苦労はインドでやってみる。。? | 北インド☆ゆるヨガライフ

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

まるで洗濯物の迷宮。。。私たちの暮らす下町の様子。
 
北インドの下町の暮らしも2年目。日本での何不自由なさに比べると「究極のエコ生活」と言ってもいいかも?それでも農村よりは楽なはずなのですが。。

 

この生活で得るスキルは先進国では必要のないものばかり。そう思うと「余計な」苦労になるんだけど。先進国ならお金払って「修行」する人もいるくらいだし。私もそろそろ一休さんのお寺で暮らせそう。

 

インフラは供給されてても、予期できない停電と断水に動揺しなくなるまで1年かかった。最近は野良()猫が夜な夜な巡回に来るため、ごみを完全に封印しなくてはならない。ごみ収集のお兄さんにそんな事情は知らんので、出てなければ素通りされる。来たらノックしてって言ってるのにー。

 

この町に暮らすのは独身ヤングか新婚家庭が多い。大抵が地元の商店などの26階のアパートに間借りしている。停電時に発電機なんか使えるのは1階の大家さんだけで、若い人たちは電化製品を使わず手動で家事をする。

 

エアコンなんて付けてる家はない。昔ながらのレンガに漆喰の壁はエアコン想定外。冬も暖房や給湯のない家がほとんど。お湯はキッチンのガスコンロで沸かすか「ロッド」と言う小さな電熱器具をバケツに入れて温める。

 

この後下の電球も停電で飛びました。もう修理不可。

 

うちにもシャワー・洗濯機・冷蔵庫・掃除機はない。去年買ったばかりの電気ストーブが壊れたのはもう4度目。修理も諦めた。12月の気温は720度位で、陽が当たる午前中に全部家事を終わらせないと確実に後悔する。

 

共用の廊下は大家さんに水で洗うように言われてる。廊下の一角に鳩の一家が住んでいて、お隣さんがご利益を求めて毎朝餌付けしてるので、追い払うことも掃除もままならず。こちらの大家さんは「管理人」ていう感覚はない。大体あれしろ、これしろとウルサイ感じ()。

 

冷蔵庫がないので、毎日リヤカーの野菜売りから野菜を買う。ヒンドゥー教徒の多くは火・木・土は動物性のものを食べないので、肉を料理するのは稀。どうしてもって時は近所の小さな市場に行くと、生きた鶏をその場で絞めてくれるのですが、調理する時確実にまだ温かい。命に感謝って、強制的に思う仕組みになってる。。

 

手洗いだと洗濯にも力がいる。バケツを運んだり大きなものを絞ったりと、力仕事のおかげで体力は温存できる。寒いお風呂場でバケツ1杯のお湯で全身を洗うのも、昔おじいちゃんが言ってた「寒風摩擦」みたいで勇ましい。本気で風邪引くので家事でバタバタ動き回ってるか、ヨガしてるか、毛布を被ってないといられない。

 

毎日ミネラルウォーターを買い、移し替えて使ってます。

 

水道水は石灰の多い硬水のため、私には飲めませぬ。ミネラルウォーターの宅配のない地域のため、夫が毎日5リットルのボトルを背負って来てくれます。水差しに移し換えないと重過ぎるので、それもちょっとした手間。「貴重なお水ありがと~」って思うと少し気が楽になります。

 

エコだとか自然だとかに憧れてた若き頃もありましたが、現実を垣間見るほどに戦慄を覚える。も、もしもの話、万が一でも長男である夫が実家の農村で暮らすなんて事情になったら。。と、考えるだけで逃げ出したい。くれぐれもその様な事のないように、話し合いが欠かせない。

 

夫の実家の農村では、少し前までトラが出没したらしい。嘘か誠か、お義母さんが夜中に一人で松明を振りかざして、そのトラを追い払ったとか。タイガーですョ、ベンガルトラ。当時の飼い犬もある日ジャングルから戻って来なかったとか。。水汲み場までは3キロあって、そこには毒ヘビが出るそうな。。。。って、怖がらせてるだけだよねぇ?(北海道でも本州の人には、熊出るよって言うもんね。出るけど家には来ないよー!)

 

チャンディガールっていう都会の一角に居られるだけで、今は良い方かもしれない。ほとんど行かないけどモールだってあるし。食べないけどピザの宅配もある。めっちゃ高くて中華っぽい日本食レストランもある。ガン見されて恥ずかしいけどタクシーも呼べる(庶民はリキシャ)。すぐに壊れるけど市場で日用品は大体あるし。誰もさほど親切じゃないくとも、人目はあるから危険は少ないし。

 

でもでもでも。もし可能なら、インフラの安定した場所で、清潔で設備の良い家に住んで、ご近所と仲良くやれて、20世紀のテクノロジーを使った便利な暮らしがしたい。!!!。っていうないものねだりをしたくなった。

 

願望に素直にならないと、このまま修行僧みたいな暮らしに飽きて、インドの良い所も夫の良い所も見えなくなってって、簡単に諦めて日本にトンボ帰りしちゃいそうだ。愚痴も言わないでると、何がしたいんだか分からなくなってくる。素直に気持ちを言わないと麻痺したロボットに戻っちゃう。

 

シャツとシーツの洗濯(別洗い)が終わったと思ったら、日が暮れて寒くなってきた。それでやたら悲しくなった。帰宅した夫にその話をしたらワケも分からず泣けてきた。優しい夫は「あなたみたいな奥さんは他にいないよ。毎日一生懸命やってるよ。何もかも完璧だよ。僕は幸せだよ」と、言った。それを聞いてもまだ涙が出た。(日本にいたらもっともっと、もっとできるのに。完璧ってナニー!キー)って愚にもつかない思いが溢れた。

 

一通り泣いて落ち着いたら、夫の言葉が胸に染みた。大してできてないのに、許してもらえるなんて。思い通りに行かないのに、感謝してもらえるなんて思ってもみなかった。それだけでいいって言ってくれるから、それ以上にやってみたいと思えるのかもしれない。あとは何もいらないは、今は。

 

過去に囚われたりネガティブになりがちな時、自分だけの歪んだ認識の中でグルグルすることがある。そんな時、恥も捨てて?素直に何でも言える相手がいることが、こんなに救いになるんだと知った。自分でももっと、別の視点を持てるようになりたい。ご近所ほぼ全員がパンジャビスーツをお洒落に着こなす異国の価値観の中では、見方でいてくれる人の存在は特に大きい。色んな運命に絡め取られてここにいる様な気がする日も、自分で選んでここに来たって言える日も、彼がいるから私がいて、私がいるから彼がいる。

 

あるインドの占星術師が「運命」と「意思の力」の配分を、「五分五分」と考えてチャートを読むように言ってた。やればできる論でもない、やられっ放し論でもない、微妙な五分五分感。勝ち負けも成功失敗もなく、人生は生きることのためにあると。困難な出来事が示されているからと言って、怖れても逃げても、運命を生き切れてるとは言えない。目の前のことに心血を注ぐこと。それだけでいいと信じようと思う。

 

夫の実家のある農村にはこんなに美しい湖が。でもヘビが出るって現実も(汗)