肖像画 …  想像か ?  創造か ?  (つづきだよーん!) | 魚歎のブログ

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[羅網之鳥恨不高飛、呑鈎之魚歎不忍飢」今この言葉を噛み締め、後悔しながら毎日をおくる、
ひたすら部屋の中と脳内をさすらう老い耄れのブログ。

う~ん…


よく考えると いい加減に考えたタイトルだから、

内容とタイトルが 段段離れていってるよーな気がするけど、


ま、いいか。


え~

前前前回に信長の肖像画をのっけました。


魚歎のブログ-信長肖像



こちらの肖像画、教科書に載っているせいか

一番信長像として思い起こされる一枚ではないかと思います。

(肖像画ではないですが、私 信長を演じた役者で一番は、高橋幸治です、NHK大河の。ホント古いねぇ~)


あ、そうそう

この続きを書こうと思い、前回のブログを見直していて気がつきました。


高名な絵師が受ける、昔の肖像画の注文って、どうだったでしょうかねぇ。


お抱え絵師なら、お目見えしたこともあるでしょうし、対象者の事跡も耳にしているでしょうから、似ていてかつ、エピソードを暗示する道具などを絵に加える事などを提案できたでしょうが…

高名な絵師、

なんかモンタージュみたいに描くのかな?。


クライアントの注文を良く聞き、似た人がいない場合、


我が殿の鼻は緩やかな鉤型で、目は多少金壺じゃが、少し好い男風にしてくれ、髪型は流行りの茶筅じゃ!服装はのぅ、

本当は羽織に、金の刺繍で男根を形づくったものを入れておったが、まさかそうも描けぬゆえ、緑に白と云うこーでぃねいとでいかがかのう?

そうじゃ!無念の最期じゃったから、刀は適当でよいが、扇子を入れてくれ。敦盛が好きじゃったからのう。(ホントは名古屋弁で書きたかった)


こう云う聞き取りで、下絵を描き、OKをもらったら色を入れていったのかなぁ~?


だから肖像画にいいなぁ~って思う作品がすくないのでしょうね。(勝手な想像でした)


こう書いたのですが、

これだと誤解を生じますね。


これは決して上記の信長肖像画の事や具体的な事を念頭において書いたのではありません。

あくまでも妄想的に想像した、魚歎のてきとーかつ独断的感想です。

(睡眠不足のせいか、ちょっと躁状態かな?でもこの位がいいのかも…)


ご存じのように、

狩野派は室町幕府から時の権力者の御用絵師として活躍した一派です。

この肖像画の元秀(一般的には宗秀と称。狩野永徳の弟)はたしか、信長依頼の現場(安土城)を永徳の助手として携わっていたので、信長の姿形を見ていた可能性は大です。ましてや信長は晩年まで身分に拘らず、交わっていたとの事なので、姿どころか、直接声をかけられた可能性も高いと思います。


あ、

また脱線した。だらだらとして、ホント最近 ジジイになったと実感しています。

(話をもとに戻すと…)


この面白くない一枚は別にして、

(資料的にはどうか別にして、絵としては どうだろう…永徳の絵と比べて元秀って凡庸ではないかと思います。何と偉そうに云うんだろう、俺!)


もう一枚載せています。


魚歎のブログ-信長肖像宣教師

この一枚です。

この肖像画は、以前はまったく見た事がなかったのですが、いつからだろう?

(前に、ここ10年位前から見かけ始めたと書きましたが)

よく考えるとせいぜい5~6年位前だっけ、

その位から始まった歴史ブーム、歴女の台頭?を受けてなのか、歴史を主題にしたバライティー番組が増えてきました。その頃ですね最初に見たのは。


その歴史バライティー番組内で信長の肖像を何枚か映して、最後にこう云う写実的なのもあります程度の紹介だったと記憶しています。


詳しい説明がなかったので、魚歎も別に何とも思わずに見流したのですが、


数年後のやはり同じような番組で、

信長の死後に宣教師が描いたものとの説明で紹介された時、

「なんじゃ こりゃあ~!」と思わず口にしていた、鯵の干物を吹き出しました。


「どー見たって、時代様式が違うべな。見た印象が 明治期じゃなかんべか?」と思いました。


おっと、もうすぐアメブロのメンテのお時間ですね。


ここらで止めておこう。


(つづくのこころだ~)