2024年 1月14日、今年の干支=龍にちなんで龍ヶ崎市の神社を訪ねました。
今回は市内の八坂神社2社(①貝原塚・②若柴)のご紹介です。
①貝原塚 八坂神社
(かいはらつか)
当社は、前回記事でご紹介した『竜ケ崎鎮守 上町八坂神社』の元宮のような存在です。
◇鎮座地:茨城県龍ヶ崎市貝原塚町2036
◇最寄駅1:JR常磐線龍ヶ崎市駅~7km
◇最寄駅2:関鉄竜ケ崎線竜ケ崎駅~5km
◇バス便1:藤が丘1丁目バス停~450m
龍ヶ崎市駅→関東鉄道バス・白羽1丁目行
◇バス便2:藤が丘1丁目バス停~700m
竜ケ崎駅→コミュ・バス「循環」内廻り
◇御祭神:須佐之男命
◇御朱印:あり
→同市八代町 富士浅間神社にて授与
【社頭】
落ち着いた雰囲気の社頭で、良い空気を醸し出しています。
◆社号標「村社 八坂神社」
右手奥に見える建屋は社務所兼参集殿。御朱印をいただけるかも、と、行ってみたところ地元の方々が集会(新年会?)してました。
◆特徴的な注連縄
鳥居の「貫」に注目してください。
藁を束ねて筒状にした物体が下がっています。これは酒の入った手桶だという説があります。
なるほど、取っ手らしき部分もあり、手桶に見えます。
しかし、なぜ鳥居に手桶を下げなければならないのでしょう。
その理由が分かりません。
◎三諸の見解
当社は、八坂神社です。八坂神社とは、疫病退散で全国に名を馳せる神社です。したがって、これは手桶でなく、男根 ではないかと推理します。
八坂神社だから男根??
って、なぜ
こうした推理になるのか
以下にその根拠を提示します。
2019年に奈良を旅した際の写真です。
◆明日香村
近鉄吉野線飛鳥駅から電動サイクルで付近一帯を走り回りました。
写真は、吉野方面に向かう「さららの道」稲渕地区の入り口で撮影。
「男綱」
男性器を象った藁細工
疫病神や悪霊などが村へ侵入するのを防ぐための呪符的な民俗・習俗です。
「さららの道」をさらに南下。
栢森地区の入り口さしかかると…
「女綱」
女性器を象った魔除け
藁で男女の性器作り、疫病&邪霊退散の呪物とし、村の入り口に祀る。
塞の神や道祖神を村はずれに祀るのと同じ論理ですね。
龍ヶ崎市の当社もこのパターンではないか、と推理します。
さて、貝原塚八坂神社の境内に戻ります。
◆手水舎
浄水は供給されておりません。水道栓のハンドルが外されていました。
社殿とその周辺は、凛とした空気というか、端正な雰囲気が漂います。
拝殿の注連縄は蛇を模したような形状でした。
由緒
平安時代・康平年間(1057~1068年)の創建とされています。
山城国・八坂大神の分霊を奉斎
※ここで言う八坂大神は「八坂の里で祀られる神」という意味かと思われます。
ちなみに、神奈川や千葉には「八坂大神」という社号の神社があります。
◇伝承
その昔、源頼義が陸奥平定の帰途にこの地を通過。疫病が流行して村人が苦しんでいたため、それを憐れみ、山城国愛宕郡八坂大神の御神徳を教え、御分霊を奉斎したところ、たちまち病災を消除した。
by龍ヶ崎観光物産協会HP
◆御神木
【境内社】
香取大神宮、三峯神社、牛頭天王社、稲荷神社、そして道祖神などが点在するそうですが、特定できたのは三峯神社だけでした。
◆不明社1
社伝背後に巨木。良い感じ。
◆不明社2&石祠
◆三峯神社
◆不明社3
こちらも社殿の背後に巨木
◆不明石祠
◆タブの木
大樹の根元には、南北2か所に石祠。
八坂神社は、かつて「感神院祇園社」と称し、牛頭天王を祀っていた。
と前回記事で書きました。そこで、
今回は牛頭天王について少考します。
牛頭天王(ごずてんのう)
日本における神仏習合の神。釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされた。薬師如来の垂迹であるとともにスサノヲの本地ともされた。また、蘇民将来説話の武塔天神とも同一視された。byウイキペディア
以上が従来理解のおおよそ。
一方、公式記録からの視点では、少し異なる部分が見えてきます。
◇公式記録
平安時代では、祭神=天神または祇園天神と記録されています。
「祇園社祭神=牛頭天王」と記録されるのは鎌倉時代以降です。
祇園精舎のあるインドにおいて、牛頭天王が信仰された形跡はありません。
また、朝鮮や中国においても牛頭天王やそれに相当する神仏が信仰された痕跡がありません。
よって
牛頭天王は
日本独自の神ではないか
とする学説があるようです。
byウイキペディア
次は、竜ケ崎駅から竜ケ崎線で佐貫駅へ。そこから徒歩で若柴地区に向かいます。
ラッピング車両=「撞舞神事」の唐草模様装束を着た龍神と桜花。
JR龍ヶ崎市駅を出発して駅前大通り(=竜宮通り)を600mほど進み、脇道(=水戸街道の旧道)に入ります。
写真は300mほど歩いた景色。大地に緑が少なく、荒涼とした感じでした。
