目を閉じてマットに立つ | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

土曜日。めっちゃ天気が悪くて、朝からブルー。昨日はヨガでせっかく繋がれた感じがしたのに、、、

安定しないな。。。

。。と、悩みそうになって、ハッ!

いや、そういう結び付けをする必要はなくて。瞑想の時のように、普段も理屈をやめる努力をするのだと思い出す。


朝から濃い霧で雨模様、湿気も多く体感温度が低い。そんな日。

何がイケなかったって事はなく、循環が滞るのは自然の作用でもある。

昔、身体を壊した時にどこかで聞きかじった「身体の声を聞いて」あげる変な癖が付いていて、まだ恐れの感覚を引きずりながら、身体に対して過保護になっている私。


もーダメ。
絶対、今日はムリ。
これは無理な感じ。
また、挫折?

そんな屁理屈を、甘ったれの脳ミソが計算づくで訴えているのを、

。。はぁ。。。

と、子どもが甘えるのを聞いている時のように、それに同情して一体化するかしないか、スレスレの所で聞いていて、

でも、

「いや、出来るよ。やる。」

と、これまで完全一体化していた、甘ったれ小僧に、宣言してみていた。

「見ててごらん。」って。

それで自信のないまま、血流の鈍った身体を引きずる様にマットを敷いて、前方に立ちハァーっと大きく息を吐いた。

あとは、動くのみ。

滞りを吐き出して、

プラーナを巡らせる。


前日は汗がジワジワ滲んで熱が放射される感覚だったのが、この日は筋肉がプルプルして全身にその力をバランスで広げる感覚。


前日の繋がり感、入ってる感よりは、三次元の身体に近く意識が向いている。

低飛行のスピリットを
力技で持ち上げる感覚。

全然違って面白いなーと。


朝から大盛りパスタの日は絶好調。。笑


前回「繋がってる感じがある時が、うまく行ったと思う時」と書いたけど、早速上書き訂正ーー。


繋がるのは気持ちが良いけど、
それも1つの状態に過ぎなくて。

気分ドンヨリ、溜息混じりでも、
できる!の一言で這い上がって
筋肉に頼る力技な日もあっていい。

同じ日など一日も無いように。


確かな収穫は、甘ったれ小僧と分離出来たこと。

秘められた力を信じて。

今まで発揮した力、今まで見たことのある限界しか信じられないのなら、見たことのない境地へ行こうとしても、手前で確実にブレーキがかかる。

まだ見ぬ世界へは
目を閉じないと踏み出せないのかも。

少なくとも、色んな知識をくっつけてそれっぽい言い訳をする巧妙な私のマインド君には、実技で体感してもらうしかない。


弱いバージョンの私と、同情という名の二人羽織りの一体化をしていたんだな。。重たく苦しくなるばかりなのに。

愛情と同情をはき違えていて。

夫に対してもそうかも。
共依存って、同情関係なんだなーとか。
あれやこれやと思い浮かぶけれど。


貧血で、ホームシックで、自粛疲れで、お味噌が切れて、ああ、もうダメだって甘やかす前に。

鉄剤飲んで、実家とスカイプして、公園を歩きまくって、自家製味噌でも仕込んで、

結論を書き換えることにする。

ただ
目を閉じてマットに立つ時のように。


いつもバドミントンをする公園。きれいな公園が沢山ある街です。