなぁ、お頼みしとるんよ」


そして祖母は誇らしげに

「そしてなぁ、婆ちゃんが今まで取り上げた子達の事もなぁ、お願いしとるんよ。皆なが健康で元気でおりますようにてなぁ、お願いしとるんよ」

皺だらけの顔を綻ばせて

「あんたな、私が最後に取り上げた子やけんなぁ」と笑った。


まさか

自分の名が出るとは思っていなかったので


慌てて話を変えるように、

「ねえ、神さまって本当に居るの?願い事って本当に叶えてくれるの?」


祖母はちょっと間をおいて


「ひ○し(魚歎の名)あんたな、

足立山を知っとるやろ。あの山の名はな、昔は△△山ちゅう違う名前やったんよ。それがある時な、


○○○○ちゅう昔の偉い人が、


××ちゅう悪い坊さんから足を切られたんよ。

筋を切られて歩けんようになって困っている○○○○に、宇佐の八幡様がな、

(その時は兎と聞こえたので、ウサギの神様がいると思った)

お告げを下さったんよ。


△△山の麓で養生すれば治るであろうってなぁ。

○○○○は来てな、麓の泉に浸かると、そしたら忽ち足が治ってな、すぐに立てて歩けるようになったんよ。


それ以来あの山をなぁ、足立山と呼ぶようになったんよ。


あまりの有難さに翌日 山頂に登ってな、

そこのお神さまに感謝して、改めて祈ったんよ。悪い坊さんを懲らしめてくれっちゅうて。


そしたらな、あくる年には 

その坊さんに罰があたって遠い所に流されたちゅう事よ。


○○○○はお礼としてな、自分の息子を派遣して お神さまをお祀りする社を建てたんよ。


そうやけ…」


祖母は最近少し曲がるようになった腰を、

グイと伸ばすように


「お神さまの力は足立山が証明しとるんよ!」と云い切った。


祖母の佇まいに圧倒されながらも、僕は


だったら

なぜ自分の足の事を祈ったりしないのか

とか、

その泉には入りに行ったのだろうか?とか、

疑問を持ったが、


その時の

迫力のある祖母には云えなくて、黙ってしまった。



後年

高校の時の日本史の授業の時に


この時の話が

道鏡の宇佐神宮神託事件だったと云う事を知った。


当時祖母が云っていた名前は、和気清麻呂と道鏡だったのだ。




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先程

愛犬が癲癇の発作をおこした。


昨日くらいから

平常に戻ってきたので


午後からブログ記事を書こうと、写真の加工を始めたところだった。


今回は(前回と違って)

発作を起こす前兆らしいものが全然なかったので

ダイアップを予防に使う事ができなかった。


やっと薬が効いて、うとうとし始めているので

この記事を書いているのだが…


また

このタイミングだものなぁ~


考えちゃうなぁ~


俺呪われているのかなぁ~


神頼みに行ったのになぁ~



はぁぁ~


できれば

次の発作がすぐ起きない事を祈る。



魚歎のブログ-アイ君

           

           平常に戻った時のアイ君。