宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -19ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

花とみつばち

♪どうでもいいけど帰るの いるの 夜明けだよ まぶしいのは裸の胸さ♪という歌詞から想像して、初めて一緒に夜を過ごした二人なのは間違いない(この曲の主人公)。ただ、「どうでもいいけど・・」というセリフの歌い出しに当時は驚いた。恋の駆け引きと動揺がドッキドキと伝わってくるようで、今でも自分自身のそんな頃のそんな想い出にニヤリとしてしまう。写真のレコジャケは、1974年、19歳にしてはまだあどけなさが残る郷ひろみの8曲目のシングルで、「花とみつばち」。デビューから数年の郷ひろみの曲の中では、特にこの曲が私は好きなのだ。もっと言えば、曲というよりも、セリフ調のこの歌詞が好きだった。デビュー当時の郷ひろみの詞を書いていた岩谷時子という作詞家は、時々この手法を使うことがあって、加山雄三の「お嫁においで」もピンキーとキラーズの「恋の季節」も 、セリフ調の歌詞で始まり、全てヒットしている。そう言えば郷ひろみでも、「小さな体験」や「裸のビーナス」の岩谷節はセリフ調の歌詞だ。もしかすると、セリフ調のヒット曲の法則というものが岩谷時子にあったのかもしれない。さて、そんなことこそ、どうでもいいけど・・。季節は、春。時にはあの頃の、あの季節の青いセリフを思い出してみるのもいいだろう。僕たち二人は春咲く花とみつばちさ、肩の上に止まっていたい、なんてセリフは誰も言わなかっただろうけれど・・。

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にしきのあきら

年齢の割には今でも若々しくはあるけれど、あの頃のにしきのあきらは、本当に若かった。
何が若かったかというと、もちろん肉体がである。昭和の人気番組「芸能人大運動会」で魅せた運動神経のキレは、いつもハンパなかった。100mを11秒そこそこで走り、走り高跳びなら1m65cmをクリアー。芸能人はこうでなければいけない! というイケメンアイドルの雛形を、きっといちばん最初に作ったのは、にしきのあきらだったに違いない。そう考えると、その後の「大運動会」で活躍した郷ひろみや田原俊彦、ましてやキムタクなんてまだまだアマチュアの部類に入るだろう。アスリートとしての動きがまるで違っていた、と私には見えた。それは1972年、写真のレコジャケ「嵐の夜」を歌っていた頃。フリフリのついた白いタキシードで熱唱していたスターっぷりが豪快だった。最近のアイドルは誰かを真似たような優等生が多いけれど、昭和の時代はどこか破天荒な歌手が多かったような気がする。昨日と今日の、春の嵐をからだに受けとめていたら、ふとそんなことを感じてしまった。 ♪嵐の夜はボクがキミを守る 雨の朝はキミが優しくしておくれ~♪ と歌っていたスターにしきの。スターと呼べる人は、心のどこかに嵐を持っているのだ。

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黄色いリボン

こんなにも清楚でキュートな女の子がいたのかと思うほど、1973年の桜田淳子は正統的に可愛かった。デビュー曲の「天使も夢見る」や、続くセカンドシングル「天使の初恋」で見せたエンジェルハット(と、呼んでいた)のイメージも手伝って、それは絵に描いたような清純さだった。ただ私は、そのせいなのか、当時の桜田淳子があまり好きではなかった。と言うよりも、どこか嘘っぽいような、何か照れくさいような、そんな感情だったのだろう。中学の頃、学年の美化委員長が朝早く登校しては花壇の花に水をあげていた光景を見て、褒めるでもなく、笑うでもなく、ただぼんやり眺めていただけの後ろめたさに少し似ている。そう、あの頃の桜田淳子を見ていると、その純真に対してどこか後ろめたい自分がいたのである。それが、3曲目「わたしの青い鳥」、4曲目「三色すみれ」、そして写真のレコジャケ6曲目の「黄色いリボン」と続くうちに少し、歌詞が変わってゆく。どの曲も歌詞の中に「くちづけ」という言葉が入ってくるのだ。「黄色いリボン」なら、3番の歌詞 ♪大きな木の下で あなたに不意にくちづけされたの このリボン忘れないで・・♪と。天使にくちづけをする、小さな悪意。もしかすると、同じような感情を作詞家 阿久悠も抱いていたのかもしれない。実に身勝手な話だけれど、その頃からだんだんと桜田淳子を直視できるようになっていったのだ。

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