宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -51ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-太陽の塔
1970年3月14日、ついに大阪の千里丘陵で「万国博覧会」が開催された。万国博覧会が何を意味しているのかなんて、全然わからなかったけれど、その夢舞台のあまりの晴れやかさに全国の子供たちは興奮した。万博の情報はいろんな人が語っているので割愛するけれど、関西に育った私としては、人生最大の自慢だと言ってもいいくらい。それほどに、近くで開催されたことが誇りだったのだ。少年雑誌では前年から特集が組まれ、万博のパビリオンに詳しいというだけで学校の人気者にもなれた。その代表スターが、「太陽の塔」なのだ。写真の、この太陽の塔はもちろん万博のお土産。会場で売っていた陶器製だけれど、当時はまさに憧れの置物だったのである。作者の岡本太郎という名前もそれで知ったし、あんなに大勢の外国人を見たのも初めてだった。月の石や電気自動車の感動を超えて、人間洗濯機を目にした時にはどこか気恥ずかしい未来に出会ったような気さえした。何よりも、その未来が全て近くで起こっているというドキドキ感が、たまらなかった。輝く未来があった頃。今の大阪には、あるだろうか? 万博の40周年記念事業として、現在は太陽の塔の目が点灯するらしい。本当の未来を、ぜひとも照らして欲しい。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-グリコ
あの頃の子供のおこずかいと言えば、せいぜい1日10円だった。2日貯めても20円なので、お菓子の殆どは駄菓子屋で買っていた。ヘンな色のあめ玉とかイカの足とかえびせんとか・・。そんな中、グリコのキャラメルなんて、ちょっとしたエリートお菓子。祖父や祖母にせがんで、スーパーで買ってもらうという作戦が、私の場合は多かったのだ。写真は、その当時のグリコのおまけ。乗り物ばかりだけれど、きっとそういう時代だったのだろう。この少し前には、鉄人28号や遊星少年パピィのおまけがあったのも憶えている。グリコと言えば、昭和41年(1966年)に登場した景品「おしゃべり九官鳥」が懐かしい。グリコアーモンドチョコレートというかなり高価なチョコを買うだけでもタイヘンなのに、その中で「当たり」がでなけれゃもらえない。あとは、確か♥マークを5枚集めて抽選だったような・・それはそれは遠い道のりだったのだ。今思えば、中にテープレコーダーが入っていて幾つかの言葉をしゃべるだけなんだけれど、当時としては「魔法のおもちゃ」だった。お金と共に全精力を注ぎ込んだ甲斐あって、「おしゃべり九官鳥」を手に入れた感動はひとしおだったけれど、その後に出た「おつかいブル公」では力尽きてしまった。昭和のグリコ、そこにはいつも、夢というおまけが付いていた。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-コーラ
GWに突入。いよいよ、コークの季節だ。コカコーラと一口に言っても、年代によって想い出は違うだろう。早見優の「夏色のナンシ-」に釘付けになった世代もいれば、永ちゃんの「YES MY LOVE」にしびれた人もいるに違いない。77年のピンクレディや「Come on in Coke !」を記憶している人も、きっと少なくはない。しかし、私の場合は写真のヨーヨーで、たぶん1974年の景品だった。当時はまだ、TVゲームなんて高尚な遊びはなかったから、こういうアナログなグッズに人気は集中したのだ。「犬の散歩」とか「宇宙遊泳」とか・・。いろんなテクニックを披露できるヤツは、もうそれだけで街のヒーローだった。このヨーヨーは、プロフェッショナルというモデルだけれど、他にスーパーというモデルもあったと記憶している。気温が上昇し、夏が近づいてくるとコークと過ごした青春時代が甦り、CMソングも口をついて飛び出してくる。その歌もまた、人それぞれではあるけれど、私はやっばりこの歌。♪コカコーラを飲もうよ コカコーラを冷やしてね コカコーラ コカコーラ みんなで揃ってコカコーラ スカッとさわやかコカコーラ♪ なのである。古くて、ゴメンね。


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