魂を生きる | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

何を避けているんだろう。

 

何から逃げてしまっているから、

いつも何となく心に

モヤがかかって感じるのか?

 


初夢の一件が引っかかっていた。私の思考は、何かから逃げているに違いないという仮定を立て始める。「それ」の正体は一体何者?と、犯人を追求しそうになっていたかもしれない。

 

まるで「それ」が自分の外側にあって

私にはあまり責任がないかのように。

 

記憶にない何かなんじゃないかとか。笑

 

 

日曜恒例の食べ歩きタイム。今週はアルーティッキ。

 


昨日は日曜日。一日中、夫と一緒に過ごすので「普段やってる事はお休み」で、仕方がないと、今まで疑問にも思ってなかった。瞑想に集中なんて出来ないし、ヨガする時間もスペースもないわ、と。

 

でも、、それ、違ってた。

言い訳まみれだった。。。。

 

 

最近寝ている時に感じる怒りや敵意も、自己実現出来ていないモヤモヤの負のエネルギーが満タンだったからかもしれず、現実に漏れて人のせいにするところだったよう。誰と一緒でどこにいても、意思さえあれば、やりたい事のほとんどは出来る。

 

 

昨日は、夫が朝食を作ってくれる時間にヨガをして、夫がゲームをする時間に瞑想しながら、あれれ?と勝手に書き換わった思い込み。

 

 

 

瞑想のステキなところは、思考を使うと陥るような、現状や自分責めをすることなく、また自己防衛の開き直りにハマることなく、絡まりがスルスルと勝手に解れて行くこと。

 

まるで

命は答えを知っているかのように

ちゃんと教えてくれるようで。

 

 

普段は感情や思考に囚われているけど。自らの感情と思考を含め、人からどう見られるか、どう見せたいか、どうするべきか、何が正しいか、相手のためには。。。というのは、全て自分の神性の「外側」にある幻想。

 

 

悪夢とストレスの原因で、過去生とか呪いとか悪魔とか、よー分からんものを疑ってみる前に、自分で自分のニーズや望みを叶えてあげられているかを問うのがシンプル。

 

 

思えば私の今の悩みのほとんどは、インドの下町に住んでいること、インド人家庭に嫁いだこと、プラス長期で日本に帰れないという、環境の激変によるもの。

 

天地がひっくり返ったような環境に長く身を置いているのに、以前の自分のアイデンティティーなんて崩壊した方が健全なのだ。慣れ親しんだ「私」の姿はもうない。

 

今のありのままの私しかない。

 

娯楽に逃げたり、楽しいことをして忘れたり、

人のせいにして当たったりしていたら、

その姿を見ることも、

ありのままの私を生きることも叶わない。

 

 

「耳掛け」を求めてマーケットへ。大人用でもこの色彩感覚。笑

 

 

 

今、書きながら目に滲むのは、悔し涙かな。後悔って、こういう感情なのかな。

 

大きな夢に何度も破れたり

言葉も文化も何もかも違ってて

そりゃ、色々大変だったけど、

 

困難に負けっぱなしで

自分らしくあることを諦めるのは

生きた心地がしないもので、

 

けど、明後日の方向と戦っても

問題をこじらせるだけ。

 

頑張っても頑張っても、ってやつ。

 

 

魂の声を聞いて叶えてあげることしか、

この不毛な戦いをやめる道はないという気がする。

 

叶えてあげられることは

思っているより沢山ある。

1つ1つで良いから。

どんな変な事でも、良いから。笑

 


牛乳をやめたくて、アーモンドミルクを作ってみたら良い感じ!そして今年は「湯シャン」に挑戦。シャンプーが合わな過ぎるので💦

 

 

 いや、むしろ取るに足りないと放っておいてしまうことや、

前途多難そうなこと、

人に理解されないこと、


今までやって来なかったことを

叶えてあげようと思う。


占星図でも、したいことは人それぞれ。


偽の自己満足で忘れたフリをしても、

やり残したことを、魂は知ってる。


出来なくなる前に。

(と思うのも決して早くはなく)





今日はそんな意識を得たからか、ほとんど開けない上の内窓の掃除をし、古布を切ってウエスを作り、午前中にヨガ。


迷いや停滞が少ないと

時間が有効に使えるみたい。




そして寒さが少し和らぐと、心も柔軟になる。近所の賑やかさも増していた。


1年に四季があるように、人の一生にもバイオリズムがあることを、私も実感できるお年頃。


また、何も出来ないと諦めそうになる季節も来るかもしれない。でも、それは自然なことだ。


命はきっと、終わる瞬間まで生き切ることを止めない。


魂は最後の瞬間までも、やってみたいことを私に伝え続けるんだろう。


私はただ、そんな魂を生きるために生まれただけで、

成功や承認や幸せなんかも、心地良い幻なんだって、ちょっと思ってる。


葉を落としかけた冬の樹木にも、鮮やかな花が咲く北インド。