○今の学校にどうしてほしいか(司会)
・実習・実験など参加しやすい授業にしてほしい。やりたいという気持ちが出る。(中継高校生)
・手取足取りでは覚えていかない。自らが学ぼうという気概が必要。また学力だけでは人間の価値は計れないはず。(風鈴職人)
・ディベートを積極的に入れる。
・社会人をもっと入れればいい。教員免許を柔軟に。
※少し議論の方向性がずれたりしましたが、多く聞くのは実習・実験系の授業を増やして欲しいという生徒の要望です。これは現場でも生徒にアンケートを取ると良く出てきますし、私もこの方向性に基本的には賛成です。実験・実習系で難しいのは、40人を対象とした実験・実習は相当の準備も予算も必要であり、「沢山の知識を覚える」「よい大学に受かる」ことを目標や前提としている日本の教育システムではうまく機能させていくのが難しいことが一点。小学校の理科の授業が減り、実験が減っているのは、それを指導できる(理系出身の)先生が不足していたり、先生が方法を知らないといったことなどがあります。これが二点。そして、実験・実習と知識習得をうまく組み合わせて、生徒が好奇心を持ちつつ学習をすすめさせていくカリキュラム作り・・・・この時間が物理的に取れない、教材研究の余裕が持てていない(これは主に校務の多忙による)のが現状というのが三点目です。
ディベートについて言えば、これも方法論をきちんと教師が学んでからでないと、あらぬ方向に議論が散逸して学習効果が失われたり、おしゃべり・雑談をしてしまう遊び時間になってしまう生徒なども出てくるのでこうした問題をクリアする必要(すなわちこのへんは授業技術です)があります。これも結局、授業技術的な要素が必要であり、本来は教員の独力・独学に任せていいものではありません。
・学力が2極化にしているのをどうしたらいいのか(司会)
・インドやメキシコのようになる。全体の底上げがぜひ必要(佐藤氏)
・自由化・多様化が必要 規制緩和 いろいろな学校が必要(榊原氏)
・多様化するのは大学で十分(高校生)
・元テロリスト 社会システムで落ちこぼれで放置⇒不穏な動きがでる(ジャーナリスト)
・小3レベルから細かな目標設定が必要(塾講師)
・自分の能力に絶望している。何度でも学べるシステムの補償(佐藤氏)
※2極化している、この事実を参加者全体がしっかり確認できたことは議論の中でよかったと思いました。まず、小学校段階、これは基本的に底上げの方向ですね。これが最優先です。海外では小学校でも結構留年があったりしますが、これは恥ずべき行為ではなく、余計に一年頑張れたねということで評価されるようです。では、学力が高い子のフォローはどうするか。それは例えばスポーツ教室や陶芸教室、ピアノなどと同様に、実験・パズル・語学・ディベートなどの小学生向けの私塾や地域に教室があってもいいかなと思います。また社会にそういうことを社会貢献でしていこうという動きが出てきてもいいと思います。学校の部活動なども教師がやるのではなく、社会事業として運営してもらいたいです。そうすれば、教師はもっと教育に専念できますので。社会人が学校にどんどん入ってきて教えるという意見がありました。今の総合学習に近いものですね。方向性はよいのですが、そのハンドリングも教師がやりはじめるとまた業務が増えていきますので注意が必要です。多様な先生が学校に入り活性化すること自体は賛成です。
ジャーナリストの方が語ったテロリストの話も興味深かったです。結局、教育格差・経済格差・差別化は巡り巡ってコストを産むわけです。
○全員で考えて行かなくてはならない問題
国は教育にもっとお金をかけるべきか(司会)
かけるべき 81%
日本の教育予算教育支出の割合 9.8%
国の教育予算は5.3兆円
国の借金は800兆円強
思う 思わない
・予算ではなくまず、知恵を先に出すべき。
・先生も能力主義をとった方がよい
・先生も評価を受けるべき
※ここでは二つの話題が出ました。一つは予算が先か知恵が先かという問題。実はこれも2元論になっていますが、知恵と予算は平行します。知恵を出し合ってアイデアで解決していくのはもちろん。予算がつけば自動的に教育が良くなるわけではなく、よい知恵を伴った施策が必要です。そして施策を実行するにはやはりお金と人材(人件費)は絶対に必要になってきます。だからこそ、教育で成功している国は教育にかける予算も自ずと高くなっていると、こういうわけですね。
先生の評価の話です。先生は神様ではありませんから、教える立場であっても完璧ではありませんし、生徒と同様、一生学んでいくべき存在です。ですから正当な評価を受け、反省すべき点は反省し、プラス評価されるべき点はプラス評価していくべきです。ただ、それを給与や進退に直接結びつけるのは早計でしょう。もちろん、不適格教員と言われる教員は確かに存在しており、相応の処分は妥当かと思います。ですが、模範的教員の教育成果を吸収し、自己を向上させ生徒のためになろうという教師もまだまだ日本には多いと思います。教員の不祥事が大きく取り上げられていますが、すぐれた教員の実践などをもっとメディアは紹介したり教育委員会もそうしたノウハウをデータベース化して皆が共有できるようにしたり、教育大学ももっとリーダーシップを取って、質の高い現職教員などのサポートに尽力いただきたいと思います。
○勉強するのは何のため 最後にいいたいこと、知りたいこと
・制度をころころ変えて欲しくない もうちょっと子供をみて
・子供は新しいことを学ぶのに時間かかる子とそうでない子がいる。
それを考えて欲しい。
・「これをやれ あれをやれ」ではなく、これをやっておけば将来こう対処
できる。将来の得を教えて欲しい。
※学ぶ意義、学ぶ魅力を今の大人はきちんと子供に説明していないのではないかと思います。「勉強はつらいけど頑張れ」という時代は終わったのかもしれません。もちろん、漢字や九九を覚えるなど、強制しなくてはならない学習段階というものは存在しますが、これは小学校低学年。ここはゲームを取り入れたり、できたことに喜びを与えるなどの方法をうまくとってあげれば大丈夫かと思います。あとは幼少期や小学校低学年時代は豊富な体験がぜひ必要。これは将来、好奇心を持って前向きに生きる力を育てる大事な部分です。
また、高校生から指摘があったとおり、学校教師はもっと、なぜそれを学ぶかをきちんと説明すべきですね。それは毎時間やってもいいくらいです。私自身も今後の授業で気をつけなければと思いました。人間行動科学から「結局、人間は得だと思うことを選択して行う」ということがのがあるそうです。確かに人間は行動の基準で、自分にとっての行動の選択の基準はそこにあるものだと思います。例え「いやいやそれは人のためにやっているのだよ」といっても、「人のためにやっている自分が嬉しいからやっている」ということですから。これをしておく、学んでおく事ってこんなに素晴らしいんだよ。人生捨てたもんじゃないでしょ。知るって楽しいね。いろんな考え方があるんだね、面白いね。 そんなふうに世の中の人が変わって行ければもっと人生も勉強もがんばれそうですね。
長文におつきあいいただき、ありがとうございました。