数日、雨がパラついたり風が吹いたり。
洗濯物が3日間ほど乾かない季節。湿気が多いと呼吸も浅くなりがち。こんな日に「ゆっくりしよう」なんて思うと、循環不足と浮腫みに負けてしまう。昨日はヨガが出来ず、夜ご飯もオーダー。たまにはお店のガーリックナーンも食べたいし。
動きたいように動けないご時世でもあるので、そんな時は不必要な位「よいしょ!よいしょ!」と家事にエネルギーを注ぐ。洗濯機も掃除機もなくても、その方が良かったと思う中年期。
ご近所の主婦も働き者。晴れ間を瞬時に見計らう名人や(お向かいのラプンツェル女史)、共有ベランダの手すりを占拠すべく、多分朝食前からずらーっと洗濯物を並べる強者も。
ヨチヨチの子供たちはお父さんたちが自分の爪を切りながら構ってる。ザ・共同生活。私には出来ない技の数々が興味深い。
浮腫みゾンビから回復し、昨晩はプラナヤーマをいくつか。カパラバティが必要だったようで、循環も少し戻すことが出来た。呼吸に意識を置くプラナヤーマは、忙しない思考にも邪魔されず心身をスッキリさせることができる。
今日は午後3時半に瞑想。いつもの朝でも夕方でもないのは、ちょっとしたアクシデントで。。
「やりかけの事をやってしまおう」と、壊れたままの物を直したり、使っていなかった道具を使うように細々と動いているんだけど。
。。ある部品を瞬間接着剤で付けていたら、誤って左の親指と人差し指がくっついてしまって。その形が瞑想の時のムドラ(手印)そのもので、せっかくなのでそのまま瞑想することにした。
今朝たまたまプレイヤーでかかっていた曲が素晴らしかったので、その曲をかけながら。いつもはお祭りの時にしか灯さないディヤを、自分のために灯した。
結果。今まで意識する事の少なかった
第一チャクラに、命の息吹が届いた感じがあった。
"Hare Krishna" by Hanumen. この曲はすごい共鳴力。美しい!
20分ほど、肚と肺の両方を使ってゆっくりと呼吸し、吸う息で登頂部・吐く息で座部へとエネルギーが通うイメージのクリヤ・プラナヤーマを練習していた。かけてる曲が感動的だなぁと、感情が共鳴するのを感じつつ流しつつ。
私は第七チャクラの方が通る感覚があるけど、第一チャクラは苦手で未知の怖さがある。これがまた、見事に占星図と一致しているのだけど(一室ラフー・七室ケトゥー)。
でも場の共鳴と共に呼吸がいつもより深くなって行き、今回は第一チャクラに気が通り大地に根を伸ばす感覚が。
共振するエネルギーは、ハートの辺りを上る時グンと拡大し、喉を拡張して眉間に力を入れさせ、ようやく天に抜けて行く。
そして空から戻る白い光が身体の中心を通り、第一チャクラまで共振して行った。その後はしばらく、嗚咽と涙が溢れるままにしていた。
滞ったエネルギーの出現。
冷静な部分では、そんな風に見えている。その間も気を抜くと思考や感情が、その現象にストーリーや名前を与えたがるのも分かる。
(仕方のない我慢)を(自分で蓋をしたブロック)が(解錠して)(慰められている)とか何とか。しかしそんな定義をしている暇なく、エネルギーは溢れ続けた。
それがいつの何かなんて、どうでも良いことのようだった。
このエネルギーを喩えるなら
「compassion」そのもので、
力強く私を震わせて
涙と嗚咽を押し流すように
溢れ出て止まらなかった。
大きな優しさに触れた時のようだった。オーラのある人に出会うと、共鳴して涙が出ることがあるけど(ダライ・ラマ14世にお会いした瞬間ドワーっとなった笑)、それと似ていた。
それから第一チャクラって地の意味で感じてたんだけど、ああ、これは過去世のゲートなんだなって感じた途端にまたグワーと上がって来るものが。私じゃないよ。私だけのエネルギーじゃない。って感じ。
嗚咽が出るまで泣いたのって、いつぶりだろう?
そんな風に思った。思いっっきり肚に力が入ってひっくり返る感覚。前の記憶や感覚とリンクして、未解消の何かがケロケロと昇華して行った。何者だったのかも知らないけど。
まぁそんな訳で。
大きくてあったかーい「思いやり」に
ドッカーンと癒された感覚でした。
それで、もうそろそろ終了かな?と、接着剤でくっついる左手を見た瞬間、何と、
パッカーンと、
ムドラが解けて指と指が離れた。。。笑
剥がそうとして色々するより、くっつけといた方が結果良かったのか、やっぱりプラーナが巡ったからなのか、それにしてもすごいタイミングで笑えた。
第一チャクラ。
弱いんだよね元々。一室ラフーだし。子宮に来てばかり。過去生からの、という見方も占星術にはあって、「そう言われてもどうしたら。。?」と思ってたけど、そういうことか。
求めよ
されば
与えられん。
と言うのを如実に感じるこの頃。もっと言うなら、
求めよ + 行動に移せ、だと思う。
宇宙は、打てば響いてくれる。これぞ量子物理学という感じ。