一命をとりとめたお父さん | 光と波動と音楽と ふゆこのサンフランシスコ日記

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日常を綴るアラフィフ在米日記です。

 

 

 

 

翌日

一命をとりとめた父の面会に行きました

 

 

 

お医者さんと看護師さんがいらして

父を起こしてくださるところに丁度立ち会えました

 

 

 

眼を覚ました父は 唖然としていました

不思議そうに自分の身体を何度もみて 周りを見渡して

 

 

 

「なんで・・・俺は生きてるんだ・・・・?」

 

とかすれた声をふりしぼり 目をまん丸にして

本当に仰天していました

 

 

 

 

お医者さんが 

「睡眠薬を多量に摂取されたようですね 何錠飲まれたのですか?」

と父に聞きました

 

 

 

父は呆然としながら

 

「・・・さんびゃくじょう・・・」

 

と応えました

 

 

はあー???

 

300錠????

 

 

 

お医者さん、看護師さん、同席していた姉、

わたし、全員が驚愕して叫んでいました

 

 

 

 

ど、どうやってそんなにたくさん飲んだの??と聞くと

「数日かかって水に溶かして飲んだ・・・」

 と父は説明していました

 

 

 

わたしの憶測ですが父の飲んだ睡眠薬は

処方された睡眠薬ではなく

睡眠導入剤だったのではないか、と思います

でなければ胃洗浄したとしてもそんな大量にお薬を飲んで助かるはずがない・・

 

 

 

とにかく父はずっと信じられない、という顔をしていました

わたしたちも別の意味で 信じられない、という顔をしていました

 

 

 

 

姉は

「お父さん、もうやめてね こんなこと。

お父さんのアパートに向かう車の中で運転しながら

生きた心地しなかったよ!」

と怒っていました

 

 

 

あんなに父を嫌っていた姉が

怒りながらでも 父のことを心配してくれたことを知って

わたしは秘かにうれしかったです

 

 

 

 

後日父が退院してから

父にどうしてそんなことをしたのと聞きました

 

 

父は

 

 

自分の身体の調子から

もう一度脳梗塞で倒れるのは時間の問題だと考えていた

そうなれば次こそは自分は寝たきりになってしまうだろう

お前たちに迷惑がかかる

孫にもそんなヨボヨボの姿をさらしたくない

 

 

お父さんは、おじいちゃんは、強くしゃんとしてた

そう覚えていてほしい

自分のことを自分で出来なくなってまで

人のお情けにすがってまで生きていたくない

自分の始末は自分でする

 

 

と言いました

 

 

 

そんなぁ~!

老いていくのは自然なことでそれが人間じゃないの

どんな姿になっても最後まで命を大切に生きて お父さん!

とわたしは口酸っぱく父を説得しました

 

 

 

こんこんと続くわたしのお説教をきいた父は 

最終的に腹をくくったように

 

 

「よし!じゃあ俺もう一回アメリカに行きたい!」

と子供のように無邪気に言いました

 

 

 

 

ところがその頃

わたしは橋本病を発症して疲労感に悩まされていて

父を再度アメリカに呼び寄せる自信がありませんでした

 

 

家の掃除や食事 アテンドの全てが

以前のようにおもてなしする自信がなく 

正直にいえば すごく負担に感じました

 

 

 

今から思えば 

父を励ますためにもう一度アメリカに呼んであげればよかった

いくら自分がしんどいからと言っても

なぜあの時、生きる希望を持ってもらうために

そうね、お父さん!もう一回アメリカにきて!

と言えなかったのか。

 

 

父がせっかく張り切って、行きたい!と言ってくれたのに

 

 

がんばって生きて、と励ます一方で

お父さんの希望に沿うことができなかった

お父さんごめんなさい。

 

 

 

 

 

でも

その時のわたしには出来なかった

わたしにはその度量がなかった

 

それが結果なんだ

 

くよくよするな 

キッパリあきらめて前を向いて

これからは後悔しないよう、出来ることはしっかりやろう!

 

 

そこは父の事から学んだ教訓のひとつです

 

 

お父さんありがとう

 

 

 

                  樹海が好き