宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -46ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-中山律子

1971年、空前のボウリングブームが押し寄せた。どこのボウリング場でも、2時間、3時間待ちはザラだったけれど、それでも投げたいと思う程、初めて知ったストライクの感触はたまらなかった。そのブームの火付け役が、写真の広告に登場している中山律子だった。70年に女子プロボウラー初のパーフェクト(全ストライク300点)を達成した時から、中山律子とボウリングブームが始まったと私は記憶している。中山律子と聞いて、♪律子さん、律子さん、な・か・や・ま 律子さん♪と口ずさんでしまった人は、あの頃をしっかり生きていた人だろう。やがてブームはおもちゃにまで広がり、写真の様なボウリングゲームも続々と登場したのだ。そして、その真っ只中に放送されたドラマ「美しきチャレンジャー」でブームはクライマックスを迎える。主人公の小鹿みどりを演じた新藤恵美のどこかセクシーなプロボウラー姿に、ファンはますます増えた。日曜の夜7時半、ボールを投げ終えた新藤恵美のスカートの揺れに、心をパンチアウトされた男性も多かったに違いない。「美しきチャレンジャー」が最終回を迎える頃、ボウリングブームは新藤恵美とともに儚く去っていった。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-ちぎれた愛

もう40年程昔の話である。ラジオのとある歌のオーディションに挑戦した時期があった。大抵は、野口五郎の曲を好んで歌った(声質が似ていたため)のだけれど、なぜかある時、この一曲を選んでしまった。それが、写真の広告 「ちぎれた愛」なのだ。この曲は1973年、西城秀樹の6曲目のシングルで、秀樹のアクションブームを確固たるものにした一曲。「僕の気持ちを信じて 好きだ、 好きだよ、好きなんだよ! 」という絶叫型のセリフが入るところが、70年代歌謡曲らしさもあって、今も記憶にしっかりと残っている。多くの人は、74年の「傷だらけのローラ」の印象が強いかもしれないけれど、後の西城秀樹の絶叫ポジションを築いた曲と言えば、この「ちぎれた愛」なのだろう。そこで先程の話に戻そう。叫ぶセリフも含めて好きだったからこそ、この曲で私はオーディションに臨んだに違いない。結果は、あえなく撃沈。あぁ野口五郎を歌っておけばよかった・・なんて、曲のせいにしていたあの頃が懐かしい。8曲目の「薔薇の鎖」、9曲目の「激しい恋」とヒットは続き、どれも好きな曲ではあったけれど、70年代に人前で西城秀樹の曲を歌うことは、もう二度となかった。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-キャロル

1972年の暮れ、そのバンドは登場した。リーゼントに黒い革ジャンという、とりわけ新しいスタイルではなかったけれど、そのストレートさが「キャロル」の全てだった。ロックとか、ロックンロールとか言われても、ビートルズとエルビスプレスリーしか知らなかった頃、グラサンにツイスト、ブーツでロックンロールは、ステキな不良だった。それまで流行っていたフォークソングがどうも湿っぽくて、白いギターも似合わないなあ・・と常々思っていた私は、グイグイ引きこまれていったのだ。ディスコと言っても、まだ喫茶店をちょっとうるさくした程度の、コークを頼めば入れたお店があった時代。そんなディスコには、デビュー曲の「ルイジアンナ」がガンガンかかっていた。なのに、たった3年で、わずか10曲で、キャロルは解散してしまう。写真のレコジャケは、74年の「涙のテディ・ボーイ」。8曲目のシングルになる。♪流れる涙を春の日に、かわかすファニー、テディ・ボーイ・・♪ このレコードが出た当時、すでに永ちゃんとジョニー大倉の仲が良くなかったと知ったのは、解散してから後のことだった。珍しくもこの曲は、永ちゃんの作詞。涙をバネにして生きる、永遠の不良少年 矢沢永吉の、どこか叫びに聴こえた。

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