アメブロの皆さま、ごぶさたしておりました。昨年11月から3か月ほどお休みさていただきました。年が明け、立春を迎えたので再始動です。

皆さま 

あらためまして、よろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

 

 2024年 1月14日、今年の干支にちなんで龍ヶ崎市を訪ねました。コミュニティ・バスや関東鉄道を使って市内5社を巡りました。

 

龍ヶ崎鎮守

 龍ヶ崎 八坂神社 

当社は関東三奇祭『撞舞(つくまい)』の社と呼ばれています。

◇鎮座地:茨城県竜ケ崎市上町4279

◇最寄駅:関東鉄道竜ケ崎駅~600m

◇御祭神:建速須佐之男命、奇稲田姫命

◇御朱印:あり(多種多彩)

 

 

JR常磐線・龍ヶ崎市駅から関東鉄道・竜ケ崎線に乗り換えます。

竜ケ崎線は非電化の単線で全長4.5km。駅数3、1両編成(通勤通学時間帯は2両)です。

※写真はネットから拝借

 

 

【社頭】

 竜ケ崎駅を下車して、徒歩600mで社頭に到着します。

 

◆一之鳥居

 額束付きの神明系石鳥居です。

 

◆手水舎

参道の突き当りに手水舎。直角に右折します。

浄水はとめどなく流れ出ています。やや大きめの手柄杓が2個。

 

 

八坂神社とは

 神仏習合色が濃厚な神社です。東国において、とくに東京・埼玉(=武蔵)、千葉(安房 上総 下総)、神奈川(相模)には比較的少なく、茨城(常陸)に比較的多く鎮座します。

 

◇室町時代

比叡山延暦寺の末寺

 織田信長「叡山焼討ち」により、比叡山の支配から離れ、牛頭天王信仰を発展させました。

 

◇江戸時代

祇園感神院と称し、祇園信仰の根拠地

 社僧と呼ばれる僧形の人々が奉仕し、境内には薬師堂や鐘楼などもありました。

※祇園信仰=祭神の牛頭天王は仏教的な陰陽道の神で、一般的には祇園精舎(インドの僧院)の守護神とされる。byウイキ

 

◇明治時代

仏教色を消す

 政府は神仏分離令を発し、神社から仏教的要素の排除を命令。

 仏教色が強かった祇園社は、政府から名指しで批判されます。

 →祭神:牛頭天王から素戔嗚尊へ

 →社号:祇園社から八坂神社へ

 

つまり、

八坂神社は政府によって神社としての再出発を強制された宗教法人なのです。

 

 

◆二之鳥居

明神系の石鳥居です。左手は社務所。

 

 

【社殿】

◆拝殿

寺院を彷彿とさせる屋根の形状。瓦葺きです。

由緒

京都・八坂神社からの直接勧請ではありません

 文治2年(1186)、源頼朝から常陸国南部を拝領した下河辺政義(しもこうべまさよし)が沼地だった龍ケ崎を開拓。

 その際、高井(=龍ヶ崎市貝原塚)の農民を開拓地に移しました。

 併せて、農民の心の拠り所だった貝原塚八坂大神の分霊を当地に祀りました。

これが当社の始まりです。

 そののち、第二次干拓が行われ、天正5年(1577)第一次開拓地から現在地に遷座しました。

by当社由緒書&龍ヶ崎市HP

 

 

 

 

 

◆賽銭箱

 筆者には見慣れない神紋でした。

祇園守紋

 

「祇園守」とは、京都東山・八坂神社のお守りを指します。

 祇園守紋の由来には、3つの説があります。

 ①祇園社の森を図案化

 ②キリスト教の十字架を図案化

 ③牛の頭部を図案化

現状、3つの説はいずれも決め手を欠いています。

しかし、キリシタン大名やその家臣がクルス紋を祇園守紋に変えてカモフラージュしたことは確か、とのこと。単に守紋ともいう祇園守紋は、クロスした筒が特徴。後世に筒は巻き物に変わりましたが、呪府のシンボルであることに変わりありません。

by「家紋のいろは」

 

 

◆本殿

 覆い殿は二階建てのような感じです。

社殿の東・西・北側の壁には精緻な彫刻が施されていました。彫刻は『二十四孝』から題材を取っていて、それぞれに詳しい案内板が設置されていました。

神社と彫刻

 そもそも、神社建築において、彫刻は本来的に不要なものでしかない、と筆者は考えています。せいぜい龍神を彫るくらいに留めたほうが良いと思っています。

 たとえ、どんなにドラマチックでダイナミックな彫刻であろうと、所詮は職人の「腕の見せ所」的な気概の産物、あるいは江戸時代の人びとの美意識もしくは虚栄心のなせるワザのような気がしてなりません。

