光と波動と音楽と ふゆこのサンフランシスコ日記

光と波動と音楽と ふゆこのサンフランシスコ日記

日常を綴るアラフィフ在米日記です。

 

 

 

 

アメリカは今日が父の日でした。

 

 

わたしの父は11年前に他界し

以前一度父について少し書いたことがありますが

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと書きたかった父の人生を

印してみようと思います。

 

 

 

 

父は九州の小さい島で

8人兄弟の真ん中に産まれました

 

 

わたしの祖母 (父のお母さん) は

沖縄のひとでお料理が上手で

父はいつも祖母にくっついて台所でお料理の手伝いをしていたそうです

なので父も料理がとても上手でした

 

 

 

昔はまだお風呂が各家庭にない時代

 

アメリカ兵のお相手をする女性たちを

周囲が蔑んでる中でも

祖母は彼女たちにも分け隔てなく親切にし、

お風呂に入れてあげ

背中を流してあげる優しいひとだったそうです

 

 

 

そんな優しい祖母が大好きだった父

ところが父はやんちゃで暴れん坊

危ないひとたちと喧嘩して命を狙われることもあったとか

 

 

 

 

心優しい祖母はそんな父が心配だったのでしょう

8人兄弟の中でも 父を大変可愛がっていたそう

 

 

 

わたしの母は真面目でおとなしい普通のひとで

父と結婚することになった時は

母の家族・親戚・友人全てのひとが大反対

 

 

 

そんな若いふたりは上京し

貧しいながらも世帯をもち

わたしたち兄妹三人を産んでくれました

 

 

 

父は根っからの遊び人で

家庭を持ってからも落ち着かず

大好きなボーリングをしたり

友人たちと飲み歩き

よそに女の人をつくったり

 

 

 

わたしの幼い記憶では

父は怖いひと

酔って友人たちを連れて帰ってくるときは陽気ですが

普段は特に遊んでもらった記憶もなく


 

 

父は兄を待ち望んだ長男なので可愛がり

長女の姉は顔が可愛く生まれたので見せびらかしに

二人をよく連れて遊びに出かけました

 

 

で、3人目のいらない子のわたし

せめて男の子ならと願っていたら残念ながら女の子

しかも ほんとに俺の子か?と驚いたほと

わたしはぶさいくな赤ちゃんだったとかw

 

 

 

なのでわたしは父には可愛がられず

わたしも父が怖かったので懐かず

母にぴったりとくっついて育ちました

 

 

 

そんな遊び人で派手好きで家庭をかえりみない父が

わたしが5歳になるころ

急にいなくなってしまいました

 

 

続く

 

 

                美しいピアニーをどうぞ♡