「片時もPCのそばから離れられない」、「ケータイが常に手元にないと不安」、こうした症状があるとしたら、あなたはケータイ・ネット依存症になっているかもしれません。
街中やあらゆる場所で、ケータイのメールチェックをしている人が増えました。一般論ですが、中学・高校生になると、休み時間にケータイを保持してさわっている割合は非常に高いものがあります。
ケータイについて、なぜそこまでの依存があるかということを少し考えてみたいと思います。
ケータイ使用が便利である、楽しいといった次元を越えているように思えるのは、ケータイを通じて友人とつながっているという感覚が、自分の存在確認になっている可能性があります。つまり、もしこれが断たれてしまうと、自分の存在がなくなってしまうのではなかといった恐怖があるのではないでしょうか。
小学校から大学まで、若者の授業中のおしゃべりの多さというのもよく話題になります。休み時間がありながら、それには飽きたらず、授業中も延長しておしゃべりを楽しむ・・・個人的意見になりますが、これは小さい頃のコミュニケーションの足りなさを補っている活動ではないかと感じます。これは大人も同じ事が言えるのかもしれません。幼少期に親や兄弟、近所の子供達とたくさんコミュニケーションをする中で自己の成長というものがありました。会話を交わす中で、他人との距離感をつかみ、互いによいコミュニケーションの取り方・間合いというものを体得していったのです。しかし、これが行われていなければ、それをどこかで補おうとする。それが、学校に入ってからの過度のコミュニケーション(授業妨害になるほどのおしゃべり、ケータイ依存)につながっているような気がするのであります。
これはあくまで私の主観に過ぎないのかもしれませんが、ある時期までにしっかりしたコミュニケーションが行われて、自己も確立している青年にとっては、ケータイ依存に象徴されるような過度な他人とのコミュニケーションは必要とされていないように写ります。「別にケータイはなくてもいいや」程度の感覚です。あったら便利だから持っているけど、逆に相手から頻繁にコミュニケーションを求められても困るというスタンスです。
ケータイに依存している中高生も、ストレスは大きいといいます。即レスしないと友人からはずされるのではないか。こういう発言をすると相手はどう思うのか?嫌われないか? といった過剰な意識をせざるをえないことが多く、それがストレスになるというわけです。
メールや掲示板、プロフなどに関わる時間がとても長い場合、その根本にあるコミュニケーションの状況についてあらためてセルフチェックしてみる必要があると思います。また、こうした場合の対策などについてはまた改めて考えてみたいと思います。