宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -41ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-タイガーマスク

TOKYO MX TVで金曜の夜、アニメ「タイガーマスク」が再放送されている。タイガーマスクと聞いて、このアニメを思い出す世代はいくつくらいだろうか? 1981年に実際のリングで活躍したプロレスラーの初代タイガーマスク(佐山サトル)世代や、さらに2代目、3代目のファンもいると聞く・・。もともとは、1968年に連載が始まったプロレスマンガだった。「巨人の星」、「あしたのジョー」に並ぶ梶原一騎原作の3大マンガと称されているけれど、先の2作が少年マガジンに連載されたのに対し、タイガーマスクは月刊「ぼくら」というもう少し幼い対象作品だった。それでも、虎の穴という名の組織や覆面の持つ多面性など、その創意とスリルにグイグイ引き込まれていった。やがて、月刊「ぼくら」から、週刊「ぼくらマガジン」に一新して連載、さらに71年には少年マガジンと統合。結果的には少年マガジン史に輝くスポコンマンガの名作となったのだ。写真は、当時のタイガー人気を象徴した覆面レスラーのソフビ人形の広告。あれから40余年。今年も伊達直人の名を借りて、「善意のランドセル」は贈られるだろうか?

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。仮面ライダースナック

1971年、毎日放送系で土曜夜7時半に「仮面ライダー」は放送された。土曜日ということもあって、子供たちに大ブレイク。空前の仮面ライダーブームが訪れたのだ。私なんかは、週刊「ぼくらマガジン」に連載されていたその石森作品(マンガ)をチラリと読んだ程度で、TVの方はあまり観なかったけれど、それでも藤浩一が歌うオープニング曲「レッツゴー!!ライダーキック」くらいは知っている。さらに盛り上げた要因のひとつに、写真の広告「仮面ライダースナック」がある。たかだか20円の駄菓子ではあるが、中に入っていたカード欲しさにチビッ子たちが2袋、3袋と買い求めたのだろう。こちらもまた、空前のヒット商品になっていった。ひょっとするとカルビーは、「かっぱえびせん」よりも「ライダースナック」で自社ビルを建てることが出来たのかもしれない。スナックという言葉はもともと軽食という意味だけれど、「喫茶・スナック」などとお店を指す言葉として認識していたのに、この頃からお菓子の代名詞になってしまった。お菓子と言えばスナック、スナックと言えばカルビー。つまり、カルビーの作戦勝ちなのだ。ちなみに、藤浩一とは、子門真人の別名である。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-松田優作

昭和のスターと言うと、その名は数々上がるだろうけれど、私はこの人。写真の通りバーボンが似合う俳優、松田優作である。1989年(平成元年)の40歳という早過ぎる死は、ファンならずとも誰もが絶句した。映画「ブラックレイン」の演技を世界が認めた時だっただけに、残念でならなかった。そういう意味で、松田優作は最後の昭和を駆け抜けた役者なのだ。73年、TVドラマ「太陽にほえろ」のジーパン刑事で登場、77年「人間の証明」や79年「蘇る金狼」、80年「野獣死すべし」、さらに83年「家族ゲーム」等の怪演で、多くのファンを魅了したのは言うまでもない。ただ、私がいちばん好きだったのは、76年の「ひとごろし」という映画だった。気の弱い、それでいてこずるい侍役は、その時代の悲壮感をしっかり伝える演技で、たまらなく面白かった。没後23年、63歳になった松田優作を空想の中で時々見る。相変わらず、無愛想で高飛車な物言い。だけど、鋭い眼差しはずっと変わらない。そうして今も、私の中で松田優作は生き続けている。ちょっと髪が白くなってはいるけれど・・。

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