成績優秀でレスリングの有望選手でもあるタイラーは皆の人気者。美しい恋人もいて充実した日々を過ごしていた。ビジネスで成功している父親はタイラーに期待するあまり厳しく接するが、それも上手いことあしらっていた。しかし、異変を感じていた肩の不調がかなり深刻で、シーズン中にも関わらずレスリングを中断しなければいけないと医者に宣告されてしまう。周囲に言い出せないまま試合に出たタイラーだったが、肩に致命的なダメージを負ってしまうのだった。絶望しているところに恋人の妊娠も発覚し……。

 

前半は堕ちていく兄の苦悩を、後半は決定的な出来事の後で日常を過ごす妹の苦悩を描いている。主観的なカメラワークと音楽が特徴的で、兄/妹の心境とシンクロする形でスクリーンのサイズが変わるという演出も面白い。

 

360度旋回したり手ブレしまくるカメラワークには軽く酔いそうになったが、かなり素早く切り替わりつつ、目を瞑ったときにまぶたに映るようなボンヤリとした光の色彩を指し挟む映像は心地良かった。目を閉じる。そして目を開ける。そういった生物としての動作や、海、泉、風呂といった水の描写による「自然の中で生きている」という感覚が強調されている気がした。これは誰もが味わう可能性がある痛みであり、誰もが味わう可能性がある救いを切り取った普遍的なストーリーだと謳っているよう。

 

タイラーを演じるケルビン・ハリソン・Jrは『ルース・エドガー』でルース役も演じている。ルースも完璧な優等生の人気者というキャラクターだったので、本作とかなり共通点がある。黒人として社会で成功を収めるには誰よりも努力して結果を残し、たったひとつの失敗も許されないという異常なプレッシャーがかかっていることろも同じだ。タイラーの父親が尋常じゃないほど息子に厳しく当たる背景には、黒人が晒されている理不尽な社会構造がある。

 

黒人と社会の他にも、本作には様々な社会の歪みが内包されている。彼女のことを名前ではなく「女神」という名前でスマホに登録しているタイラーは、妊娠発覚に際して驚くほど身勝手な思考回路に陥ってしまう。この裏には、どこかで美しい彼女のことをトロフィーのように感じていて、人間として尊重できていないという無意識の女性蔑視が潜んでいるのだと思う。タイラーの父親も同様で、妻に対して弱みを見せることができずに一方的な要求を押し付けたり、タイラーに比べて娘を軽視してしまっていたりする。そういった差別意識に自分では気付いておらず、危機が勃発したときにようやく表出するのがリアルであり恐ろしい。

 

主体が妹に切り替わってからは、崩壊した家族の再生の物語が始まる。SNS上に残り続ける悲劇の記憶や、兄や自分に対する誹謗中傷のせいですっかり心を閉ざしてしまった妹は、事情を知った上で好意を示してくれた男の子と恋に落ちる。彼と会話し、彼と出かけ、そして彼の人生の重要な1シーンに立ち会うことによって、妹は少しずつ喪失したものを取り戻していく。兄に対する想い、家族に対する想い、自分の未来に対する想い。前半で提示された様々な関係性にパラレルに対比する形で、後半の色々な関係性が示されていくのが素晴らしい。パチっパチっとピースがハマるように前半の場面が想起され、その度に妹の心の穴が埋められていくようだった。

 

先ほども書いたように、本作では音楽が重要な役割を果たしている。そのときどきの情景や心境にシンクロする形で数十曲のナンバーが流れ、もうひとりの登場人物かのように説明を加えていく。ある意味でミュージカルのようだとも言えるが、『ベイビー・ドライバー』ほどひっきりなしに音楽が現れ続けているわけでもない。ここそという重要な個所で流れるので分かりやすいし、曲によっては歌詞も字幕で表示される。

 

想像していたよりもずっとヘビーな作品だったし、それなりに長いので疲れもした。でも『ムーン・ライト』のように深い余韻を残す美しい映画なのは間違いない。最近のポピュラーミュージックに詳しいとより楽しめると思うが、30年後に本作を観た時にこの選曲をどう感じるのかなあというのは少し気になる。