宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -17ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

はつ恋

写真は1975年、東宝系で公開された「はつ恋」という映画である。原作が、ロシア文学の巨星ツルゲーネフだと理解して観に行ったワケでは、もちろんない。ただただ、仁科明子が好きだったからだ。女性雑誌のモデルで人気を博し、当時お嬢様タレントという新しいポジションで活躍し始めた頃。なのに、この映画でもうセミヌードを披露すると聞けば、観ないワケにはいかなかった。仁科明子の眩しさを全面に押し出したアイドル映画だと思っていたら、意外と暗いテーマで、要するに不倫のお話。二谷英明という、ナイスミドルと言われたおじさん俳優相手にかるくヌードを披露していたけれど、それは美しいというよりも、なぜかショックだった。映画では、井上純一扮する青年の初恋相手として描かれていたけれど、映画同様、観ていた私の初恋相手でもあったかのような、そんな不思議なリアルを伴った作品だった。年上の、憧れのお姉さんに裏切られた孤独感。たぶん私が、多感な高校生だったから、そう感じただけだ。それにしても、可愛くて、気品があって、清純派のタレントがヌードになる時、嬉しいような哀しいような気持ちになるのは、なぜだろう。この数年後、仁科明子は現実の不倫を経て、松方弘樹と結婚した。たぶん、いつの日も、青年の初恋は、そういうカタチで終止符を打つのだろう。

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大魔神

来年は「ウルトラマン」誕生から50年。日本が生んだヒーローの50周年を祝って、いろんな所でイベントが開催されるだろう。と同時に、写真の映画もまた半世紀を迎える。1966年の4月、それは大映が放った特撮時代劇「大魔神」なのである。当時、大人気だったガメラを観たくて映画館に連れて行ってもらった私は、同時上映だった「大魔神」の迫力に腰が抜けてしまった。それほど、恐ろしかったのだ。山奥に祀られていたハニワ顔の武人像が、少女の祈りによって一瞬で変貌する。その緑色した形相があまりに恐怖で、「ガメラ対バルゴン」を観た興奮もどっかに飛んでいってしまったほどに・・。子ども向けだったはずのガメラシリーズにどうして「大魔神」を併映したのか、大映のその発想には舌を巻いた。ただ、その人気は沸騰し、同年8月には「大魔神怒る」を、12月には「大魔神逆襲」を立て続けに上映した。66年(昭和41年)という年だけに、3本の大作を残した「大魔神」。この巨神こそ、50周年を祝うにふさわしいと思うのは私だけだろうか? 怪獣ではなく、人の姿をした巨大特撮物は、これをキッカケとしてウルトラマンをはじめ次々と映画やTVに登場する。大魔神にしても、ウルトラマンにしても、実に本気で作られている。子ども目線にも、真剣に挑む発想と知恵。おそらくその魂が、特撮ヒーローを成長させたに違いない。来年は、そういう意味での50周年だと、私は思う。

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パーマン

泣き虫で甘えん坊で、勉強嫌い。確かに小学生の真ん中あたりまで、私は特別何のトリエもない、そんな子どもだった。だからなのか、マンガの中に自分の分身を見つけようとしていたらしい。分身の名は、須羽ミツ夫。それはさえない少年だけれど、藤子不二雄が描いたマンガの主人公でもあった。ただひとつ、私と違っていたのは、その少年が「パーマン」に変身できるというところなのだ。1967年の日曜夜7時半から「パーマン」はアニメでも放送された。私は週刊少年サンデーでそのマンガの読者だったけれど、アニメで知った人の方が多かっただろう。真っ赤なマントをひるがえし、飛べば時速は91キロ、青いマスクをかぶれば力は6600倍。もう、さえない少年Aではない。分身の活躍は、心の翼を広げてくれた。正義に目覚めていく須羽ミツ夫の成長は、私自身の成長でもあった。「パーマン」の人気がやがて絶頂に達した頃、私もちょっと元気な小学生へと変貌したのだけれど、クラスではなんとなく浮いた存在にもなっていた。成長すると、何かを失う。だけど、さえないままだと自分が哀しい。人はどっちを選ぶべきか。迷っていた私に、マンガの中で、ある時パーマン4号(パーやん)は言う。「このパーマンの力をバイトに役立てても、誰も文句は言わんやろ」と・・。成長も、正義も、いろんな使い途があっていい。あの頃「パーマン」に教わったことは大きくて、今でも深い。

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