宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -20ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

仲雅美

70年代に「少年マガジン」をよく読んでいた人なら、記憶に残っているだろう。「愛と誠」というマンガを。原作の梶原一騎自らが純愛ロマンと呼んでいたほど、当時の小中学生には熱過ぎるストーリーではあったけれど、それだけに人気も加熱し映画化された。その準主役「岩清水弘」という秀才役を演じたのが、写真のレコジャケ「涙のジャーニー」を歌う仲雅美である。好青年という存在感で、一時代を席巻した今でいうイケメンアイドルの一人だった。71年のTBSドラマ 木下恵介シリーズ「冬の雲」の出演をキッカケに人気は急上昇、さらに挿入歌まで歌い、その「ポーリュシカ・ポーレ」も大ヒット。少し陰のある、それでいて優しい感じは、昭和のあの頃にピッタリとフィットしていたのかもしれない。73年、映画「同棲時代」ではイラストレーター志望の主役 次郎を好演、相手役は由美かおるだった。続く「しなの川」でも由美かおると共演し、聡明にして退廃、繊細にして愚直な印象が、仲雅美のスタイルとして定着したのだろう。74年、先述の「愛と誠」の岩清水 弘。その映画で、ヒロインの早乙女愛に向かって発する台詞が、今も私の中にずっと生き続けている。「岩清水弘は、君のためなら死ねる」。愛する人のために、その台詞を使う日が来るのか・・と抱き続けたけれど、そんな日は決して来なかった。ただ、初恋やあの頃の純愛を思い返すとき、仲雅美の姿と一緒に、この台詞がいつも、私の前に立ち現れるのだ。

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黒猫のタンゴ

タンゴと言えば、アルゼンチンあたりの男と女の妖艶な舞踏曲・・というイメージだけれど、私の中でいちばんのタンゴは、おそらくこの曲だろう。写真のレコジャケ「黒ネコのタンゴ」は、1969年に皆川おさむ君が歌って一躍スターになった大ヒット曲。タンゴをなんと子どもに歌わせる、今で言えば「タンゴと子どものコラボ」というところが実にアイディア賞だったのだ。当時は、複雑な表情や難しいセリフを小さな子どもがスンナリやってのける、ということが一種のブームだったのかもしれない。♪キミはかわいい僕の黒ネコ 赤いリボンがよく似合うよ だけど時々ツメを出して僕の心を悩ませる 黒ネコのタンゴ タンゴ タンゴ 僕の恋人は黒いネコ・・♪ 大人でも歌えそうなこんな魅力的な歌詞を、6歳の子どもが歌うから、愛らしい。けれど、どこか背伸びしていた感もある。皆川おさむ君は別としても、そんな時代の申し子だった杉田かおるや坂上忍が、いくつになってもどこかひねくれて見えるのも、そうした時代の要請から生まれていたとすると、それはそれで仕方ない。あの頃、「黒ネコのタンゴ」は、端午の節句に関係があると思っていた私なんかは、ただただ実に幼稚な子どもではあったけれど・・。

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空いっぱいの幸せ

ファンレターというものを初めて出したのは、忘れもしない1971年。親愛なる天地真理様、というヘンテコな書き出しだったように憶えている。たぶんナベプロ宛に送ったのだろうけれど、当時は東京の芸能プロダクションなんて雲の上の存在だったから、震える指を抑えながら精一杯背伸びをして書いたような気がする。そんな必死の思いも、「ぜひファンクラブにご入会ください」と印刷されたチラシが1枚、入会金の振込み用紙と一緒に送られてきただけ。少年の淡い恋心は、あっけなく砕け散ったのである。それも当然、あの頃の天地真理の人気は凄かった。何が凄かったのか・・冷静に思い返してみれば、それは恋をさせたということだろう。憧れではなく、スターへの恋。全国の男子が隣りの真理ちゃんに恋をしてしまったのだ。それは、テレビという身近なメディアが、スターをアイドルという存在に変えた頃かも知れない。その最初の人。それが、天地真理だった。写真のレコジャケは、73年 8曲目のシングルで「空いっぱいの幸せ」。そう、真理ちゃんを見ていると、空いっぱいに幸せがあふれているように思えた。ブリヂストンの「ドレミまりちゃん」という自転車が流行り始めた春、私は中学を卒業して、天地真理を卒業した。そして二度と、誰にもファンレターを出したことはない。

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