もう陶酔したくない理由 | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

ここ1年くらいかな。数週間の出来事を振り返ってブログに書いたりしてたけど、それがすごく難しく感じるようになってる。

 

最近、私の中で既成概念や以前の常識がガラガラ崩れてきているからか、出来事を一連のストーリーとして書くことが難しい。


出来事自体には意味なんてなくて、起承転結を付けているのは私の勝手。


その時悪いと感じた事も良い方に転じたりするだろうし、良いと思う事が悪い事に繋がっているかも分からない。


そんな表面的な一喜一憂の日々のドラマは、あえて書くこともないと思える。


今までの視点や価値観が入れ替わる過渡期のようで。

 


カシミール料理のダムアルー。じゃがいもをくり抜いた中にパニールやドライフルーツを詰めて揚げ、タルカで煮込む。手の込んだ料理。


これまでは視点が狭かった。

白か黒、勝ち負け、正悪、一か八かなど、2極的でもあった。

自分の外側に判断の基準を置いていたし。


どれだけ一時の感情や打算、過去のトラウマ、他人や情報に流されて来たことだろう。

 

そして年々、条件反射の様に過去の刷り込みを繰り返しながら行動し、そのために可能性を狭めてしまう感覚が深まっていた。


安全第一で生きるなんて墓穴を掘るようなもの。でもそう教えられて育ってしまった。でも自分を知る程に希求するのは、誰にも教わることのできない安全圏外の生き方。


自分軸の感覚が強まるにつれ、先の見通せない不安も強くなって行った。周囲で起こる出来事の一つ一つ、周りの人たち全員に批判的になっていった。


自分の外をコントロールしたいという、不安に駆られた行動を自分でも止めることが出来ず、


同時に、周りの人たちの行動が目に余ると感じる事も実際に増えて行って、


もちろん瞑想もヨガもすっ飛ばして心配事にハイジャックされた数週間。一体どうしちゃったのか。笑



シヴラトリのお祭りはゆるゆるフルーツ断食。この後めずらしく胃痛で辛かった。体調が激動中。


 

でもこの前の新月の前夜、その流れが変わった感じがした。

 

夕食の後、夫と話していた時のこと。


いつも夫が理解できるようにと子供に話すような語彙で会話するのに、急にその時、私の口から本当に言いたかった事たちが語りかけ始めた。


私は夫に謝っていた。そしてその理由を説明していた。それは私が自分でも気づかなかった理由だった。


私が謝っていたのは、私が自分たちの毎日に全力を傾けられないことだった。どんな理由があっても、私にとっては一番辛かったこと。

 


思えば私たちは最初から障壁続きだった。周囲の思惑との摩擦や体調不良、そしてもちろん文化の違い。それでも何とかやって来たけど、5年経ってもまだ不安だなんて想像を越えていた。


インドのせいじゃない。夫のせいじゃない。私は私を信用してると思っていたけど、果たしてそうだろうかと疑ってみたくなる。

 



摘んできた花でパコラというフライを作るところ。甘い香りに包まれる幸せ。


そう思って振り返ると、私の下す判断は過去の経験に基づいていて偏っていると感じた。いつも恐れの少ない方を選んでいる。恐れによる脳のコントロールの言いなりなのだ。

 

最近夫が、


「これ要る?って聞くと君は必ず最初は(要らない)って言うよね。だから○○を書いそびれたんだよ。僕が行きたい所には行くって言ってくれない」


と言っていてハッとした。

 

年々頑固なコントロール魔になる。笑

 

自分で安全と判断した時しかテコでも動かないし。

 

それは(比較的物騒な)インドにいるから仕方ないと思い込んでたけど、そうだろうか?

