宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -37ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

$昭和を話そう、BOSSのブログ。-ソランと森永製菓

子供の頃、キャラメルはお菓子のスターだった。チョコがダントツの横綱だとすると、キャラメルはちょうど大関あたり。西の大関グリコか東の大関森永かと迷いながらも、オマケ欲しさに大抵はグリコを買っていたけれど、それでも時々「森永ミルクキャラメル」が欲しくなる。理由はやっぱり、当時のCMが影響していた。1965年、TBS系で放送されていた「宇宙少年ソラン」が森永製菓の一社提供だったのだ。このアニメから流れるCMで森永のキャラメルやチョコボールの存在も知った。当時、鉄人28号のファンだった私は、グリコ一筋と決めていたにもかかわらず、ソランの魅力に敗けて、時折「森永派」に代わってしまうのだった。♪ソラン、ソラン、ソラン、遥かな宇宙から、ソラン、ソラン、ソラン 虹を超えてやってきた・・♪ 主題歌は、あの安井かずみの作詞。どこか壮大で、それでいて愛くるしいソランという名前とこの曲が好きだった。相棒は、宇宙リスのチャッピー。今でも、リスを見るとソランを思い出し、ソランを思うと森永につながる。そういう、企業と番組と夢のつながりがたくさんあったあの頃。世の中はまだまだ貧しかったけれど、イメージする力だけは、豊かだったのかもしれない。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-仮面の忍者赤影

「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎の頃、びわ湖の南に金目教という怪し気な宗教が流行っていた・・」というナレーションで始まったのが、この番組。1967年フジテレビ系で放送された「仮面の忍者赤影」なのだ。戦国時代の話にもかかわらず、怪獣は出るわ、レーザービームは出るわ、おまけにUFOまで飛んでくるという荒唐無稽さだったけれど、特撮技術の凄さは今観ても驚くに違いない。まだカラー放送が開始されたばかりで、カラーを強調するために「赤影」という忍者を誕生させたと聞いた。作者は横山光輝。どうりで、ストーリーが緻密に計算されていた。提供スポンサーの三洋電機にとって、これがカラーテレビの売れ行きにつながったかどうかは定かではないけれど、当時そんなにメジャーではなかった電機メーカーを憶えているだけでも効果はあったのだろう。昭和のその時代には、他にも東芝のサザエさんやナショナル(松下電器)の水戸黄門など、電機メーカーの一社提供という番組は多かった。まさに、家電製品が暮らしの憧れだった時代。今、日本の家電は、テレビはすっかり衰退してしまったけれど、どこかで信じている。もう一度、世界に、技術という名の「赤影が参上!」するその日を。

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$昭和を話そう、BOSSのブログ。-明治マーブルチョコレート

7つの色が揃ったチョコ。というのが、発売当時のマーブルチョコレートの売り文句(つまりキャッチコピー)だったらしい。確かに、あの時代にあのカラフルさは目を引いた。発売は1961年、昭和36年のことである。天才子役上原ゆかりのCMで話題となり、マーブルチョコはオシャレなお菓子として脚光を浴びた。さらに、63年放送開始のアニメ「鉄腕アトム」の提供スポンサーとして、明治のマーブルチョコはますます人気上昇。あの筒状のフタを「ポン!!」と開けるとアトムのシールが1枚、オマケに入っていたのだから、もう子供たちはたまんない。60年代の人気ロボットアニメと言えば、間違いなく鉄腕アトムと、そして鉄人28号だけれど、お菓子のオマケもまたアトムの明治製菓と鉄人のグリコの対決だった。どっちのお菓子が好きかは、どっちのロボットが好きかと同じ意味を持つから、チョコひとつだってカンタンには選べない。愛くるしい電子頭脳のアトム派か、あるいは意志を持たない硬派な鉄人派か・・。たかがお菓子、されどお菓子。昭和の子供たちは、お菓子だって真剣に悩んで、選んで、そして大きくなっていったのだ。

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