宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -18ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

ガボテン島

家に閉じこもりがちな梅雨の日は、ハイボール片手にマンガ夜話。というワケで、今回は写真のマンガ、「冒険ガボテン島」である。もともとは週刊少年サンデーに連載された久松文雄の作品だけれど、多くの人は1967年にTBS系で放送されたアニメの方を憶えているに違いない。遊園地の潜水艇に潜り込んだはずがひょんなことから動きだし、無人島に漂着してしまった小学生5人。帰りたくても、帰れない。ケンカをしつつも、農業をし、林業をし、漁業を憶えながら、やがて力を合わせて生きていく。そのアイディアと涙と希望にあふれたストーリーが、あの当時はたまらなかった。正義感の強い主人公 竜太、そのライバルでちょっと神経質なイガオ、天才キューリ、天真爛漫なカボ、そして可憐な竜太の妹トマト・・その登場人物に自分をあてはめては、空想の中で漂流していたあの頃。よく考えると、マンガの中でいろんなことを学んだいた。結局、いちばん大事なことはコミュニケーションの力だということも、「ガボテン島」で私は知った。GPS機能付きのスマホやカーナビ、さらにはドローンなんてモノさえ手に入る今、無人島はもう怖くないかもしれないけれど、心の備えの方はどうだろう? 生きていく力。そんなことをふと思う、梅雨の夜のガボテン島の旅だった。

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野球狂の詩

1958年生まれということは、今年57歳。全く想像もつかないけれど、どんな中高年の美女になっているのだろう? と思わせる昭和のヒロインの名は、水原勇気。1972年から少年マガジンに連載された水島新司のマンガ、「野球狂の詩」のヒロインのことである。生年月日まで細かく設定してあったなんて、あの頃からすでにマンガを超えたヒロインだった。172cmのスレンダーなユニホーム姿とあどけない素顔が、人気のヒミツ。女性初のプロ野球選手としてドラフト1位で入団させるあたりも、さすがは水島マンガと唸ったファンも当時はたくさんいた。「野球マンガ」と呼ばれる作品は、それまでにも「巨人の星」を筆頭に数多くあったけれど、野球のルールやポジション、監督の悩みの細部にまで深く入り込む水島野球マンガは、やはり別格だっただろう。そんなプロ野球界の中でもがき、耐え、ひたすら純粋に投げ込む水原勇気の姿に、ファンはいつしか現実のヒロインを求め、重ねていくことになる。77年、ついに映画化。主役を演じたのは、アイドル絶頂期の木之内みどりだった。確かに可愛くてスレンダーだったけれど、世の中に大きく開放してしまった水島イズムに、華はなかった。野球を知り、好きでなければ入り込めない少し排他的なところが、実は水島野球マンガの何より大きな魅力だったのかもしれない。

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大都会

正解は、クリスタルキング。1979年10月、第18回POPCON (ヤマハポピュラーソングコンテスト)でグランプリを獲得したのが、写真のレコジャケ「大都会」なのだ。リーゼントとカーリーヘアーのデュオというだけでもハッタリが効いているのに、クリスタルキングという名前がまたまた凄い。おかげで、すぐに憶えてしまった私だった。この曲を思い出すと、同時にPOPCON(ポプコン)を思い出さないワケにはいかない。この時代、POPCONでグランプリを獲ることがシンガーソングライターとして売れる近道だったからだ。POPCONは、1969年から86年まで続いたけれど、絶頂期はおそらく74年から80年。74年の小坂恭子や八神純子、75年の中島みゆき、77年の世良公則&ツイスト、78年の円広志など、当時の音楽界に与えた影響は大きかった。しかも、歌謡曲ではない、新しいロックやポップスの新星を私たちは見ることができた。♪ああ 果てしない夢を追いつづけ ああ いつの日か大空かけめぐる・・♪「大都会」の歌詞は、70年代の若者の想い、そのままだったに違いない。ハイトーンボイスで歌い上げる声が、時代の鼓動のように響き、聴こえた。そう、あの頃は誰もが夢を大きく描いていたのだ。私ごとで恐縮だけれど、その年(1979年)大都会の片隅に就職したことも、忘れられない。

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