 

夫の意見も採用できないのに、「独りの頃はこんなにややこしくなかったのに」と思ったりして。


でも実際は、いつでも思い通りに無難な道を選ぶことで、独り人生の袋小路へまっしぐらだった。もうインドに修行に行くしかないと感じるほどに。笑

 

過去や思い込みにアタッチメントしたままの自分の判断は過信したくないなと思う。体調も環境も万全な時ばかりではないし。


 

 

オールオアナッシングの白黒思考で、

 

夫のことも、私が思い描いて来た理想のようには信じることが出来ず、そこに自己嫌悪してしまう。100%じゃないことが許せず、数%の不完全さに目が向いてしまう。地獄のさそり座的幻想。

 

でもずっと心の片隅にあった、


「いつか壊してしまうんじゃないか」


という予感は、少しだけ収まって来た。コロナ前は暇さえあれば帰る、別れると言っていたっけ。コロナに救われたものもあるってこと。

 

ここに住む事を決めたのは私。

 

周りの人たちや環境のせいにしてきて、それがどんなに消極的な選択の結果だったとしても、私の人生には変わりはない。もう意識不明で流されるのは嫌だ。そんな危ういこともう出来ないよ。

 

 

自分から生きていかなくちゃ。

 

誰の人生でもない。

誰に文句も言いたくない。

 

また失うかもしれない、また壊してしまうかもしれない、また恥をかいて、また嫌われてしまう、また人知れず1人で耐えるしかない、

 

そんなトラウマのシナリオがエネルギー体に染み渡っていて中々やめられないけれど、そんなドロドロの世界に夫まで一緒に連れて行くことはできない。


人生積み重なってくると、過去の幻影で目が曇っていて、目覚めている時間は少なくなって行くように思う。メンテナンスなしだと。


過去の幻影だって紛れもなく「私の物語」なのだからと、無意識でそこに浸る時間があっても別に問題とは感じてなかった時期は、瞑想開始と共に終わっって行った。

 

 

この新月の前の晩、視界が開けた。

 

私が使って来た自分の意思なんて、使い方を間違えていて脆弱で、振り返ると毎日毎日少しずつ弱気な方の決断ばかり繰り返してるけど、こうして宇宙の追い風みたいなものを感じる時は違う。急に我に返ったように色々な事がはっきり見え出したりする。

 

その日は、要再検査だった乳がんの細胞診が陰性と分かった日だった。それだけでも相当な心労が晴れたところ。

 

面白かったのは、急に意識がハッキリして普段は話さない頭の中の話をペラペラ話し出してしまったら、いつも簡単な言葉で話す時はほぼ聞いてない夫が、今までになく私の話を理解していたこと。


語彙や内容じゃなくて、エネルギーで夫と繋がった感覚がしたの。最近はただの同居人同士だったので、そんな感覚いつぶりだったか覚えていない。笑

 

ここ数年、


本当に「試練」と言えるんじゃ?って年月だったけど、エネルギー体を曇らせていた霧のようなものが晴れ始める時期が来たのだとしたら、本当に嬉しいし、夢なら醒めないでと願うばかり。

 

本当に近年、色々な概念が入れ替わっている。

 

今まで良いと思っていた事は、盲目の陶酔のようだったとどんどん気づいて行く。例えば以前のように、どんなに惹かれる相手、好感の持てる相手、モデルになりそうな相手でも、他人を手本にすることが出来なくなった。

 

どんなに卒無く上手くやりたくても出来ない状況が発生する。どんなにインドで周りと衝突せずに仲良くいたくても、偽りは露呈してしまう。何度理解しようとトライしても、インド式はどうしても受け入れられない事も多い。


もう、いいんだと観念したい。もう本当に疲れた。笑。いい人ぶらず、真実に観念するしかない。

 

どんなに夫を信じたくても、その行動が受け入れられなくて信じられないというのは、信じ方が違ってたってことで。

 

自分が「人とは違う」ということを本当の意味で許して実践して行くことは、相手が自分と違うことを許して行くということでもある。

 

それは相手をより深く理解して行くことかもしれない。

 

今まで信じて疑わなかった

安心感さえも脱ぎ捨てる

苦しい脱皮だけど。

 

自分の生き方をする以外はできないんだよね。

 

それは小さな事から1つずつ、不可抗力に流されず、無意識のモヤモヤの中に大切な声を置き去りにせず、喜びの 方を選んで道筋をつけるような地道な積み重ねかもしれない。


長くなりましたが、私の健忘録です。