経済雑誌や新聞に掲載される記事の著者は、経済学者やシンクタンクのエコノミストなどが多く、みな一流大学の准教授や教授であったり、海外の名門大学を卒業していたり、世界的大企業に所属しているような、素晴らしい経歴の方ばかりです。そして、その素晴らしい学歴と実務経験に基き、論じられていると思うのですが、現実を見た時に、なにか違う。と感じることがあまりにも多いのです。

これは経済の話だけでは無く、コロナ騒動についても、ウクライナ問題に対しても同様に感じています。

経済の話に関して言えば、素晴らしい経歴・経験値を持ってる人たちが、都度論じているのに、30年以上経済は停滞し、国民は低賃金化し、貧困化していったのか。不思議ではないですか?

たぶん、それは、彼らの論調がズレているからだと思われます。そして、そのズレた話を真に受ける人が多過ぎるのではないかと。だから、経済はいつまで経っても上向かないし、賃金も上がらないと。


今回は、それを強く感じた報道を取り上げてみます。記事の中で「おかしい」「賛同しかねる」と思うところだけ拾い出し、その理由を書いてみました。
 

 

給料を決めるのは、政府でも企業でもない
2022/08/06 6:30
小幡 績 : 慶應義塾大学大学院准教授  

 

なぜ「賃上げ」という言葉は間違いなのか
賃金は、政府が上げるものではもちろんないが、企業が上げるものでもないのである。

「資本よりも労働者が経営には不可欠だ」「より経営に役に立つ」と、経営者に思わせ、払わざるをえないようにして、初めて得られるものなのだ。したがって、日本の賃金が低いのは、労働者が、この闘争を「サボっているから」なのである。努力不足なのである。

 

さて、いきなりこれです。なんとなくそうなのか。と思う方も居ると思いますが、私には全くの詭弁であり、本質を誤魔化しているようにしか読めません。

それは、経営者と従業員の関係とはどのようなモノなのか。会社は誰のモノなのかという根本的なところを、どう捉えているかで変わると思います。

資本よりも労働力が経営には不可欠なのは、当たり前過ぎます。いくらお金が有ったところで、働く人=生産する人が居なければ、なにも生み出されません。そこで肝心なことは、先に書いた経営者と従業員の関係であり、会社は誰のモノなのかということでは無いでしょうか。多くの日本人は真面目で勤勉です。仕事をサボっているから賃金が上がらないのでしょうか。

いや、そうではない。「闘争」をサボっているからだ。というのですか?

経営者と従業員は闘争する関係なのでしょうか?
 

第1に、厚生労働省の審議会で勧告水準が決まったが、政治的思惑があるにせよ、要は、労使交渉である。経営者代表と労働組合代表が、メンバーとして話し合う。交渉そのものである。
 

話し合いは大切です。身分の上下を超えて隔たり無く、平和的に議論することこそ、日本の国体であります。しかし、闘争心を持っての議論というのはどうでしょうか。

 

賃金の水準は「自分で勝ち取るべきもの」
賃金の水準は、最低賃金を超えれば、あとは自分で、交渉によって勝ち取るべきものである。その努力が不足しているから、賃金が低いままなのである。

 

そうでしょうか。これもキレイ事にしか聞こえません。このような欧米的と言いますか、グローバリスト的な考え方も、間違っているとは思いません。しかし、ここでも、経営者と従業員は「闘争」する関係であることが、前提になっているように感じます。
会社の事情は様々であり、賃金を上げたくても上げられない事情もあろうかと思います。私が思うには、賃金を上げられない事情の方が大きいように感じます
 

コーポレートガバナンスの本質は、投資家が、自分たちの出資金を守るためのものだ。わかりやすく株主に限って議論すると、株主は、強いように見えて弱い立場にある。

だから、法律が必要で、株主が持ち分として分配される残余財産分配請求権を持っているのである。それと、重要事項を決定する際の株主総会の議決権を持っているのである。

 

投資と企業経営は別モノかもしれません。これは非常に難しい問題だと思います。資本主義は経済を発展させる上で重要なことは事実ですが、そのバランスや考え方、取り組み方の適・不敵は、その礎となる「人」と「思想信条」「文化」による所が大きいと思うので、ただたんに経済学的視点で議論することは、あまり意味が無いと思います。
投資・経営について考える時、その国の国民性、伝統・文化を考慮することは大切な事だと思います。学問は学問であり、今の主流経済学は西洋の学問です。

