宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -14ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

007

子供の頃、スパイに憧れた。スパイがなんだかよくわからないまでも、暗号の解読や秘密兵器を操るということはよく知っていたし、なにしろ日本語に訳した時の" 諜報部員"というコトバの響きにシビレた。当時、大人気だったTV番組「スパイ大作戦」の影響もあったけれど、1967年に公開された映画「007は二度死ぬ」で日本が舞台となり、初めて日本人のボンドガール(浜美枝)も登場し、世の中は大騒ぎ。スパイは、日本でも市民権を得て、子供の間では憧れの職業? の一つにさえなっていたのだ。写真のレコジャケは、007の第3作「ゴールド・フィンガー」で流れたジェームズ・ボンドのテーマ曲。ジョン・バリー(楽団)のこの曲を聴くと、あの頃の自分とカッコ良かった頃のアメリカが甦る。私の中でジェームズ・ボンドと言えば、もちろん初代のショーン・コネリー。強く、逞しく、ユーモアあふれるその存在感は、冷戦時代の正義に満ちたアメリカそのものだったからだ(ショーン・コネリーは英国人なんだけど)。太く濃い眉と胸毛、そして大きなガタイ。そう言えば、70年頃に発売されて大ヒットした文具「スパイメモ」にも、太く濃い眉のスパイの姿が描かれていた。子供がスパイに憧れるなんて、今ならどうかと思うけれど、あの頃の正義感というものだけは、なんだか失いたくはない。

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札幌五輪

冬と言えばフィギュアスケート、フィギュアと言えば今や羽生結弦。その華麗さは、文句のつけようがないし、もちろん実力も世界が認めるところだ。ただ、私の中ではちょっと違う。フィギュアという言葉を知ったのも、その美しさを感じたのも、1972年の冬季五輪「札幌オリンピック」だった。フィギュアスケートと言えば、そう、銀盤の妖精ジャネット・リンの笑顔が今も浮かんでくる。舞うように滑りながら、揺れるブロンドのショートヘア。その可愛さに、その容姿に、あの寒い冬がどれほどあたためられたことか・・。日本がまだまだ若かった高度成長期、オリンピックのメダルの数は国の栄華を誇示するものだった。70メートル級のジャンプでは、日本が金・銀・銅を独占し、その栄誉は「日の丸飛行隊」と賞讃もされた、そんな折である。ジャネット・リンの滑走には、メダルのプレッシャーは少しも見えなかった。転んでも笑顔で立ち上がり、何も無かったように楽しく滑るその姿に、観客は拍手を惜しまなかった。オリンピックとはこういうものだ。そんなことを教わったようで、当時私は(いや、私たちは)アメリカという国の豊かさを感じた。♪ぼくらは呼ぶ あふれる夢にあの星たちのあいだに 眠っている北の空に きみの名を呼ぶオリンピックと♪ テーマ曲だった「虹と雪のバラード」を聴きながら、ひとつひとつ大人になったあの頃。ジャネット・リンが見せた笑顔のヒミツを、今年はもう一度、自分なりに探してみようかと思う。

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木綿のハンカチーフ

「恋人よ、僕は旅立つ 東へと向かう列車で」という一行で、その歌は始まる。それは男子のコトバだ。まさに、若い男の熱い思いが伝わってくる。なのに、歌っているのはか細い少女。舌っ足らずな声で、今にも泣き出しそうに歌っている。1975年の12月、ちょうど40年前のこの季節に、私はTVでそんな女性歌手を観た。写真のレコジャケ「木綿のハンカチーフ」を歌う太田裕美だった。歌詞の内容はそんなに新しくはない。高度成長のど真ん中だったこの時代に、夢を求めて上京する若者は多かったし、そのために離ればなれになる恋人たちも少なくなかっただろう。新しかったのは、若い男の心情を若い女の歌手が歌うという所だった。女性の声で、♪僕は 旅立つ♪と聴こえてくる。主語が、僕なのである。その違和感にハッとしながらも、男子と女子のかけ合いの中でその歌は続く。そして、タイトルの意味がようやく4番の歌詞で種明かしされる。♪ねぇ 涙拭く木綿のハンカチーフください ハンカチーフください♪と。最後まで聴いて、ナットクした頃にはもうすっかり太田裕美ファンになっていた。「赤いハイヒール」、「しあわせ未満」と続く彼女の曲の主人公は、いつも「僕」だった。きっとその頃からだ、少年のような少女が増えたのも。今なら、自分のことを「僕」と呼ぶ女性がいても、そんなにヤな気はしない。そう思うと太田裕美の功績は大きい。いや、作詞家 松本隆のそれが計算だったのかもしれない。

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