この先から、台地が始まり上り坂、下り坂が増えてきます。
旧水戸街道は全20宿。若柴宿は、江戸・千住宿から数えて8番目の宿場。
②若柴 八坂神社
江戸時代まで「天王さま」「祇園さん」などと呼ばれました。当地区では、今でも「天王さま」と呼ぶ方々がいるそうです。
◇鎮座地:茨城県龍ヶ崎市若柴町926
◇最寄駅:JR常磐線龍ヶ崎市駅~1.2km
◇バス便:若柴バス停~100m
→市コミュニティバス<07若柴線>
◇御祭神:須佐之男命
◇御朱印:不明
【社頭】
社地は小高い地形上にあります。古墳の上に建てられたのでは、とする説もあるようです。
◆手水舎
こちらも水道栓のハンドルが外されていました。
◆由緒版
由緒板が「ばあ~ん!」
と、屋根付きで新造されていました。
由来を要約
天正二年(1574)村内に悪病が蔓延→領主が山城国八坂神社に平癒を祈念→霊験があった→ならば!と同社から分霊=1574年に八坂神社から勧請
※山城国八坂神社と書いてありますが、明治にならないとこの社号は使われません。間違いを承知の上で、一般に通りが良い名称をあえて使ったものと思われます。
拝殿と本殿が一体化しているらしい。
スサノヲについて
◆『歴史の中の大地動乱ー奈良・平安の地震と天皇』(岩波新書)
この本はスサノヲ(=当社の御祭神)について以下のように位置づけています。
スサノヲ=地震を司る神
この本の著者は、スサノヲがアマテラスを高天原に訪ねる、記紀のくだりを例示し、説明します。このとき、スサノヲは「山川ことごとく動(とよ)み、国土みな震(ゆ)りぬ」という事態を引き起こします。←これ、有名なエピソードですね。
「動(とよ)み、震(ゆ)りぬ」から、スサノヲを地震の神である、とします。
例をもう1つ。根の堅洲国の王となったスサノヲについて。
スサノヲの元にオオナムチが来訪。彼はスサノヲの娘スセリヒメと恋に落ちます。ふたりはスサノヲの3種の宝物を盗み、ここを脱出しようとします。
このとき、オオナムチが担いだ宝「天の琴沼」が樹木に触れ「地動鳴(つちとよ)み」ます。著者はこれに着目。スサノヲが地震を起こす呪具を所有していることを示唆する記述である、と。
by同書第4章 神話の神々から祟り神へ(p.169~)
スサノヲについては、歴史学・神話学の学者や作家がその正体について多様な推理を提出しています。「スサノヲ=地震の神」とする、この本の見解は興味深く読むことができました。
ちなみに、同書によれば噴火の神はイザナミ。2神の上に位置するのが雷神=タカミムスヒ、とのことでした。
以上から、スサノヲは
古代人が恐れおののいた天変地異と疫病流行の双方に関わる神
ということになります。
【境内社】
◆三峯神社
あの「三峯」だとすれば…
祭神=伊弉諾尊と伊弉冉尊
◆石祠群
右から順に、疱瘡神・白山大権現・熊野大神・金昆羅大権現・鹿島大神宮・八幡宮・香取大神宮・青面金剛・道祖神・別当薬師寺
仏教関連の石祠や石塔が点在します。
◆石祠×4
いちばん左に道祖神
◆石祠×5
右から二番目に道祖神
【御朱印】
①貝原塚八坂神社
あり。八代町 富士浅間神社にて授与
→筆者はもらいに行きませんでした。
②若柴八坂神社
御朱印の有無は不明
【参拝ルート】
2024.01.14
START=JR常磐線龍ヶ崎市駅着9:59~20m~3番バスのりば 10:15→関鉄バス<白羽1丁目行>→10:29 藤が丘1丁目バス停~450m~①貝原塚八坂神社 ~700m~藤が丘1丁目バス停 11:18→コミュニティバス<循環ルート外回り>→11:45にぎわい広場バス停~5m~②龍ヶ崎八坂神社~にぎわい広場バス停 12:25→コミュニティバス<循環ルート外回り>→12:30竜ヶ崎駅バス停~10m~竜ケ崎駅12:35→関鉄竜ケ崎線→12:40 佐貫駅(-ランチ-)同駅~1.2km~③若柴八坂神社 ~300m~④鬮(くじ)神社~450m~⑤星宮神社~ゼロm~星宮神社バス停 14:40→コミュニティバス<若柴線>→14:49龍ヶ崎市駅東口バス停~90m~JR常磐線・龍ヶ崎市駅=GOAL
(同駅15:13→JR常磐線 上野東京ライン品川行)
※コミュニティバスは1回200円。筆者は「1日乗り放題券」を使いました。(400円)
【編集後記】
八坂神社を複数巡ったので、ラストは東山・八坂神社の護符?を貼ります。
◆祇園大明神
牛頭天王ト申ス 素盞鳥(ソサノヲノ)尊ナリ
城州(=山城国)八坂ノ里ニ在ス
一社ハ牛頭天王、一社ハ稲田姫、一社ハ八王子
と書かれています。
牛頭天王とスサノヲの同一視が見て取れます。
以上、茨城県龍ヶ崎市に鎮座する、村社クラスの「八坂神社」2社をご紹介しつつ、祭神である素戔嗚尊と同一視される牛頭天王についての新?見解。そして、スサノヲ=地震を司る神、と推理する説のご紹介でした。(了)