宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -39ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-ソックタッチ

青春の思い出は、意外とこんなところにあったりもする。写真は、液体クツシタ止め「ソックタッチ」の雑誌広告だ。誕生したのが1972年だから、同じ年に「男の子女の子」でデビューした郷ひろみを広告の顔としてタレントに起用したのも納得がいく。ソックタッチは、防虫剤で有名な「白元」から発売された商品だけれど、防虫剤のイメージのままだときっと売れなかっただろう。当時中学生だった私なんかは、白いハイソックスが脚元にピタリとフィットしている女子を見て、まるで少女マンガのヒロインのようだと憧れた。それに引き換え、すぐにズリ落ちてしまう自分の脚元にガックリしていた頃だった。ソックタッチさえあれば、誰もが憧れのあの脚元になれる。カッコいい。爽やかだ。郷ひろみのようにもなれる・・と頭の中は妄想だらけで、ソックタッチを買い求めた。それからは、青春の必需品。春の陽気が近づくと、今もあの頃のように校庭を駆け出したくなる。白い靴下を輝かせていた、青春の季節が、思い出があふれてくる。ただ、決して郷ひろみのようには、爽やかになれなかったけれど・・。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-真理ちゃんとルミ子

この二人をライバルと見た人も見なかった人も、どちらも正しい。明るくて太陽の様な存在だった天地真理と、どこか寂し気で小雨の似合いそうな小柳ルミ子。全く違った二人をライバルとして注目させたのは、当時のメディアだった。1971年のデビュー曲、「水色の恋」と「わたしの城下町」はどちらも売れたけれど、そのタイトルからして洋と和、都会を攻める天地真理に対して地方攻略の小柳ルミ子はセールスひとつをとっても正反対だったに違いない。ところがいつの頃か、二人のイメージは変わった。暗くなりがちな天地真理に対して、華麗に踊って魅せる小柳ルミ子の姿に目を疑ったのは、私だけではなかったはずだ。本当の性格は、真逆だったのかも知れない。昭和には「ライバル物語」が多かった。大鵬VS柏戸、巨人に阪神、田中角栄には福田赳夫、ジュリーと来ればショーケン、矢吹丈なら力石徹・・。高度成長期のあの時代には、切磋琢磨こそが美学だった。共に磨き競い合う姿が賞賛され、そして数々のライバルが作られていったのだろう。成長の昭和史を振り返ると、そんな中で疲弊していった人たちに、つい声をかけたくなる。「もう頑張らなくてもいいですよ」と・・・。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-ザ・タイガース

今年、オリジナルメンバーが揃って、ついに再結成される。44年ぶりのザ・タイガースとなると私の世代がギリギリだ。1967年にデビュー、GS(グループサウンズ)ブームの頂点に立ちながらもメンバーの不祥事等で71年に解散。いわゆる伝説のGSと化した。写真のレコジャケは、人気絶頂期の5曲目「銀河のロマンス」と「花の首飾り」のカップリングだ。この「花の首飾り」でトッポが初めてボーカルを務め、ジュリーと人気を競うようになる。ジュリーと、トッポ、サリー、タローと、そしてドラムのピー。タイガースの魅力のひとつに、このニックネームがあった。親しみやすさ、もっと言えば叫びやすさが人気のヒミツだったような気がする。もともと関西出身だったので、阪神タイガースから命名したとも言われていたけれど、本当はアメリカの「ザ・モンキーズ」を真似たのだろう。66年放送のTVドラマ「ザ・モンキーズ」にかじりついた世代は、タイガースを重ね合わせたに違いない。猿と虎。ヘアースタイルも、なんとなくそっくりだった。私なんかがモンキーズのドラマで憶えたのは、声(デイビー役)の高橋元太郎。後に「うっかり八兵衛」となるけれど、もとはスリーファンキーズのメンバーなのだから、タイガースの兄貴分と言えなくもない。

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