宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ) -13ページ目

宮脇 流の「昭和を話そう」 ( BOSSのブログ)

70年代や、あの時代に輝いていたアレやコレや。
クリエイティブディレクターが語る、「思い出のエッセイ」です。

手塚理美

確かに可憐だった。1975年度の2代目ユニチカマスコットガールとして、手塚理美は登場した。今でこそ、可憐でセクシーな中学性は珍しくもないけれど、あの頃はホントに新鮮だった。ユニチカのマスコットガールは、スイムウエアのキャンペーンガールでもあったので水着姿も多く、当時14歳の彼女が起用されたこと自体、驚きでもあったのだ。ちなみに、74年度(初代)のマスコットガールは風吹ジュン。それだけでもイメージづくりに力を注いでいたことがよくわかるだろう。ユニチカの戦略は見事に成功し、手塚理美はユニチカの名とともにブレーク。特に75年度のユニチカカレンダーは、撮影を岡本太郎や伊丹十三が行ったことでも話題となり、78年までの4年間 彼女はマスコットガールを続けた。その後、NHKの連続テレビ小説に出演し、国民的ヒロインへの階段を駆け上がっていった。ご覧の写真集「四色の花火」は、ちょうどそんな頃。どこにもいそうで、どこにもいない。そんな空想の中にいた少女が、83年のドラマ「ふぞろいの林檎たち」ではハッキリとものを言う大学生を熱演。いいドラマではあったし、女優としての手塚理美を確立させはしたけれど、山田太一脚本の長台詞を話す彼女は、少女の季節の真ん中あたりに立っていた危うい感じの手塚理美では、もうなかった。

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アイアンキング

1972年は、特撮変身ヒーローが大爆発した年だった。円谷プロの「ミラーマン」、石森プロの「人造人間キカイダー」、さらに「バロム・1」や「シルバー仮面」、「快傑ライオン丸」といった人気ヒーローが次々とTVに登場する中、私が少し興味を持ったのが、写真の「アイアンキング」だったのだ。武田薬品提供の日曜夜7時放送という、いわゆるタケダアワーと呼ばれた時間帯なので、それまで観ていた番組の続きとしてなんとなく観たのが最初ではあったけれど、監督の名に「湯浅憲明」を見つけた時、妙にトクした気分でそれから見続けたのである。湯浅憲明は、大映のガメラシリーズの監督だった。東宝のゴジラに対抗して生まれた大映のガメラは、どこか弱々しくて、どこか切なくて、当時小学生だった私の心をしっかり掴んだ。60年代後期のそんなガメラへの思いが、監督の湯浅憲明に投影されたまま、アイアンキングへと発展していった。内容はよく憶えていない。ただ、変身するのが、主役の石橋正次ではなく、おとぼけ役の浜田光夫(霧島五郎役)の方だったから驚いた。原作がそうだったのだろうけれど、三枚目が変身ヒーローになるというところに、私は大映ガメラに似た哀愁を感じた。そういえば、動力源が水で、浜田演じる霧島五郎は水ばっかり飲んでいた。そんな所も、なんだか人間くさい演出で、アイアンキングの魅力になっていたと言うのは大袈裟だろうか。

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ガッパ

それは1967年だった。日活が初めて挑んだ怪獣映画が、写真の「大巨獣ガッパ」なのだ。東映や東宝、大映などに大きく遅れて登場した「ガッパ」は、当時まだ小学生だった私の目にもどこか冴えない印象だった。日活といえば、石原裕次郎や小林旭、浅丘ルリ子など、アクション映画のスターが勢揃いというイメージだったけれど、時代の波には逆らえなかったのだろう。プライドを捨て、怪獣ブームに迎合したのかもしれない。主演には若手のホープだった川地民夫を起用。激闘ばかりの他の怪獣映画とは一線を画し、今観てもどこかしっとりした悲哀を伴う内容である。面白いのは、ガッパというネーミング。東宝のゴジラは、クジラとゴリラを足して命名、大映のガメラは巨大なカメを原型にしている。動物をモチーフにした怪獣は多いけれど、河童という架空の生物 ? を原型にしたところが、なんとも不思議だ。存在も、生態もわからない生物 ? をさらに架空の怪獣に仕立て上げたのだから、もう謎だらけ。どこに棲んで、どこに帰るのか、頭にお皿はあるのか、まさか主食はキューリなのか ? いろいろと妄想がふくらむ映画ではあったけれど、残念ながら続編はなかった。1971年、日活が新しい路線「ロマンポルノ」を開花させるまでの、切なくもはかないヒーローだったのだ。

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