戦火の中アフリカで生まれアメリカ人夫婦に引き取られたルースは、高校の最優等生として周囲の期待を一身に集めていた。しかしあるレポートをきっかけに、アフリカンアメリカンのベテラン教師ウィルソンはルースが危険思想の持ち主なのではないかと疑念を抱く。ウィルソンはルースの母親に疑念を伝えるが、養母エイミーはにわかに信じることができずに動揺する。エイミーと養父ピーターはルースを問いただすべきか葛藤するが、両親の異変に気付いたルースは自分にウィルソンの疑いが向けられていることを知ってしまい……。

 

非情に複雑で多角的な作品。あらゆるテーマが詰め込まれているが、最も大きいのはアフリカンアメリカンたちがオバマ後の世の中で置かれている立場だろう。常に疑われる存在から這い上がるためには、誰よりも優れている模範的な人間であることを証明しなければならない。しかも決してミスを犯すことなく。1回でもミスすれば、成功への道は閉ざされ決してチャンスは巡ってこない。

 

戦地で生まれ育ちアメリカに「連れてきてもらえた」存在であるルースは、理想的なアメリカンドリームの達成者として完璧な成功を求められていた。まだティーンエイジャーの男の子なのに、ただひとつの失敗も許されないという強烈なプレッシャーがかかっているのだ。パーティで酒を飲んでもアウト、マリファナもアウト、喧嘩もアウト……絶対にバレてはいけない。1度でもバレたら「いわゆる黒人」のひとりに転落してしまうから。

 

黒人が社会で成功することの難しさを痛いほど知っているウィルソンは、社会的・政治的な意識が極めて高い。生徒たちの様子を観察して心配するという教育らしい人物なのだが、教師と生徒の立場の間に明確に線を引き、厳格さを保とうとする傾向がある。「この子はこういう行動をしたから、こういう問題があるに違いない。であれば、取るべき行動はこう。抗議すべき相手はこう」と、自信の価値観に基づいて判断してしまうのだ。優れた洞察力を持つ人物だが、自分の能力を過信しすぎているきらいがある。ウィルソンが誰かに相談した上でエイミーを呼び出していれば、事態はここまでこじれなかっただろう。

 

彼女の過信はプライベートにも悪影響を及ぼした。精神疾患を患う姉を独断で引き取ったものの、症状が悪化して病院に送り返すことになってしまったのだ。結果的に姉は深く傷ついたのだが、ウィルソンは姉を抱きしめてやることはない。ウィルソンの中で、姉は家族である前に落伍者なのだろう。上からの立場で「救ってあげる」対象でしかなかったのだ。自分の弱さや無力を認めることなく、誰かに寄り添うことなど不可能だ。ウィルソンは姉によって自分の足が引っ張られることの方を恐れた。

 

エドガーの義母であるエイミーは、ルースの正体が分からずに激しく混乱する。そして、倫理的に間違っている行動に出る。「ルースを愛していればこそ、正しい行動をするべきだった」というのはたやすいし、大多数の映画ならば彼女の行動は違っていただろう。しかし、「1回でもミスった黒人は永遠にアウト」という社会が待っていると分かっている状況で、正しい行動を取ることができる親がどれほどいるだろう?しかも、エイミー自身も「難しい環境にいた子どもを立派に育てた親」という評価を捨てることになるのだ。自身の子どもを持つことを諦め、全力でルースと向き合ってきたエイミーの中に芽生えてしまった虚栄心を一方的に責めることはできない。人間、誰だって自分の子どもが優秀だたら嬉しいという気持ちはある。エイミーは極めて普通の一般的な感覚を持つ人間なのだと思う。彼女だけを責めるのはフェアじゃない。

 

とどのつまり、ルースは英雄なのか?それとも悪魔なのか?本作が凄いのは、「どちらでもない」ということを示唆して終わっていることだ。彼の中には美しい性質もあれば、姑息で攻撃的な性質もある。それだけのことだ。だって、みんなそうでしょう?誰かに強烈に腹を立てる日もあれば、見知らぬ人に手を差し伸べる日もあるでしょう?ただ、ルースが置かれている状況はあまりにも複雑だったし、ちょっと頭が良すぎただけだ。

 

「引き取られた後、どうしてもアフリカでの名前を発音できなかった両親は、自分の名前をルースと名付けました。」

 

ひとりでスピーチのリハーサルをしているとき、ルースはこう言って涙を流した。その涙には、自分の名前を奪われた悲哀があった。しかし、大勢の人間を前にした本番では、この言葉は喜ばしいこととして響いた。「悲惨な状況とおかしな文化から脱出し、アメリカン人になる栄誉にあずかることができた」というハッピーストーリーとしてこのエピソードを受け入れる人々のグロテスクさ。善悪も併せ持つはずの人間性を認めることなく、勝手に「優等生」「落伍者」といったレッテルを貼って人生を決めつけようとする大人たちの傲慢さ。そしてなによりも、そうしないと(特に黒人は)生きていけないという社会の異常さ。また、自信の傷に目を瞑ってまで、成功を約束されたルースに必死でしがみつこうとする周囲の子どもたちの苦しさ(特にマイノリティ)。ルースという1人の少年の後ろに見える、あまりにも多くの社会の歪みに呆然とするしかない。

 

本作にはカタルシスはない。それどころか、結局のところよくわからないまま終わる要素も多い。「イヤミス」とか「鬱映画」とは違う意味でスッキリしない作品だ。でも、見終わった後の人間に多くのものを残し、思考を促してくれる作品なのは間違いない。こういう映画(元は戯曲なのかな)を作るって凄いよ。