国語教育と理科・数学の関係 | 続・教育のとびら

続・教育のとびら

教育・成長・人の発達・組織論などのブログです
(旧 gooブログ『教育のとびら』を継承)

主宰 福島 毅(どんぐり)

従来、国語は文系科目、理科・数学は理系科目といったカテゴリー分けがされてきたと思います。しかし、数学・理科の力を伸ばしていくためには、国語力もまた必要であることを意識したいと思います。

例えば、大学生になるとレポート作成といった作業がありますが、これには理系・文系問わず、国語力が必要となってきます。国語力というよりも文章作成能力といった方が適切ですが、これには語彙や漢字などの力も含まれています。

また数学や理科などで論理的に解釈する、あるいは他人に説明する場面においては、言語技術の能力が当然とわれてくるわけであります。理科や数学の教科書を読んでいくのも、文章が書いてあるものはすべてそれを読解していく力が必要とされていることは論を待たないでしょう。教科書を生徒に読ませてみると、漢字が読めなかったり、教科書に書かれている内容のことが理解できていなかったりすることが多いようという話は教員仲間のあちこちから聞きます。これではその分野の理解というものもおぼつかないのは当然と言えましょう。

しかるに、日本の今の国語教育はそういった読解力や文章作成の能力に主眼を置いているかとというとそうは言えないように思います。いまだ、文学作品鑑賞型の定型授業だったり、心情をおしはかったり、教師側が用意した道徳的な概念に近いものが正解といった授業構成がとても多いように思えます。

これからの生徒達にとって必要な国語力、言語技術力といってもいいと思いますが、そうした観点での到達目標やスキルアップの学習形態、素材、教え方というものがもっと研究されてしかるべきだと考えますが、いかがでしょうか。

高校には教科「情報」という科目があります。情報の収集・編集・加工・発信に至るプロセスをマルチメディア素材やプレゼンテーションを作成することで学んでいったりします。この教科情報が、教員の正しい理解のもと、幅広く多角的に深く、しかも個々の生徒レベルにあった指導がなされることがのぞまれますが、もしそれが実現されるとしても、テキストベースとなる言語の操作において国語力の助けはいるものと考えます。

世界的にも読解リテラシーは注目されているスキルです。国語教育関係者の理解と熱意に期待したいと思っています。

話す力もまた日常生活では極めて大切です。自分が考えていることを言語化して文章構成し、相手の立場にたってうまく説明する力が求められているわけです。そしてその力は自分の学問の力も育てるでしょうし、人間関係や社会生活にもメリットがあるというわけです。現在コミュニケーション力の不足が言われていますが、その根底にあるものは、こうした国語力であると思われます。