最初は家に籠りつつ在宅ワークを
こなしてたけど、程度な運動しない
と体がだるくなるので、夕方のサイ
クリングに目覚めた
そんな運動がてらのサイクリングコース
階の高い建物からは遥かに見えつつ、
いつもはなかなか行く機会がなかった
伏見城へ向かった。
その理由はこの坂道。
閑静な住宅街を眺めつつハードな坂道
を登る。
在宅になってから、電車に乗らないから
階段も登らない、気づけば足の筋力が
低下してそうな危機

ハードなコースで健脚を目指そう

ご近所のお散歩コースとしては人気で、
次々とお散歩中の方をみかける

立派な門をくぐるとドドン

天守閣が2つ並んでゴージャスな風景。
でも、これは昭和64年に近鉄が建てた、
伏見桃山城キャッスルランドという
遊園地の名残のレプリカ。
それでも、なかなかの作りで壮観な風景

今は伏見運動公園として、桜の季節は
お花見スポットとして近所の人気の公園
です

昔はこの辺りとかにジェットコースター
とか体験型の乗り物があったそうです

そして、伏見城は言わずと知れた歴史
深いお城です。
キャッスルランドで再建されたの
入れたら4回も建て替えられてます

ほんのザックリ築上~現在を振り返ると、、
1度目は秀吉の隠居が目的で1594年に
建設した指月伏見城。
ところが、2年後1596年7月に直下型
の慶長伏見地震で無残にも倒壊。
2度目、その年の10月木幡山に伏見城
の本丸が完成。これが木幡山伏見城。
その2年後、1598年(慶長3年)、息子
秀頼のことを案じながら、豊臣秀吉は
伏見城で亡くなります。
秀吉が伏見城で過ごしたのは結局3~4年。
そして、秀吉が淀城から伏見城に移るに
あたり、宇治川を伏見に引き入れて
城下町を港町にした。
これにより伏見と大坂の間に水運が
開かれ、日本最大の内陸河川港へと
発展する。
水運の歴史↓
この立地により、秀吉の時代が終わり
徳川政権になってから、3度目、家康が
1602年頃、木幡山伏見城を再建します。
ちなみに、秀吉が建てた城は関ケ原の
戦いの前戦の伏見城の戦いで焼失。
伏見城が廃城になったのは1615年
諸大名が力を持って江戸幕府に歯向か
うことがないよう、一国一城令なるも
のが発布されて、
”ひとつの国に城はひとつのみ”
京都には二条城があるため伏見城は、
廃城に。
その後、この地に桃が植えられて、
桃山という地名になったそうです。
伏見の今の街の繁栄があるのは、
秀吉公のお陰だったのですね
因みに、秀吉、家康が建てた木幡伏
見城の本丸は現在の明治天皇陵です。
キャッスルランドは御陵に隣接して
いるため、遠からずの立地です
おすすめのシュークリーム教えて!
やっぱりヒロタのシュークリーム



スーパーで特売してるの見ると、
買いたくなる。
種類も沢山あるし、季節の限定は
見逃せない

でも、今日はこれ

スーパーで新茶シーズンのお菓子を
衝動買い
抹茶の渋みもあり甘さ控え目で、
なかなか美味
抹茶のお菓子が出回る季節のお菓子
コーナーは楽しい