リシケシへ。プロローグ。 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

夫のホーリーの二連休があり、リシケーシに行って来ることが出来た。

 

インドに5年も住んでいてもリシケーシを訪ねるのは10年越しの夢の1つ。5年前にヨガをしに初渡印した時、何度かヨガ仲間たちに行こうと誘われたけど、まだタイミングじゃないと感じていた。コロナ禍中の去年はリシケーシのアーシュラムの夢を見たっけ。待望の聖地。

 


このホーリーに夫の実家の村に帰るかどうか、夫とよく話し合った。夫の実家の皆さんのドラマに巻き込まれて平気でいる自信がなかったし。そして何より、彼らの人生は彼ら自身のものだということを本気で尊ぶ強さが私の中に必要だった。ホーリー前日の朝まで話し合い、その夜の夜行バスに乗った。

 


リシケシのガンジス川沿い。大きな木がたくさん✨



ローカルバスを乗り継いでインド国内を移動するのは、何年住んでも容易ではない。インド人の夫がいてくれるおかげでもあり、私が嫌な場所には敏感で回避出来ているからだとも思う。それでも避けられない事は多々あり、楽しいだけの旅にはならないのが事実。

 


昨夜は帰りの長距離バスでウッタラカンド州を運行中、突然バタバタと何かが車体に当たる音の後に運転手の怒声が響いた。「バカもいい加減にしろ!」と叫んでいる。


どうも分離帯にいた人がバスに飛び込もうとして車体に当たった音らしい。皆がギョッとして、 夫は後方の窓から様子を伺うも、往来の激しい真夜中の高速道路でよく見えない。

 

「自殺か、酔っ払いか。。」しかし、先ほどより少し速度を落としても、バスが止まれる状況ではない。コンダクターがどこかに電話をかけていた。一歩間違えばバスの事故にもつながる。


私、日本では運転が好きで、列車より色々な道を行くバスが好きだったけど、列車で行ける場所は列車を利用しなければならない理由が今回解った次第。


インドのバス運転手は相当過酷な運転をするのが正直面白かったこともあり、怖いもの知らずだった事を反省中です。

 



困難を越えた先にある風景には、感慨もひとしおなのかもしれない。



そして毎回辛いのが、トイレと食事休憩。

 

ローカルバスが途中で止まる道路脇の食堂(ダバ)は、なぜか毎回質素で清潔とは言えない場所。運賃の安いバスに乗る乗客に合わせた設定なのかもだけど、自分でお弁当を持って乗る人もいるし、もう少し良い所で食事させてもらいたい。


トイレも水が流れなかったり、どんな家庭のインド人でもドン引きするレベル。(国や自治体が管理する公衆トイレの方が今はずっと清潔です。)

 


今回の旅の目的のもう1つは、リシケシのお隣りハリドワールで行われているクンバメーラに赴くこと。コロナ前は外国人観光客が大勢来ていたリシケシとは違い、インド全土からヒンドゥー教徒が訪れる一台聖地。


夫の亡くなった家族も皆ここで散骨されたという場所。しかも今年は世界最大の屋外イベントとして有名なクンバメラというお祭りの年。かなり気を引き締めて向かった。

 


ハリドワールに到着したのは初日の早朝4時。既に町は動き始めており、客引きのリキシャーが次々に絡んでくる。外国人らしき姿は全く見られない。外国人だと見られると数倍の値を言われるので、夫の横で大人しくしている。笑。夫はインドの商人なので、放っておいても値段交渉で負けることはない。(言い合いになりそうな時は止めます。笑)

 


夫がいないとこの国で暮らせないなんてと、日本にいた時のように「自立」出来ない事にずっともがいて来た私。少しばかりの年月が過ぎて今思うのは、人と支え合うこと、誰かのために頑張ること、自分のものを手放して分かち合うために、新しい環境が与えられたのかもということ。



食べ過ぎがちな夫と少食気味の私でターリーを分けて食べられるのも、知らなかった人生の醍醐味。笑

 