また、投資ならまだしも、投機などはわたし個人としては論外の行為です。
 

声を上げて、賃金引き上げを要求することであり、そのために、労働組合があるのである。これがvoiceだ。昨今、労働組合が、社会的な環境変化で弱体化し、かつ働き手自身からも軽視されている。それは働き手の自由であるから、そうすればいいが(労働組合が役に立たなくなってきているのも事実である)、それならば、exitを使わなければ、賃金が上がらない。いやなら辞める、ということである。転職する、ということである。

 

これも完全に欧米的な思想・発想によるモノと思いますが、大手企業はじめ、優良企業と言われてきた会社が、分割され外資に売り払われてしまったのは、この様なことを続けて行った結果ではないのでしょうか。極一部のある意味才能や実力のある人は高収入を得られるようになったでしょうし、一時の利益で潤った経営者もいたでしょう。その反面、多くの人は低賃金化、非正規雇用化されてしまったのではないですか。

 

このexitの力が弱いことが、日本の賃金が上昇しない、唯一、最大の理由である。辞めないんだったら、経営側は賃金を上げる必要はまったくないようなものだ。出世争いをさせて、同じ賃金水準で働かせればよい。

 

確かにイヤなら辞めるという選択肢はあると思います。しかし、これも一部の人には問題ないでしょうが、誰しもが「イヤだから辞める」という選択肢は取れないと思います。
そして、ここでも労使が対立の姿勢であることに違和感を感じます。
 

アメリカなどでは、このように転職で給料が上がっていくのが当たり前だ。転職しない人は、所得水準は上がりにくい。「ベースアップ」など存在しないと言っていい。役職が上がるか、転職して役職が上がらない限り、給料は増えないのだ。

 

欧米ではそうなのでしょう。しかし、私たちは日本人であり、日本で暮らしています。欧米から学ぶことは良いことと思いますが、全てを欧米に合わせる必要はないと思います。日本は日本型の資本主義と企業経営で、戦後の焼け野原からGDP世界第二位の経済大国と言われるまでに、経済成長を果たしています。

 

一方の日本はどうか。経営者などは「事実上首を切れないから、新陳代謝が進まない。だから、生産性も上がりにくいし、労働市場のダイナミズムも働かない」という。

唯一の理由は、日本の経営者の怠慢だ。社員に首と言えない、嫌われたくない、恨まれたくない。円満に社長ポストの任期を満了したい。

これは経営放棄の怠慢だ。欧米企業などは、組織をつねに活性化するためにも首切りを実施し、そのためにとてつもない努力をしている。これに比べれば、日本の多くの企業は経営陣の努力不足が甚だしい。「事なかれ主義」の最たるものだ。

 

これも、この事象だけを見れば、そうかもしれないと勘違いしそうですが、何度も云うように欧米と日本は根本が異なりますので、単純な比較は出来ません。

精神論では会社は経営できないし、経済も発展しない。なにを馬鹿なことを言っている。と言われそうですが、それなら、なぜ経済学のエリートたちは、日本を停滞から抜け出させる事が出来ないのでしょうか。

エリートは解決策を教えているのに、実行しない私達労働者と、ことなかれ主義のサラリーマン社長が悪いのでしょうか。

今回も、根本的な問題解決の具体策はなにも示されませんでした。

毎回、感じる違和感は、常にこの事にあります。どの論調も西欧的な思考・思想に基づく「経済学」的視点であり、日本の置かれている現状、その背景、根本的な原因については、知ってか知らずか、決して触れない。

経済学が完成している学問であるならば、その理論、法則は不変でなければなりません。学問とはその様なモノであるはずです。
もし、物理が学問で無かったら、飛行機は創れません。物理の法則は不変であるから、飛行機を創り飛ばす事が出来ますが、物理の法則が不変ではなく予測であったなら、いつ落ちるかもしれない飛行機など怖くて創れませんし、出来ても実用できません。

経済学が無価値であるとか、無意味であるとは思っていません。それはそれで必要なものであることは確かです。しかし、人は感情で動く生き物であり、経済は人が動かしています。だから、今回のテーマである「賃金の引き上げ」にしても、感情ではない根底の仕組みについて考察すべきです。

そして、賃金の問題は、経営者と従業員だけの問題ではありません。現在がお金有りきの世界であること。一番は各国間の文化の相違であると考えています。そして、その中で作り出された仕組みが肝であると云うことです。さらに、企業経営とは無関係に見えるような様々な事象も相互に影響を与えあっています。
経済あっての社会ではなく、社会あっての経済であると思います。

では、その肝とはなんなのか?

ぜひ過去記事をご覧頂きたいと思います。

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