 とはいえ、大事に残され、文化財となっているので、これを保全するのは後世の人々の務めでもあることもまた事実です。

 

 ただ、根本的に言えるのは、《神さまに華美な装飾は不似合い》ではないか。ということです。

 

 

 

 スサノヲを祀る神社は3系統 

 

①出雲から勧請

草創時から一貫してスサノヲを祀る

→須賀神社・八雲神社・出雲神社など。

 

②祇園信仰系

牛頭天王(=仏教の守護神)を祀っていた

→スサノヲと同一視。明治時代に八坂神社・祇園神社・津島神社などに社名変更。

  また、出雲熊野大社・熊野本宮大社も牛頭天王系。

 

③氷川信仰系(主として関東地方)

氷川神(=見沼の龍神)を祀る

→自然神崇拝にスサノヲ信仰(=ヤマトや出雲の産土神)が融合したという説。

※見沼(みぬま)=武蔵にあった巨大湖沼。「みぬま」とは巳沼。すなわち「龍蛇の沼」という由来でしょうか。

 

上記3系統のスサノヲは、同一人物(神)なのでしょうか…。

 

 

【境内社】

 由緒書によれば、龍ヶ崎稲荷大神、大杉神社、金刀比羅神社、疱瘡神社、三峰神社を祀っているとのことです。

◆寄せ宮

 

◆龍ヶ崎稲荷大神

 

◆猿田彦大神

 

◆ご神木と神輿庫

 

 

【奇祭=撞舞(つくまい)

 撞舞とは、当社「祇園祭」の最終日18時頃にスタートする神楽の一種です。

 唐草模様の衣装を着て、アマガエルの面を被った舞男が登場。当社宮神輿が鎮座する根町の御仮屋にてお祓いを受け、弓矢を授与されたあと会場に向かいます。

 

 舞男2名は、高さ14mほどの撞柱に登り、雨乞いや五穀豊穣を祈って四方に矢を放ったり、様々な曲技を披露します。なんと、彼らは命綱を使わないそうです。

「撞舞」photo by龍ヶ崎市HP

 

 

【御朱印】

初穂料:500円~1500円

 当社は御朱印関連にエネルギーを注いでいます。例えば、御朱印帳だけでも4種類。御朱印は「月替わり」や「見開き・月替わり」など多彩です。

 筆者は、通常版がほしかったのですが、この時期は「正月限定」の中から選ぶよう指示されました。仕方なく、何種類かの中から最もシンプルなものを選びました。ちなみに、この期間は書置きになります。

◆金印

 

【通常版】

当社HPによれば、以下の2種類が通年で授与されるとのこと。

①墨書

 

②龍

 

 

【参拝ルート】

2024.01.14

STARTJR常磐線龍ヶ崎市駅着9:59~20m~3番バスのりば 10:15→関鉄バス<白羽1丁目行>→10:29藤が丘1丁目バス停~450m~①貝原塚八坂神社~700m~藤が丘1丁目バス停 11:18→コミュニティバス<循環ルート外回り>→11:45 にぎわい広場バス停~5m~②龍ヶ崎鎮守 八坂神社 ~にぎわい広場バス停 12:25→コミュニティバス<循環ルート外回り>→12:30竜ヶ崎駅バス停~10m~竜ケ崎駅12:35→関鉄竜ケ崎線→12:40佐貫駅(-ランチ-)同駅~1.2km~③若柴八坂神社~300m~④鬮(くじ)神社~450m~⑤星宮神社~0m~星宮神社バス停 14:40→コミュニティバス<若柴線>→14:49龍ヶ崎市駅東口バス停~90m~JR常磐線・龍ヶ崎市駅=GOAL  

(同駅15:13→JR常磐線 上野東京ライン品川行)

※コミュニティバスは1回200円。筆者は「1日乗り放題券」を使いました。(400円)

 

 

【編集後記】

◆八坂神社

 八坂神社というと、京都の観光スポットでもある東山の八坂神社が真っ先に思い浮かびます。テレビや雑誌に数多く取り上げられ、外国人も多く訪れる神社です。そうした印象から「綺麗に整備されているけれど、人混みが激しく境内の雰囲気は雑然としている」といった先入観もしくは偏見?が拭えません。しかも、元はお寺さんです。

 一方、茨城県内の八坂神社はとても素朴で「村の鎮守さま」といった雰囲気の神社が多いです。

 

追記:龍ヶ崎市の八坂神社を3社巡るのが当初予定でした。そんな中、訪問直前にブログ友による同市内の「鬮神社&星宮神社」の記事を発見。良好な雰囲気を感じたので急遽、追加しました。ぱみおさん、ありがとう! (了)