婚約式② - インドの花嫁と、ダンシング・オールナイト! | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

義姉1の新築のお宅にて私たちの婚約式が始まったのは、日も暮れた夜8時頃。キレイに片付けられた居間の壁際に椅子が2つ並べられており、そこが高砂席らしい。夫と私は言われるままに着席。

 

すると義姉1、2、3の子供たちが大人たちのスマホを持って私たちをとり囲み、撮影会の始まり。今まで停電してて電気が戻ったばかりの部屋は、何故か青色のLEDが灯っているけど薄暗い。後で写真を見せてもらうと見事に青い写真ばかりで面白かった。

 

その頃隣のキッチンでは目下、マサラを炒めている最中の様で、笑顔を作ろうにもスパイスが目に沁みて、目を開けているのがやっとの状況。思わず隣に座った夫と顔を見合わせて笑ってしまう。すでに色々なハプニング満載の、手作りの婚約式。インドらしくて、気さくな夫の家族らしくて、心の緊張はあっと言う間にほぐれて行った。

 

その後は私だけ横の寝室に呼ばれ、ベッドの上に座って待つ様に言われた。これまた言われた通りにちょこんと座っていると、いつも厳し目の義兄1が来て、

 

「もう家族なんだから、ここは君の家だからね。今晩は泊まって行きなさい。」と言ってくれた。泊まる準備はしてないけど、めずしく優しくて上機嫌な義兄に丁寧にお礼を言う。これからまだ親戚や近所の人が集まる予定らしく、到着を待つ間、私は子供たちとセルフィー大会、スマホのゲームで盛り上がる。

 

近所に住む姉3と家族は一旦自分の家に戻り、夫は彼女たちを「招待」するためにわざわざ出向いて行った。きっと正式にはもっと色々な手順と役割があるんだろう。私も外国人で家族も近くにいないので、きっと簡易バージョンでやってくれていた。でも出来る限りは正式な手順を踏む様にと、現場監督の義母が皆を促していた。

 

しばらくすると義姉3と夫が到着。寝室にお義姉さんたち3人とお義母さんが勢揃いして、私の上に乗っかってる子供たちをどかし始めた。義姉1が「ビューティーセット」と書かれた箱を持って来て、私の隣に。ビューティーセットの中身は新品の口紅とマニキュア、既婚女性が額に貼るビンディー、手に模様を描くためのメヘンディ、額の髪の生え際に塗るシンドゥール。

 

私のために一式用意してくれたことを思って、ちょっとジンと来る。女性陣に見守られながら、義姉1はそれら1つ1つを取り出して、私にお化粧を施してくれた。小麦色のインド女性の肌に映えるであろう極彩色のお化粧に私はクラクラ笑。夫が冷やかしに入って来ると、すぐに義母に追い払われて退散して行った。

 

最後に両手に真っ赤なバングルを何重にも装着し、真っ赤な布に金糸の縁取りがされたドゥパタを被って準備完了。初めて会う親戚のおばさんやおじさん、その子供たちに挨拶をしながら、再び居間の高砂席に座った。夫も再び隣に座り、緊張して半分固まるやら、こっちを見てニヤニヤするやら。笑

 

すると女性たちが居間の片隅に集まって座り、誰からともなく「結婚の歌」を口ずさみ始める。以前彼の田舎の村で、彼の親友の結婚式で聞いたのと同じ歌の様だった。日本の昔の数え歌の様な、農作業の時に女性が歌う歌の様な、素朴で可愛らしい節だった。

 

歌を歌ってもらいながら、集まった人たちから順番にお祝いの品や現金を受け取る。ゴロンと手の中に何か渡されて見ると小さなココナッツも。何故か白いハンカチを何枚も頂いた。これで夫がキチンとハンカチを使ってくれる日が来るだろうか?

 

お祝いをもらっている最中から、夫は小声で「このお金は受け取れないよね」と私に言って来る。「僕たちのために全部準備してもらったから、このお金はみんな、後で母に渡そうね」と。私は「そうだね」と言って、親の苦労を見て育った彼の心境を思い、心優しい旦那さんで良かったなと思った。

 

 

義姉1の長男サチンが、私と夫のために作られた指輪を持って来てくれた。初めて見るシルバーの指輪。不器用な夫がテキトーに私の中指に指輪をはめようとしたので、笑ってかわして薬指へ誘導。笑。私も夫の左の薬指に指輪をぐいっとはめ入れた。キーチェーンでも鍵でもイジってすぐ壊す夫だけど、この指輪だけは、どうか末長く大切に出来ますように。。。

