父の思い出 | 光と波動と音楽と ふゆこのサンフランシスコ日記

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日常を綴るアラフィフ在米日記です。

 

父は面白い人でした。

 

情にもろくて

 

とても優しくて

 

喧嘩っぱやくて

 

短気でしたが

 

あらゆる感情をめいっぱい味わって

 

素晴らしい人生だったのではと

 

思います。




 

私がまだ小さかった頃

 

住んでいた借家を買うために祖母がくれたお金を

 

ボーリング遊びに全て使い果たした

 

と母から聞きました。グー

 




私が18歳の頃

 

やはり祖母が母に買ってくれたマンションに

 

母と私が住んでいましたが

 

父が博打の借金で抵当に入れ

 

手放すことになりました。イラッ

 

 



A級ライセンスを持っていて

 

車の運転がとてもうまいのですが

 

同乗者が安心して乗っていられるのが

 

本当の運転のうまい人だ、と

 

常に安全運転でした。かお




 

集中できるときに碁を打つと

 

何手も先を読んで
 

何連勝もしていました。



 

ボーリングの腕はプロ級で

 

家にトロフィがたくさんありました。



 

ギターをつま弾いたり

 

歌もうまくて近所のカラオケ大会では優勝。

 



 

深夜に若者たちが大勢で

 

誰かを袋だたきにしているのを見かけると

 

黙って見過ごすことが出来ず


えーい!と


車を引き返して

 

助太刀に行ってしまう。





命知らずなところがあり

 

暴力団のひとと喧嘩になったとき

 

相手が拳銃を持っていたら


どうするの?と聞くと


そんなん

 

撃たれて死ぬだけのことやろ?

 


あっけらかんと


何でもないことのように話していて

 

驚いたことがあります。えっ

 



死に対する観念が

 

隣に部屋にいく、みたいな感覚なのです。

 

 


不思議な本能も持ち合わせていて

 

時々知らないはずのことを


当てたりしていました。

 

俺は人の死ぬ時期がなんとなく分かるんだ

 

と言っていたこともあります。

 



 

私の娘が父宛てに


書いた手紙を見たときには

 

「あの子が・・・書いてくれた・・・・」

 

声をつまらせて

 

涙をこぼし

 

感激してくれました。



 

そんな反応がくるとは思っていなかったので

 

父の純粋な喜びように

 

私はとても驚きました。



 

 

後年は心筋梗塞を患い

 

身体が自由に動かず

 

寝たきりになる前に

 

自分の人生は自分で決める、と

 

知り合いからもらっていた

 

睡眠剤を


1年以上かけて集めて

 

尊厳死をめざしました。

 

 

ところが発見され病院に運ばれ

 

胃洗浄をされて

 

目を覚ました時

 

何で俺は生きてるんや? と

 

放心状態で

 

お医者さんに何錠飲んだんですか?と聞かれて

 

「300錠・・・・・」

 

 

お医者さんや看護婦さんが

 

えっ?????

 

さ、さんびゃくぅ~?????ガーン

 

と、ぶっ飛ぶような答えをしていました。

 

 

 

 

父が天国に召されて今日で7年目です。

 

人間は不思議なもので

 

つらいこともあったはずなのですが

 

今では全てが

 

楽しかった大切な思い出です。

 

お父さんありがとう。