宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -42ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-たのしいクリスマス

今年もまもなくクリスマス。そこで、こんな1枚のソノシートはどうだろう。「ピーナッツとクレージーのたのしいクリスマス」というタイトルからして、ズバリ昭和なのだ。リリースされたのは、クレージーキャッツとザ・ピーナッツが大人気の60年代。私はクレージーの中でも植木等が大好きで、幼少期「スーダラ節(61年)」を歌っては、コタツの上に乗って家族の喝采を独り占めしていた。ピーナッツも、これまた61年放映の「モスラ」に登場。同じ時期から日テレ系の「シャボン玉ホリデー」で共演し、クレージーもピーナッツも超がつく人気スターになっていった。その当時はまだ、外でクリスマスを祝うなんて贅沢はなくて、家の中で♪ジングルベルを聴きながら、バタークリームのケーキを食すのが基本的な過ごし方。そんな中、だからして、このソノシートは実にお宝だったのだ。ただでさえ楽しいクリスマスに、さらに人気スターが共演して歌うわ、笑うわのどんちゃん騒ぎ・・。年に一回、そんな日を親たちも許してくれた。昭和には、そんな幸せがたくさんあった。因みに、このソノシートは280円、幸せはプライスレス。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。

1974年、「うそ」の大ヒットで中条きよしの名は世間に知れ渡った。ムード歌謡にピッタリの声と甘いマスクは、中高年のおば様たちを中心として、大きく弧を描くように女性ファンを拡大していった。ムード歌謡のプリンス、いや恋の魔術師、いやいやスケコマシ(失礼)とまで言われたくらいに、その人気は夜のネオン街でも輝きを増した。そもそも、歌手の登竜門だったTV番組「全日本歌謡選手権」で10週勝ち抜いたグランドチャンピオンだけに、歌唱力は抜群だった。なのに、うまさより歌のイメージが先行したのだから、嬉しいような哀しいような、当人も複雑な気分だったに違いない。写真のレコジャケは3曲目、「理由」と書いて、わけ。♪あの人と別れたわけは何でもないの 夜中に帰って来た彼の 背広についてた口紅が 許せなかっただけのこと・・♪ もう完全に女ったらしなのだ。さらに、81年には「新・必殺仕事人」で役者としても開花。三味線屋の勇次役で、またまた女性たちを悩殺する。ここまで来るともう好きにしてくれ。その歌声と流し目。まさに、70年代の恋の必殺仕事人でもあったのだ。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-近藤正臣
70年代のキザの代表と言えば、もちろん近藤正臣だった。年代によっては、キンチョー(タヌキ)のCMで知ってる人もいるだろうけれど、私のイメージの中ではグリコアーモンドチョコレートの世界なのだ。風に舞うサラサラの前髪、それをかき分ける仕草、そして流し目で見つめた果てに鼻声で、「グリコアーモンドチョコレート」とひと言。この流れが近藤正臣の真骨頂だった。写真のレコジャケはその頃のCMソングで、「明日は今日より暖かい」という一曲である。歌の方はともかく、キザぶりが爆発して大人気になったのはドラマ「暖流(76年)」と、「今はバラ色が好き(77年)」のあたり。そして、79年の「水中花」で頂点を極めた。ドラマを憶えている人ならわかるだろうけれど、相手役は全て松坂慶子。もう、この二人のネットリ感に勝つペアはいなかった。♪これも愛、あれも愛 、たぶん愛、きっと愛・・・私は愛の水中花♪ と歌う松坂慶子の色っぽさにも悶絶したけれど、ギザなセリフ聞きたさに観ていたような気もするから、不思議だ。そんなキザな主役、今のドラマには出てこないから、ちょっと寂しい。おじさんはそう思うのである。

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