 

 

時刻は既に10時半を回っていたけれど、誰も食事を口にする気配はない。それどころか、就寝時間も過ぎた筈の子供たちがやけに活気付き、「マーミ!ダンス!ジャパニーダンス!」と、唐突に私に踊るようにせっついて来る。日本のダンス?盆踊りしか知らないって。。。

 

 

私がもじもじしていると、誰かが大音量でパンジャービ・ソングを流し始める。と同時に、普段は大和撫子ばりにおしとやかなこの家の主、義姉1が見事なステップと腰さばきでダンスフロアーへ繰り出した!笑。子供たちも大盛り上がりで後に続き、踊らずにはいられないインド人の血が騒ぐのか、何とこの後義母までが見事なダンスで参戦。。。!(おととい電話で「糖尿病が悪化したかもしれないから病院に連れてっておくれ~」って夫に訴えていたのは誰?っていう機敏な動き!!)

 

本当に高血圧で大変な義姉2は座ってニコニコ皆を眺めている。子供も大人も、一体いつ練習してるの?って思うほど、時に激しく、時に優雅に華麗なステップを踏んでいた。そして夫の地元、ヒマチャル州の曲がかかると皆、大興奮。どんなに拒んでも輪の中に引きずり出されてしまう。でもヒマチャルの曲はちょっとスローテンポで踊りやすい。阿波踊りか琉球の踊りの様に手を上に上げてひらひらさせたり、クルクル回ったり。

 

すると屋上で祝杯を交わしていた男性たちが降りて来てダンスに加わった。ほろ酔いで半分前後不覚。。。!途中おじさん同士で相撲大会の様になり、子供たちも大盛り上がり!更にふざけて誰かがボリウッドのディスコナンバーをかけ始め、普段クールな義姉3までもがボリウッド女優並みに激しいナンバーを踊りこなすのを見て、私は涙が出るまで笑転げてしまった。。。w

 

あーーーー、こんなに笑ったの、いつぶりだろう?笑笑笑

 

 

私の小さかった頃の思い出が蘇えるようだった。あの頃はお正月やお盆と言えば決まって親戚が集まって、一緒に鍋を囲んだり、ゲームをしたり、大人たちはベロンベロンになるまで酔っ払って、思いっきり笑って、いっぱい食べて。今はそんなこと、誰もしなくなっていた。そんな懐かしい家族の居場所が(80年代w)が、ここインドにあったなんて。

 

 

いっぱい踊って、いっぱい笑って、言葉は通じなくても、一気に距離が縮まった気がした。こんな面白家族が、ずっと一人ぼっちだった私を、インドで待ってくれてたなんて。

 

お酒に弱いのに調子に乗ってウィスキーの入った夫と、最後に何の曲とも分からないダンスを踊った。もう自分の夫だと言うのに、何を言っているのかも分からなかったけど、やけくそに幸せそうで、私もとっても満足だった。その後も宴は延々と続くかのようだったけど、緊張も解けて疲れが出た私は一足先にご飯を頂いて、隣の寝室で休むことに。

 

 

翌朝目覚めるとベッドには、夫と義姉3の双子の息子1ラウル9才がまだ熟睡中だった。義姉1と義母だけは早々の目覚めて台所の片付けをしていたので、慌ててちょっとだけ手伝ってみたりw。昨夜私が寝る頃には余興も頂点で、「酔拳」ダンス?を踊っていた義兄1も起きてきて恥ずかしそうにグッドモーニング笑。

 

何でもダンス大会は朝の3時過ぎまで続き、その後全員で食事をして、早朝4時にお開きになったらしい。さっさと寝といて良かったー!その後もぞもぞ起きてきた夫と、引き止める義母に丁重にお礼を言って、義姉の家を後にした。

 

夫のバイクが置いてある近所の義姉3の住宅まで、夫の実弟サニーのバイクで田んぼの中を3人乗り。トラクターが畑を耕こすその後から、白サギやカラスが虫を探してつついて回ってる。朝ののどかな風景。ふと見ると、遠くの木陰にクジャクが一羽、優雅にお散歩中だった。

 

 

夫のバイクに乗り換えて、再び喧騒と大気汚染と凸凹道の帰路に就く。不思議とどんな悪路も今度は何なく乗りこなせる気がした。私たちにはインドの家族がいてくれる。ようやく出会えた安心と自信を胸に、2人で未来に漕ぎ出すのだから。笑