私の住む北インドの地方都市では、意思疎通を含めて、雇われることには色々とハードルがある。優秀なインド人女性でさえ頑張って勝ち取る僅かな雇用。私がその位置に着くのは妥当ではなかった。


そんな経験を経ながら、今できる事をして楽しく健康に暮らすこと以外、ここの誰に何を期待することも、私の最善ではないと感じる。



エゴまみれで、自意識過剰で、自分の事で精一杯だった私には、夫であってもペースを崩されるのは苦痛で笑、急に思い通りに出来なくなった辛さがあった。でもようやく最近、それも一長一短と思って水に流せるようになったかな。まだまだですが。笑

 


さてハリドワールでは、リキシャーや食堂の少々の居心地の悪さ以外は快適で、近年の市政努力で祭事の行われるガンジス川周辺は美しく整備され、巡礼者のために要所にトイレやシャワー、宿泊施設も配置。


そしてエアコンの効いたレストランやホテルも沢山ある。(歴史的建造物のオンボロもあるよ。笑)特に現在のようにクンバメラが開催される年は、清掃など環境維持にも力が入っているようだ。

 


今日はリシケシ、ハリドワールの旅のことを書く前に、少しだけ自分目線の背景を書いてみようと思った。リシケシと一言で言っても、人によってルートも見える世界も体験も、もちろん目的も違うもの。



例えばコロナ前は大勢来ていた欧米から訪れるバックパッカーの若者たち。彼らはインドに人生経験や友情、冒険を求めて訪れるのかもしれない。そしてその道の半ばで、出会った友人とゲストハウスやカフェでマリワナを回しあう姿などは、たまに見られる光景でもある。しかしインドでもマリワナは違法。


特殊な人や依存者が吸う麻薬だけど、厚意(考え方の違いにより、皆に刑罰を与えるわけではない)で見逃されている所が大きい。


でも表面的にそんな光景を見かけるからと言って北インドのヒンドゥー教の聖地を=ヒッピーの聖地と言う人は、数年暮らしたおばさんから見ると、そこしか見えてないのねと心から残念になる。


ヒマラヤ山脈の氷河を起源とするガンジス川が流れる、自然の雄大さと恩恵、2つとない環境の大切さを直接肌で感じられる大切な場所。歴史的に人々が信仰と共に自然を守り抜いて来た場所でもある。


より大きな視点では、訪れる誰もが地球や宇宙へ意識を開く場所。


どんな人も成長と共に分かるものと、パーティーする若者に地元の人は敢えて誰も何も言わない。地元の人には、他人のことをジャッジしない健全さがあるしね。

 


迷いが多く流されやすい時期こそ、無意識のレベルで答えを求めてこの地に来るのかもしれない。私も色々な迷いを正したい中年の一人。


それでも人に迷惑をかけたり、自分を傷つけたり、一寸飛ばしに覚醒の効果を求めるような過ちをおかせば、どこの世界においても自分に還ってくるのが道理。


大いなる流れと繋がって、生まれ変わる準備をするのには優しい場所かもしれない。


あのビートルズもインドを訪れて変わったのだし。笑

 


インドの家族連れや仲間同士のグループ旅行者が大勢訪れていました。外国人は本当に僅か。


ついつい若者に幸あれと願ってしまう私も、今回ついにハリドワールとリシケシを訪れることが出来、無事に帰って来られてホッとしている次第。笑。冒頭でも書いたけど、本当、タイミングってあるものだと思う。


若い頃は2度インドに来る計画をして、その度に人生の転機があり旅をキャンセルしなくてはならなかった。

 

どの国のどの地に行くのも、準備が出来たらお呼ばれしてもらえるような気持ちで、襟を正して赴きたいと思う。まぐれで行くには色々ありすぎる道中でもある。


インドには他にも、私にとっては一生かけても行ってみたい場所が山ほどある気がしているのだけれど。