宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -40ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-サリー

♪マハリク マハリタ ヤンバラヤンヤンヤン♪ この呪文を知らない45歳以上はいないだろう。「魔法使いサリー」は、1966年から少女マンガ雑誌 りぼんに連載されていた。マンガの方は読んでなかったけれど、TVアニメはシロクロの時代からしっかり観ていた憶えがある。少女マンガというジャンルを観た、おそらくそれが最初なのだ。なぜか照れくさいような、それでいて晴れがましいような気分で観ていたのは、サリーちゃんにどこか理想の女の子を感じていたからかもしれない。登場するカブという弟に自分を重ねていたような気もするから、なんだか不思議だ。実はこのカプは、当初マンガの原作には出てこない。TVアニメ化が決まってから、スポンサーだったHONDA(ホンダ技研)のスクーターの名を付けて、弟(カブ)として登場させたらしい。そんな、企業や広告の事情などつゆ知らず、サリーちゃんに心を奪われていた男の子が日本中にいたはずだ。♪魔法の国からやって来た ちょっとチャームな女の子・・・♪ そう言えば、チャームという言葉が「魅惑」という意味だと知ったのも、ちょうどこの頃だった。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-マグマ大使

「マグマ大使」が1965年から少年画報(マンガ雑誌)に連載されていたということを知ったのは、ずっと後のことだった。手塚作品だということも知らず、66年にTV放送された実写版をただただ夢中で観ていた。放送がウルトラマンと同時期だったので、人気を競っていたのも事実だったけれど、どこかチープな怪獣と戦う黄金のマグマ大使は強いというよりも、優しさが滲み出ていたような気がする。妻がいて、息子がいるロケット人間という設定が、なんだかとてもヒューマンだった。今思うと、ロケット人間こそ、トランスフォーマーの先駆けだったのかもしれない。手塚治虫は凄い。マグマ大使の息子の名は「ガム」。♪ピロロロピー♪ と、机の引き出しの奥に入っていたホイッスルを1回吹いて、ガムを呼ぶ。もちろん、私が呼んでも来ることはない。それだけに、いつでも呼び出せる江木俊夫扮する「まもるくん」が実に羨ましかった。♪宇宙のチビッコ、ガム、ガム♪と声高らかに歌っていたけれど、それが提供スポンサー「ロッテ」の宣伝になっていたとは、当時の私にわかるはずもなかった。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-エイトマン

白いごはんと言えば、ふりかけ。あの頃はそう決まっていた。それも、「のりたま」でなくてはならなかった。♪のり~たま、シャッシャカ シャッシャカかけよ・・♪ というCMソングを憶えている人なら、その思いはわかるだろう。「のりたま」にこだわった理由はもうひとつ。写真の、弾丸(タマ)よりも速いエイトマンの影響だった。1963年、TBS系でアニメ化。洗練された都会的なヒーローに夢中になるのと同時に、そのスポンサーだった丸美屋の「のりたま」にも夢中になった。あの頃のヒーローを大別すると、鉄人28号派と鉄腕アトム派、そしてエイトマン派。中でも、エイトマンのスタイリッシュさは群を抜いていて、ベルトのバックルに潜ませたタバコ型の「電子頭脳強化剤」を吸うシーンは、なんともダンディだった。そんなエイトマンとふりかけ、というミスマッチにも動じず、私たちは「のりたま」を食べてエイトマンのように強くなると信じて疑わなかったのだ。エイトマンの本名は東八郎だったけれど、それでもエイトマンはカッコよくて、♪あったかいご飯にかけたのりたま こんなうまいもん滅多ないよ♪と大声で歌いながら、白いごはんを食べ続けた。のりたま、当時50円。それは、特別な昭和の味がした。

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